評価:★ 1.0点
長い仮死状態から醒めたとき、先住生命体が「地球」と呼んでいる、私の戦略目標の惑星は目の前だった。
私は『プレデター=捕食者』と呼ばれる事もあるが、本来は兵士だ。
私は、辛く厳しい訓練を経て、無意識の内に敵に反応する強靭な精神と肉体を作り上げた。
長期に渡った訓練の目的はただ一つ、すでに危機的な状況にある我が母なる惑星の代りとなる、安住の地を探すことだ。
今日この時にも、我が同胞が日々喪われていく。
私は、我ら種族を守るためには、我が命を異星に朽ちさせようとも後悔はしない。
私は、他星の生命を根絶やしにすることに懺悔をしない。
どんな生物種にとっても、自らの遺伝子を後世に少しでも多く残すことが義務であり、DNAを拡散するということが生きるということだ。
自らの利益を最大化するために、全ての生命は格闘するのだ。
だから、私もそうせねばならない。
我々が生きられる可能性のある惑星を、命をかけて確認し、少しでも異生物を抹殺するのだ。
この「地球」は 、同胞の生存確率90%の惑星だ。
私の持つ全ての兵器・兵装の点検が終わり、今、全ては完璧に整備された。
我が戦闘艇の戦略コンピューター上には、眼前の惑星の武装レベルと、先住生物の生態が、余すところなくデーター化されている。
これから私が始める戦闘行為の詳細も母星に全て届けられるはずだ。
コマンド・インジケーターは全てクリアーで、この艇の兵装を使わずとも帯行武装だけで、この惑星の生命体を10回は絶滅させられると戦術データー情報は告げている。
戦闘艇で焼き払うのは簡単だが、やはり先住生命体の前に立ち直接に殺傷攻撃を加えるのが望ましい。
より詳細な情報を得るためもある・・・・・しかし、それよりも私の中の兵士の血が騒ぐのだ。
この星の、ゴミクズのような命を容赦なく殲滅する。
もし私に万が一のことがあったとしても、我が同胞の為にこの命を捧げる機会を得たことに対して、私は使命感と義務感を感じると同時に、大いなる喜びを持っている事をここに銘記する。
この映画で描かれた「アメリカン・スナイパー」とは、「イラク兵」や「イラク国民」にとっては、上で描いた「プレデター」のような存在ではないかと思えてならないのです。
完全武装のテクノロジーの鎧をまとい、素手に近い市民を殺す兵士。
もちろん、この映画で語られたようにアメリカにはアメリカの正義があり理屈があるでしょう。
しかし、殺される側の「イラクの人々」は、この映画をどう見るでしょうか・・・・・
イラク戦争に4度出征し、アメリカ海軍ネイビーシールズの伝説のスナイパー、クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)。彼は仲間を援護するため160人の敵を倒す。
そんなクリス・カイルの自伝を元に、クリント・イーストウッド監督が、特有の抑えた演出と、多面的な人物描写で、このイラク派遣兵の苦悩を描いていると感じます。
そこには、アメリカの愛国者が持つ義務感と責任感により、個人としてのクリス・カイルが傷付き、またその周囲の家族も同様に痛みを覚えなければならない姿が描かれます。
実際映画としては、地味ながら、国家に忠誠を尽くした男の英雄像と、人間的な苦悩を描いた秀作ではあるでしょう。
そして、アメリカ人なら「個人の幸福を犠牲にし、国家のために尽くした英雄」だと、涙を禁じえないかと想像します。
しかし、アメリカ人ではない私は、やはりこう問わねばなりません。
アメリカよ、なぜイラクで戦ったのか?
アメリカに正義はなかったと世界中が知っているのに、なぜイラク人は血を流さねばならないのか?
アメリカよ、なぜアメリカ人もクリス・カイルのように苦悩し、血を流すのか?
アメリカよ、なぜ戦い続けるのか?
この問いに対して、クリント・イーストウッドも含めて、アメリカ人はこう考えているはずです。
世界の平和と正義を守るために、アメリカ国民たる者「身命を捧げる」べきであると。
しかし、もう世界は知ってしまった。
アメリカが守るのは、トランプ氏の言葉を待つまでもなく、アメリカの国益とアメリカの平和でしかないことを。
そう考えたとき、この映画にはもう一つ客観的な視点を入れなければならなかったはずです。
人類にとって、アメリカの行動は正義なのか?
アメリカの利益の為に、他国を侵略してもよいのか?
アメリカという国家の為に、国民にこの映画で描かれたような苦痛を与えてもよいのか?
と――――――
この映画は、本来この兵士の姿を通して、アメリカの欺瞞こそを追求されるべき映画だったはずなのです。
しかし、この映画でハッキリしたのは、クリント・イーストウッドはアメリカ合衆国の正義をまだ信じていて、この映画で描かれた戦争は正義の闘いだと信じているということです。
また、戦争映画として過去最高のアメリカ国内収益を上げた事実からすれば、アメリカ人にとってもアメリカ合衆国の闘いに正義があると思っているという事実です。
再び言いますが、アメリカ合衆国とアメリカ人にとっては、この映画のクリス・カイルという兵士が英雄であり、アメリカの正義のために個人の幸福を投げ打っても、アメリカの為に戦った人間だと認識されているとしか考えられません。
しかし、アメリカ以外の人々にとっては、クリス・カイルという兵士は、アメリカ合衆国の利己的な国益のために犠牲になった、哀れな被害者だと感じないでしょうか。
さらに、イラクの人々にとっては、まさしく悪魔としか思えないでしょう。
硫黄島の手紙で、敵の痛みを描き得たクリント・イーストウッドにしても、現在進行形の戦争については客観的に判断が出来ないようです。
ましてや一般のアメリカ人にとっては、アメリカは偉大で正しい国と信じているでしょう。
それゆえ、アメリカは明日も自らを正義と信じ、世界一の軍事力を振りかざし戦い続けるでしょう。
この映画を見て国のために尽くす姿に感動したアメリカの人々は、必然的に戦うという意思と熱意を強く持つことでしょう。
この映画は、そんなアメリカの正義のために、人々は戦うべきだという「プロパガンダ映画」だと言わざるを得ません。
アメリカよいい加減にしてほしいと、心から望むのですが。
アメリカの戦争映画:『プラトーン』/『フルメタル・ジャケット』/『ハートロッカー』
スポンサーリンク
ど〜もありがとうございます。
アメリカの戦争映画を見ていつも思うのは、殺される側に対する謝意がないということで・・・・それは、悪いと思ってないからだとしか思えないですm(__)m