少し前から”プロブロガー記事”が物議を醸している。
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記事の炎上はいわゆる「はてな界隈」を飛び出し、痛いニュース等でも取り上げられる程で7月2日の更新で下半期のトップバッターとしては申し分ない火力であると言える。
痛いニュース(ノ∀`) : プロブロガーが「なんでもやる」と1日を50円で販売 「日雇いバイトで労働して稼いできて」→大揉め - ライブドアブログ
そんなプロブロガーの話の中で「自由」と言うワードを良く目にする。
実際の所、彼ら彼女らの言う「自由」とは何に対しての自由なのだろうか?
また、自由とはプロブロガーにならなければ手に入らない物だろうか?
自由な職業 プロブロガー
それぞれのエントリーを読みまして。
プロブロガーになる事が自由になる事とイコールになるのか甚だ疑問に思う。
と、同時に会社で働く事がそんなに不自由なのだろうか。
自由
自由(じゆう)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう
Wikipediaからの引用ではあるが、自由の定義としては上記の物が挙げられている。
「他のものから拘束・支配を受けないで」とあるが生きて行く以上は何かしらの方法で金銭を獲得していかなければならない。
ある意味において現代に生まれた以上、人は「金」に拘束されている。
やりたい事を実行するにあたって大抵の制約を取り除いてくれるのが金であり、また制約を課すのも金だと思う。
彼の言う所の「自由」の定義が解からない。
自由である事は「状態」のはずであり、目的ではない。
自由である状態そのものが目的だとしたらそれはあまりに空しいのではないだろうか。
それとも、もっと単純にシロクマ先生のエントリーの通りなのかもしれない。
あるいは、リンク先の大学生さんは、ごく単純に「他人に指図されない生き方=自由」とお考えなのかもしれません。しかしプロブロガーとして本当に生計を立てていくためには、他人に気を遣い、カネに気を遣い、読者に気を遣うわけですから、人の間で生きていく不自由さは小さくはならないはずです。
他人に指図されない生き方がプロブロガーだとしてもブロガーである以上、ある程度の間隔で記事を書かなければならい。
サラリーマンとの違いは、明確な指示があるかどうかの違いでしかなく読者=他人に気を使うと言う事では大差無い。
読者が求める物を書いていく、と言う事は間接的に読者からの指図によって書いていると言えるかもしれない。
更新が滞れば読者は減り、売上は落ちる。
ブログ以外のメディアだとしても、更新頻度の低下はそのまま発信力の低下に繋がり売上の低下に結びつくだろう。
読者の為に記事を書く。
顧客の為に仕事をする。
どちらも、他人の為に金を介在させて何かをするという意味では違いを感じない。
プロブロガー=フリーター?
”プロブロガー”と言う響きにはかつて90年代~00年代に跋扈した”フリーター”と同じ物を感じる。
フリーター
フリーターは、日本で正社員・正職員以外の就労形態(契約社員・契約職員・派遣社員・アルバイト・パートタイマーなどの非正規雇用)で生計を立てている人を指す言葉。
当時は「本当の自分らしい働き方」「時間に囚われない自由な働き方」等持て囃されていた。
ただ、あれから20年程経過してフリーターの実態はどうだろう?
新しい働き方で自己実現! 仕事も生活も幸せいっぱい! と言う話はあまり聞かない。
(これは貧困報道の空気感がフリーター=社会的弱者として不安を煽りたがる為に活躍しているフリーターでは無く、「あえて」かわいそうなフリーターを集中してピックアップしている様にも感じる)
個人的には正規・非正規と言う雇用形態にはあまり意味を感じないし、同一動・労同一賃金であるべきだと思う。
ただ、金を得ると言う事は多くの人にとって大なり小なり自分の時間を切り売りする事になる。
効率の違いはあるかもしれないが金の為に拘束は、される。
プロブロガーは快か? 楽か?
ブログやその周辺の活動で生きて行く、生業とする為にも自由を制限されなければならない。
なぜなら、金を稼ぐと言う行為は基本的に自分のリソースである自由を売る事に他ならないからだ。
自由を手に入れる為にプロブロガーになる?
自由を手に入れる為に自分の自由を売ると言うならば、それはプロブロガーと言われる人が蛇蠍の様に嫌っているサラリーマンと同じ事にならないだろうか?
「生計を立てる」などというスケールの小さい意識のもと、カネに汲々としながら活動するすべては不自由ですよ。それは、プロブロガーもサラリーマンも小説家もアイドルタレントもたぶん同じ。
若人が自分が本当に好きな事・やりたい事を仕事にして行くんだ、と言うならそれはそれで可能な限り応援したい。
しかし定義の不明確な「自由を手に入れる」為や、就職活動を放棄する為にプロブロガーを名乗るのであれば労働を放棄しているのとイコールではないだろうか。
少し前だが仕事について面白いエントリーがある。
「僕はよく、『快楽』って言葉にかこつけて言うんですが、人生は『快』と『楽』の二者択一じゃないかと。
何かを一生懸命やって、それができた時が『快』。『楽』ってのは、ああもういいやって言ってやめてビールを飲んで寝ころんで、ナイター見る(笑)。それが、『楽』です。」
生きていくには、お金が必要です。で、人生では多くの時間を仕事しているので、その仕事の時間を「快」にして、お金につなげていくと永続的に幸せでかつお金に困らないのです!
「楽」をしていると将来先細りになるので、そっちを目指すのは不安の多いこの時代にすべきではない。終身雇用の時代には、楽なポジションで定年まで上手く立ち回るという選択肢も可能だったかもしれないけれど・・・。そして「楽」は慣れてしまうので、幸せじゃないという罠。「カイジ」に学ぶ、楽しく仕事をする唯一の方法。 - ミニマリストは世界を変える!
サラリーマン、と言うか一般的に言われる普通の職業だってそう捨てた物じゃない。
それぞれの仕事にそれぞれの”快”が有り、面白みがある。
毎日満員電車に乗って、死んだ魚の目と揶揄されながら会社に行って、嫌な上司に付き合って、帰るのは毎日終電近く。
そんなテンプレみたいなサラリーマンだけじゃない。
もっとアグレッシブに働いている人も多い。
茶髪に上下ワインレッドの服着て営業に来る人や、慣れているお客さんとは言えTシャツ&サンダルにママチャリで打ち合わせに来ちゃう人もいる。
「いやーこの後、家まで帰るんでチャリで来ちゃいました!」
(割と固い会社との合同打ち合わせだったんだけど……)
ついでに副業NGの会社も多いが、ぶっちゃけ「副業」の定義も曖昧だ。
NGと言いつつ、社長や取締役が他の会社の役員やってたりする。
あれは副業ではないのだろうか……?
サラリーマンしながら副業でも全然OKだ。
要は会社が必要とする時に、必要なパフォーマンスを発揮できれば良い。
自分の裁量で仕事を進めて余った時間は好きに使えばいいと思う。
結局は自分次第で如何様にでもスタイルを変える事は可能だ。
サラリーマンを「サザエさん」の波平さん・マスオさんの様に思っていると大間違いである。
サラリーマンの世界はそんな平坦な世界じゃない。
日曜日のアニメで言うなら「ワンピース」が一番近い。
新しいステージ(仕事)に進む度に今までの常識が通じないスゲー奴らが出てくるのだ。
服装とか個性とかもう本当にワンピースのレベル。
本当にもうむちゃくちゃ。
自由ってどこにでもあって自分の認識次第なんじゃないかと思う。
シロクマ先生のエントリーでも書いてあるが、ブログに関して言えば金が絡む”プロブロガー”よりも兼業ブロガーの方が収入を気にしない分、本来の意味での自由度は高いだろう。
ブロガーと言う言葉では括り切れないが、坂爪圭吾さん (id:ibaya)の言葉でプロの矜持として感銘を受けた物があったので最後に紹介したい。
以前からブログを読んでいるが坂爪さんはプロブロガーだとかそう言うのは関係無くて、ただ「生きる事」に真摯なのだと思う。
私は「生活のために生きる」ことよりも「生命のために生きる」在り方を優先させていきたいと思っている。そんなんじゃ生きていけないよと言われても、周囲の人間からどれだけ散々に罵倒されても、仕方がない、自分にはこうすることしかできなかったのだという『必然性』の中に、自分として生まれたことの喜びを見出していきたい。
プロの定義は「飯が食えていること」なんかではなく、食えなくとも、それで生きると決めた人間の覚悟だ。
【FSZ-表参道】プロの定義は「飯が食えていること」なんかではなく、食えなくとも、それで生きると決めた人間の覚悟だ。 - いばや通信
それでは、また。
(ただ、このタイミングでプロ宣言しブログを開始するあたり、冒頭のブログサイト自体が釣りの様な気もする。)
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