セッション コレクターズ・エディション[2枚組] [DVD]
公開当時とても話題になったのでとても楽しみにして観てみました。他のはてなブロガーの方も観た感想を投稿されていたので以前ツイッターでもこんな感じでつぶやいています。
私も観てみようと思えるレビューでした。早く7泊8日になーれ! / 他1コメント https://t.co/yxWvpNc8gA “【感想】叶えたい夢のある人絶対見るべき映画セッション - あしたしぬかもよ?” https://t.co/Dna9017O0i
— りゅうのすけ (@garyotenseihtn) June 24, 2016
映画評論家の町山さんとジャズミュージシャンの菊地さんもセッションを繰り広げていました。
原題は「WHIPLASH」で鞭打つという意味。メタリカというヘヴィメタルバンドにも同名のWhiplashという曲がありますが、今回この映画で演奏されているWhiplashは1973年ハンク・レヴィが作曲したビックバンド用の楽曲です。
ジャズドラマーを志す青年アンドリュー・ニーマンがまさに鞭打たれるが如く教師から罵声を浴びせられ、顔を叩かれレッスンを積んでいく青春音楽映画、いやスポ根ものとも言えなくないです。低予算3億で制作された作品ですが第87回アカデミー賞助演男優賞(J・K・シモンズ)・録音賞・編集賞3部門を受賞。この助演男優賞を受賞したのが鬼教師のテレンス・フレッチャー(役名)になります。監督自らが体験したことが作品の元になっているそうです。
あらすじは以下のようになっています。
名門音楽学校に入学したニーマン(マイルズ・テラー)は、伝説の鬼教師フレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドにスカウトされる。ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心はかなったも同然。だが待ち受けていたのは、フレッチャーの常人には理解できない「完璧」を求める狂気のレッスンだった。浴びせられる罵声、仕掛けられる罠…。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマンだったが……。
『セッション』を観た感想(ネタバレあり)
まずCDを再生する映像で「ああバディ・リッチなんだ…」という所に目を引かれました。主人公の彼が目指すはストレート・アヘッド・ジャズではなくビック・バンド・ジャズのドラマーなのです。普通のジャズ・ドラマーならアート・ブレイキーやケニー・クラーク、マックス・ローチやトニー・ウィリアムスなどが師と崇めうる存在ではないかと思っていましたが、この映画はビック・バンドが主体でした。
なのでジャズならやっぱりアドリブが注目される点でしょうが、結構譜面重視な描写が多いです。勿論アドリブもあるのですが。
始めはトントン拍子で上手くいっている様子が続くのです。
学校でも高名な指揮者のフレッチャーのバンドに誘われ、彼女も出来ていわゆるリア充というやつですね。ちなみにこの映画のシェイファー音楽学校というのは架空の学校のようです。アメリカの名門音楽学校であるジュリアード音楽院やバークリー音楽大学のようなイメージではあります。
しかしこのフレッチャーのバンドに参加した時点から空気が変わり始めます。 音を外したという生徒が1人退出させられその後主人公ニーマンもその餌食となります。上で貼っている予告編での描写と一緒ですが、椅子が投げつけられ頬を叩かれた上にツバ飛んでくるだろうというぐらい顔を近づけて常軌を逸した罵声。ここで涙す主人公。
観てるとこっちまで心が折れそうに…出たよ鬼軍曹。
それから狂気じみたレッスンに耐えながらまさに血が滲む努力が続く描写が流れます。
- 皮が剥け出血し痛みから叫ぶ。
- 偉大なドラマーになりたいと彼女ともお別れ。
- 氷を入れた水に手を浸し血の色に染まる氷水。
- ドラムを叩くたびの痛みか?それとも葛藤か?絶叫。
- 速くと煽られスネアの上には鮮血が。
このような甲斐あって大きなコンペのドラマーに選ばれますが、遅刻や大事故という不運にまみれ、大怪我の中コンペに参加するもスティックを落とし叩き続けることが出来ずにコンペ終了。とうとう鬼教師フレッチャーに襲い掛かりクビ宣告。ジ・エンドです。
温厚そうでとても人に手を挙げるようなタイプではない彼がブチ切れたのも頷けるストーリー展開でした。観た誰しも思うことでしょう。いいよ怒ってと。 現代の日本ではこういったパワハラまがいの教育指導行為は昔と違って容認されないような形に向かっていますが、厳しさと嫌がらせは紙一重となることも多いと思わせてくれる物語です。誰しも辛いことを望むことはないでしょうけど、辛いことと努力もまた紙一重なのかなと。
フレッチャー役のJ・K・シモンズは徹底的に悪役を演じているので、どうしても主人公に感情移入したくなってしまいます。フレッチャーがチャーリー・パーカー(アルト・サックス奏者)の故事を引き合いにして厳しくて当たり前だと自己正当化を図るところも「何だかなー」と思う節があり、ドラマーなんだからドラマーとしての至言を語ってやれよと思ってします。
物語は佳境に向かい主人公も教師も音楽学校を辞めます。たまたまその教師がジャズクラブでピアノを弾いていたところに出くわし、そこで主人公が元教師より音楽祭への出演オファーを受けそれを承諾。
教師から生徒への温かい手が差し伸べられたのかと思いきやここでフレッチャーは罠を仕掛けているのでした。しかしこの罠を跳ね除けるだけの力量と精神力を主人公は身に付けていました。最後の10分は圧巻というラストを迎えます。どうして邦題がセッションなのかここを観ればよく分かる作りです。師弟のセッションが繰り広げられます。
どのようなセッションかは観てのお楽しみということで。
ラストが尻切れとんぼのようにバッサリ終わっている為、この後もし話が続いていたとしたらどうなっていたのだろう?とここは鑑賞した人の想像にお任せする終わり方になっています。罠を仕掛けた側のフレッチャーの反応が観たかったです。
音楽家は世間とは多少異なる異質なフィールドで色々なものを獲得していかなければならない職業ですので費やすコストは多大です。将来音楽で生きていきたいと思う方は観ておいて損のない作品です。
以上 セッションを観た感想でした。