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私は幼稚園のころ生まれて初めて映画館に行き、『ゴジラVSビオランテ』を観た。正直その時のことはほとんど覚えていないし、内容もほとんど理解できなかったと思うが、その時からゴジラにハマり、今に至るまで怪獣特撮ファンとして生きてきた。

90年代中盤まで、ゴジラのコンテンツパワーは凄まじいものだった。毎年1本ゴジラが劇場公開され、興収2~30億を稼ぎ、ジブリと競うようにその年の邦画ランキング1、2位を獲っていた。特撮が大衆娯楽のトップになりえたのだ。しかしゴジラのコンテンツパワーは、『VSデストロイア』( 95年 ) の観客動員400万人をピークに急激に凋落していく。ピークから9年後の『FINAL WARS』( 04年 ) では観客動員は100万人にまで落ち込み、ゴジラは眠りについた。

なぜ、ゴジラというコンテンツは急速に観客に受け入れられなくなってしまったのだろうか。
私はエンタメ業界でプロモーションの仕事をしている。特撮ファンである上に、日々ひたすらユーザー行動の分析をしているので、ゴジラというコンテンツからユーザーが離れていった原因はずっと気になっていた。『シン・ゴジラ』公開も近づき、ちょうどいいタイミングでもあったので、この疑問に向き合ってみることにした。
本稿では、「なぜゴジラは受け入れられなくなったのか」の理由を探っていく。そしてそれを踏まえ、『シン・ゴジラ』ヒットのためには何が必要なのか、無責任な提言も行いたい。

とはいえ、詳細に裏を取りながら検証していくととんでもないスケールの作業になってしまうので、本稿では参考データを横目で見つつ、ほどほどの厳密性で考察していく。・・・ということで、話半分で読んでください。反証があれば、むしろガンガンいただきたい。自分の認識を正すためにも。

なお本稿では、ゴジラという単語は「日本版ゴジラ」という意味で使用する。98年、14年のハリウッド版『GODZILLA』は日本版ゴジラとはまったく別のブランドイメージの作品であるため、日本版ゴジラとは区別する。


【 おさらい : ゴジラの興亡 】==========
さて、それではまず84年以降に注目して、ゴジラの興亡を振り返ってみよう。
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75年の『メカゴジラの逆襲』から9年を経て、84年度版『ゴジラ』発表の時点で、ゴジラというコンテンツはすでに一度陳腐化していた。大森一樹氏が、当時の状況を端的に表すエピソードとして、84年度版『ゴジラ』の予告編を見るなり「なに・・・?今さらゴジラ・・・?」と失笑したカップルの話をしていたものだ。

が、大人の客層にも耐えうる内容を狙って作られた84年度版『ゴジラ』と『VSビオランテ』でイメージの一新に成功。ファミリー層向けに路線変更した『VSキングギドラ』から、ゴジラは1級エンタメコンテンツとしての地位を再獲得した。

ところが、上記のグラフでは人気絶頂のタイミングに見える『VSデストロイア』を最後に、VSシリーズは休止期間に入る。これは、東宝が自社でゴジラを製作するのを止め、ハリウッド版『GODZILLA』に引き継ぐ予定だったからだ。『GODZILLA』はシリーズ化を前提とした企画であり、東宝はその著作権使用料と国内配給で稼ぐ計画だった。実はこの時期、東宝は配給・興行で稼ぐ経営方針にシフトしようとしており、ほとんど自社で映画を作っていない。東宝が映画の自社製作をやめた理由を感覚的に理解するには、以下のグラフを見るのが一番手っ取り早い。
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( 東宝株式会社ホームページ「映画興行事業の再編」 (Click!) 
( 一般社団法人日本映像ソフト協会ホームページ「各種調査報告」 (Click!) 

65年以降、全国の映画館数と劇場来場者数は減りつづけ、95年に底を打った。また、ビデオ/DVD市場でも邦画ジャンルの売上は横ばいで、大幅な改善は期待できない状態。日本の映画産業は、死亡寸前だった。東宝は、金がかかってリスクの高い映画製作メインの商売から、配給・興行のみを行う会社へ軸足を移そうとしたのだ。94年に「ゴジラに次ぐコンテンツの柱にする」と宣言し、東宝が総力を挙げてメディアミックス展開した大作『ヤマトタケル』が失敗したトラウマも、配給中心のビジネスへ方針転換を進めた理由だろう。
( 日本映画産業の絶望的な状況は、シネコンの普及やコンテンツビジネスの市場拡大により改善していくが、それはまた別の話 )

結局、『GODZILLA』が想定以下の利益しか生まなかったのと、国内の映画産業に復活の兆しが見えはじめたため、東宝は『ミレニアム』でゴジラ製作を再開することになった。しかし4年のブランクを経て公開された『ミレニアム』以降、ゴジラは急速に失速していく。


【 考察 】==========
さて、前提条件のおさらいはこのぐらいにして、考察を始めよう。

なお、考察にあたり、「特撮はCGに負けた」的なステレオタイプな見方ではゴジラ凋落の説明はつかないと思っていたのだが、ゴジラファン層の成長ステージや、『VSデストロイア』以降の特撮映画の供給傾向を鑑みると、やはり96年ごろから始まるハリウッドのVFXディザスター映画ブームはゴジラの失速に大きく寄与した、という結論になった。順を追って説明していきたい。

ゴジラ映画観客動員数のグラフを振り返ると、大きく2つの失速ポイントがあるのが分かる。
『VSデストロイア』と『ミレニアム』の間にある観客の大幅減(第1の失速)と、
『大怪獣総攻撃』と『×メカゴジラ』以降起こる観客の大幅減(第2の失速)である。
まずは第1の失速の理由から考えていこう。ゴジラ映画が公開されない4年の間に、何が起きていたのか?ゴジラ映画の客層をいくつかのデモグラフィックに分け、個別に推察していく。ここでは、ゴジラ映画の客層を以下①~③のタイプに大別する。

< ①ファミリー層 >
家族でゴジラ映画を観に来る層で、動員数への寄与は一番多い。親と、小学生までの子供(大多数は男子)で構成される。この小学生男子は、成長とともにゴジラを“卒業”していくものと、ゴジラへの愛着度を高めて②の若年ゴジラファンに進むものに分かれる。

< ②中学生以上の若年ゴジラファン >
1人または友人とゴジラ映画を観に来る若年ファン。VSシリーズで始めてゴジラに触れた層。家族でゴジラを観に行ってファンになり、親離れ以降は自発的に映画館に通う。成長とともに緩やかにゴジラを“卒業”していく。一部はそのまま残って③の古参ファンに変化する。

< ③古参ゴジラファン >
『メカゴジラの逆襲』以前からゴジラを追っているような人。時代や作品に変化があってもゴジラを追いかけ、規模は小さいものの必ず一定の動員数に寄与するコアユーザー。

もちろんこれ以外にも様々なデモグラフィックの観客がいるはずだが、動員数に占める割合としては、この3集団を抑えておけば8割方カバーできると考える。


< ファミリー層に何が起こったか >
95年以降、4年に渡ってゴジラ映画が作られなかったことで、単純に新規ファンの流入が減ることになった。この時期は、特撮映画として『ガメラ』2、3と『モスラ』3部作、『ウルトラマンゼアス』があったため、ゴジラに繋がる入り口が完全に絶たれたわけではないものの、横綱たるゴジラと比べて動員規模は小さい( 『ガメラ2』『ガメラ3』の動員はVSシリーズの1 / 3であり、またファミリーで見るにはやや難易度が高い。『モスラ』の動員はゴジラVSシリーズの6割程度 )。
ファミリー層は、ゴジラというコンテンツに対するこだわりが一番弱く、流動的に接する。常に一定数が新規流入し、一定数が成長とともに“卒業”するサイクルであるため、新規流入が減った以上、ファミリー層の母数は4年で純減したと考えられる。
それに加え、後述の「特撮イメージの低下」がこの後さらに影響を及ぼしていくことになる。


< 若年ゴジラファン層に何が起こったか >
『VSデストロイア』以降の4年間、中学生以上のゴジラファンにとって、彼らが望むような怪獣特撮映画の受け皿は『ガメラ2』『ガメラ3』の2本を除き、存在しなかった。
『モスラ』『ウルトラマン』は明確にゴジラシリーズよりも低年齢の小学生層を狙った作品であり、中学生以上に成長した彼らのニーズとは乖離していた。また、消費者として他の年齢層より自尊心が強く周囲の目を気にする中学生・高校生がこれら“小学生向け”映画を観に行くには、ユーザー心理として厳しいものがあった ( 「え?平成モスラシリーズもウルトラマンも、中学で観に行くの余裕じゃね?」と思ったあなた。こんなマニア向け記事をここまで読み進めている時点で、ご自身の感覚が一般人とだいぶズレているとご認識くだされ )。

それでは、VSシリーズとともに育った若年ゴジラファンは何を観ていたのか?
ゴジラの不在と時を同じくして、ハリウッド映画に「VFX都市破壊ムービー」とでもいうべき新ジャンルが生まれた。その最初期の作品が、96年の『ツイスター』と『インデペンデンス・デイ』である。

80年代以降、巨大建築1つや街区1つがふっ飛ぶようなスケールのアクション映画は数多くあったが、現実の大都市1つが丸々ぶっ壊れていく様を描写したハリウッド映画というのは意外にもほとんど無かった。( 84年~95年の間では『ゴーストバスターズ』ぐらいしかないのでは )
現代のリアルな大都市が破壊されていく描写は、90年代中盤まで、日本の怪獣映画しか提供するものがなく、ハリウッド映画と直接比較ができない、唯一無二の映画体験だったのだ。ところが、日本が独占していた都市破壊映像に、ついに直接的な比較対象が出てきてしまった。

96年『インデペンデンス・デイ』、『ツイスター』
97年『ボルケーノ』『ダンテズ・ピーク』
98年『ディープ・インパクト』『アルマゲドン』『GODZILLA』

これらの作品が描いた圧倒的な破壊ビジュアルは、「都市破壊」という映像に対する観客の評価基準を急激に、そして大幅に書き換えた。

これは、「ハリウッドは最新のCGを使えたから日本の特撮よりもすごかった」という話ではない。
たとえば『インデペンデンス・デイ』は、当時最高峰のミニチュア特撮映画でもあった。巨大UFOがホワイトハウスを破壊するシーンのミニチュアでは、ハリウッドのスタッフ達が「画面にハッキリ写らなくとも、極限までリアリティを追求すべきだ」という信念のもと、ホワイトハウスの外観はもちろん、屋内の家具まで手作業で作りこんでいた。
この場面のメイキングを見た樋口真嗣氏は、「細かい手作業が日本の強みだと思っていたのに、向こうは潤沢な予算と製作期間の上に日本と同じレベルのこだわりまで持ち合わせていた」と衝撃を受けたと語っている。この樋口氏の言葉が、日本がこの分野で絶望的な差をつけられてしまった理由を端的に言い表しているだろう。

そんなわけで、中学生以上の若年ファン層は、ゴジラ不在の間にこれらのハリウッドVFX映画の洗礼を受けて育っていくことになる。この間に、彼らはハリウッド規模の予算で造られた都市破壊ビジュアルをベンチマークとして持つことになり、彼らの中で日本の特撮映画の価値は相対的に低下していった。


さらに、ここで生じた日本とアメリカのビジュアル面のクオリティ差は、理解の浅い世間一般層からは「日本の古臭いミニチュア特撮」「ハリウッドのカッコいいCG」という歪められた対立構造で理解されてしまった。上述の『インデペンデンス・デイ』の例が示すとおり、実際はそんな単純な図式ではないのだが、少なくとも世間の大多数の人間がそう理解してしまったとき、それは「事実」として流通し始める。当時をリアルタイムで体験していた人は思い出してほしい。「日本の怪獣映画ってさ、着ぐるみとかミニチュアなのが一発で分かるじゃん?ハリウッドのは全部CGだから超リアルなんだよ」的なことを話す奴が大量にいたことを。
93年の『ジュラシック・パーク』以降高まりつつあった「日本の特撮=古くてダサいコンテンツ」という世間のイメージが、この時期から急速に一般化されていく。これにより、ファミリー層や若年ファン層の間にも次第に「ゴジラはダサい」という認識が広がっていき、彼らが『ミレニアム』以降に再びゴジラに戻ってくるのにブレーキをかけた。こうしてファミリー層と若年ファン層の相当数が、『VSデストロイア』を最後にゴジラを離脱することとなった。


< 古参ゴジラファンに何が起こったか >
一方、古参ファンにはほとんど何も起きていない。彼らは何があろうとゴジラを追い続ける、もっともゴジラへの愛着が強い人々だからだ。何年待とうと、隣のスクリーンでハリウッド超大作を上映していようと、それはそれとしてゴジラは観る。ので、この人たちは増えも減りもしていない。


ということで、いったんまとめてみよう。
■4年間のゴジラ映画不在の間に、新規ファンの流入が減少した。さらに、VSシリーズでファン化した若年層が、この時期勃興したハリウッド発のディザスター映画に流れていった。また、世間一般には「日本の古臭い特撮」「ハリウッドのカッコいいCG」という極度に単純化した理解が広まり、ゴジラブランドの求心力が大きく低下した。
・・・これが第1の失速の主な理由であると考える。第1の失速が特に急激なものに見えるのは、数年をかけてゆるやかに形成されていった「特撮=古い・ダサい」という世間の概念が、4年のブランクを経て突然可視化されたからであろう。


さて、続いて第2の失速について考えてみよう。
第1の失速によりファンの絶対数が減ったゴジラの観客動員数は、『ミレニアム』『×メガギラス G消滅作戦』で大きく落ち込む。コンテンツとして死の瀬戸際に立たされたゴジラは、しかし01年の『大怪獣総攻撃』でいったん観客動員240万人に回復する。
『大怪獣総攻撃』で何が起こったか。ご記憶の方も多いだろう、『とっとこハム太郎』との同時上映である。当時人気絶頂だったハム太郎バブルに乗っかり、ゴジラの人気は一時的に回復したかに見えたが、続く『×メカゴジラ』以降、動員数を再び急激に落とし、『FINAL WARS』をもって終了となった。ここで起きた出来事を、まずはファミリー層から考察していく。


< ファミリー層に何が起こったか >
『大怪獣総攻撃』の復調は1作限りのもので、「×メカゴジラ」以降すぐに失速した。新規ファンが根付かなかったのだ。それはなぜか。
なんといっても、作品の食い合わせが悪かった。子供たちは、ハム太郎とセットで、平成ゴジラでもダントツに怖い『大怪獣総攻撃』を観せられたのである ( 当時私が観た回でも、ハム太郎目当てで来たであろう親子連れが、『大怪獣総攻撃』の途中で退出していった )。小さな子供達があれを観て「ゴジラ大好き!」になると、東宝は本気で思ったのだろうか?
映画館を訪れたファミリー層は、ゴジラ映画をむしろ「地雷」と認識し、今後は避けるべき作品として認識したであろう。そもそも、「大人は楽しいが子供は怖いコンテンツ」と「子供は楽しいが大人は退屈なコンテンツ」を1つにパッケージングするという方式自体に致命的な問題があったとしか思えない。

さらに、『ミレニアム』以降の弱点として、6作のうち世界観を共有しているのは機龍2作のみで、各作品の設定がバラバラだという問題もある。ゴジラ以外に作品ごとの継続性・統一性がなく、追いかけるべきお馴染みのキャラクターもいない。これでは本当にゴジラ目当てのコア層以外は継続視聴のモチベーションがもたない。こうしてファミリー層は、ゴジラから離脱した。


< 若年ゴジラファン層に何が起こったか >
VSシリーズで育った新世代ゴジラファン層の中でも一番若い層を『VSデストロイア』時点で小学1年と仮定しよう。彼らは4年のブランクを経ても『ミレニアム』と『メガギラス』は観に行ったかもしれないが、『大怪獣総攻撃』時点では中学1年である。中学1年はハム太郎と同時上映の映画なんか見に行かない。また、『VSスペースゴジラ』以前にファンになっていた少年たちは『大怪獣総攻撃』時点で中学2年~高校生。彼らに関しても言わずもがなだ ( 先ほども書いたように、中学生・高校生は他の年齢層よりも周囲の目を気にする消費者である )。
ここで、VSシリーズで育ったファン層とミレニアムシリーズの間に決定的な断絶が生じてしまった。彼らの大半は、精神的な障壁のためハム太郎以後のゴジラを観に行かなかったのだ。

そして、ハム太郎同時上映というハードルは、これまでゴジラ映画を必ず劇場で観ていた中高年の古参ファンすら引き離した可能性がある。ここはちょっとアンケートでも取ってみたいところだ。


ということで、第2の失速についてもまとめよう。
■当時人気絶頂だったハム太郎との同時上映でファミリー層を狙ったが、その方策によりVSシリーズで育ててきた中学生以上の既存ファン層が一斉離脱。さらに同時上映第1作目となった『大怪獣総攻撃』の方向性と、作品ごとの連続性も無いことからファミリー層の継続獲得にも失敗。ハム太郎が数年で失速したころには、ゴジラ単体に付くファンが激減していた。
・・・これが第2の失速の理由であると考える。


あらためて全体をまとめると、
96年以降、ゴジラのメディア上の不在に重なって、ハリウッドのディザスター映画が猛威をふるったことで、ゴジラはコンテンツとしての求心力を急速に弱めた ( 第1の失速 : 『ミレニアム』『メガギラス』が失速した理由 )。
さらにファン層の行動を読み違えてコンテンツ戦略が迷走したことで、既存ファンが急速に離れ、新規ファンも定着しなかった ( 第2の失速 : 『大怪獣総攻撃』以降、急速に失速した理由 )。
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ゴジラ凋落の原因について、全く新しい切り口を提示したというより、以前からファンの間で感覚レベルで語られていた共有認識を改めて補強した感じだが、以上が考察である。


【 どうなる、『シン・ゴジラ』 】=======
さて、ここまで紐解いた「なぜゴジラは受け入れられなくなったのか」を踏まえて、『シン・ゴジラ』ヒットの確度を考えてみたい。
もちろん、商業的なヒットの度合いと、作品としての完成度はまったく別物だということは理解している。しかし、エンタメ映画は純然たるビジネスでもあるので、ヒットしなければ続編も作られない。どうせならヒットしてもらいたい。そして毎年ゴジラ映画を観たいのだ。

まずは、『シン・ゴジラ』がどんなターゲット戦略で作られた作品なのかを考える。
商業エンタメ映画において、ターゲットとなる客層をきちんと決めて作品を組み立てるのは重要なことだ。以前このブログでも取り上げたとおり、『ジュラシック・ワールド』や『スター・ウォーズ フォースの覚醒』は、そもそもターゲットユーザーありきで作品の構成要素やストーリーを組み立てたお手本のような映画だ。劇場版『クレヨンしんちゃん』や『VSモスラ』なども同様だ。

「ゴジラ復活」という企画を考えたときに、ターゲット戦略はおそらく以下の2案に絞られる。

A案 : VSシリーズ初期にゴジラを体験した30代既婚男性&そのファミリーと、VSシリーズ後期・ミレニアムシリーズでゴジラを体験した20~30代独身男性をターゲットとする。そのために、彼らが子供のころ慣れ親しんだ、「怪獣対決路線」を踏襲する。ただし、既存シリーズの踏襲であるため、「古臭い・時代遅れ・子供向けのゴジラ」というマイナスイメージを払拭できないリスクがある。

B案 : ゴジラ経験層との繋がりは重要視せず、全く新しいターゲットユーザーを設定する。VSシリーズ・ミレニアムシリーズのイメージから敢えてかけ離れたゴジラ像を提示することで、過去作のイメージをリセットする。ただし、新規ファンを1から開拓しなくてはならないリスクがある。

『シン・ゴジラ』は後者の戦略を選んだ。
前段で見てきたように、ゴジラ経験層に対するゴジラの求心力はいまや非常に低く、またゴジラ自体に「古臭い」というマイナスイメージが付きまとうため、B案のほうが勝算は高い。また、今後怪獣対決路線に進むハリウッド版『GODZILLA』シリーズとの差別化も図れるので、的確な判断だと思う。( 『メカゴジラの逆襲』までにグチャグチャになったコンテンツイメージを84年度版『ゴジラ』で再構築したのと同じ状況になっていることにも注目 )

東宝は、『シン・ゴジラ』のターゲット客層として「オールターゲット。大人も子供も楽しめるエンタテイメントの塊を目指しています」と回答しているが、これは「マニア向けだと思わずにみんな観に来てね」的な宣言であり、実際には明確なターゲット設定がされているはずだ。
じゃあ具体的に、『シン・ゴジラ』は誰をターゲットにし、どんな作品としてヒットを狙っているのか?その部分を紐解くため「今、日本で映画がヒットする」というのはどういうことなのか、前提を確認しよう。直近3年間のヒット映画を並べてみる。

2013年 日本興行収入ランキング=======
 1  風立ちぬ
 2  モンスターズ・ユニバーシティ
 3  ONE PIECE FILM Z
 4  レ・ミゼラブル
 5  テッド
 6  ドラえもん のび太のひみつ道具博物館
 7  名探偵コナン 絶海の探偵
 8  真夏の方程式
 9  謎解きはディナーのあとで
 10  そして父になる

2014年 日本興行収入ランキング=======
 1  アナと雪の女王
 2  永遠の0
 3  STAND BY ME ドラえもん
 4  マレフィセント
 5  るろうに剣心 京都大火編
 6  テルマエ・ロマエII
 7  るろうに剣心 伝説の最期編
 8  ドラえもん 新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜
 9  思い出のマーニー
 10  ゼロ・グラビティ

2015年 日本興行収入ランキング=======
 1  ジュラシック・ワールド
 2  ベイマックス
 3  映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!
 4  バケモノの子
 5  シンデレラ
 6  ミニオンズ
 7  ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション
 8  HERO
 9  名探偵コナン 業火の向日葵
 10  インサイド・ヘッド

これを見て分かるとおり、今、日本で大ヒットする映画はほぼ2種類。「ファミリー映画」か「デート映画」だ。このランキングを改めて眺め、映画ファンとして衝撃を受けるが、映画館とはそもそも家族連れかカップルのためのものなのである。映画館に1人で足しげく通う我々のような客はニッチな存在なのだ。

「ファミリー映画」「デート映画」に加え、別の切り口でカテゴライズするなら、
「超有名俳優が出ている」「映像がスゴい」「人気アニメ」「女性に受ける」
である (「女性に受ける」が重要なのは、女性は複数人で劇場に行くことが多く、クチコミ波及度も高いので一部に火をつければ周辺層への波及が見込めるから)。

非常に乱暴にまとめると、「上記6つのカテゴライズ要素に○が多く映画ほどヒットの確度が高い」ということになる ( 『ハリー・ポッター』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズを思い浮かべてみよう )。その上で、現在断片的に流れてくる情報を見る分には、『シン・ゴジラ』にはヒットに繋げられる要素が十分ありそうだ。

一番の武器は、有名俳優が大量に出演しているところだ。長谷川博己・竹之内豊らの起用は、「デート映画」または「女性に受ける映画」を実現する最善手であると言える ( ※一般論です。もちろんゴジラ目当てで観に行く女性だっています )。

また、「スゴい映像」に関しても、ハリウッド映画ばりの超スケール都市破壊は無理だとしても、ゴジラの場合は日本の観客が見慣れた景色を破壊することができるため、映像がもたらすインパクトにブーストがかけられる。これは非常においしいアドバンテージだ。
「特撮」という概念自体が、一周回って「日本ならではの技術」「特撮とCGの融合」的な前向きな文脈でも語られるようになった今だからこそ、映像表現への不安が観客を強く遠ざけるということもなさそうだ。
2000年頃と比べれば、デジタル表現のコモディティ化により、国内映画の製作環境でも、アイディアと見せ方次第で安っぽく見えない画作りが格段にしやすくなっている点も追い風になるだろう。

なので、「恐怖」を真正面から描く以上ファミリー層の獲得は厳しいかもしれないが、見せ方次第で「デート層も狙えて、スゴい映像のアピールも可能な作品」という、ヒット映画の方程式に載せることは十分できるはずなのだ。


さて、その上で私が懸念しているのは、プロモーションの方針だ。
個人的には、『シン・ゴジラ』は大コケするということはなく、そこそこちゃんとヒットすると思っている(50億円は行くのでは)。だが、もっと上を狙えるポテンシャルがあるところを、プロモーションの仕方で損をしている気がしてならない。現在展開中の『シン・ゴジラ』のコピーを見てほしい。
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「我々は、何を作ろうとしているのか」
「現実 ( ニッポ ン) 対 虚構 ( ゴジラ ) 」

完全にオタク向けだ。
「製作陣が何に挑んで何を実現しようとしているのか」「震災や原発事故という、フィクションを超えるほど衝撃的な危機が襲った現実をさらに超えるような、圧倒的な虚構の世界を構築する」などというメッセージは、すでにゴジラというコンテンツを理解しきった者にだけ響くメッセージである。果たしてこんな内輪受けのメッセージを見て、ライト層 / 新規層が『シン・ゴジラ』を観に行きたくなるだろうか?

予告動画についても懸念がある。
繰り返しになるが、今のゴジラに大衆を動かすコンテンツパワーはほとんどない。せっかく起用した豪華な俳優陣を、ゴジラの添え物ではなく主役としてきちんと立たせないと、オタク以外の観客を動員することはできない。予告動画にはたしかに人気俳優はたくさん映っているが、ほぼ全員が棒立ちの会話シーンばかり。俳優目当ての観客があの映像を観て、好きな俳優がカッコよく活躍している展開を想起できるだろうか?もちろん、あの映像はティザーなので、これから本予告が出てくるのだと思うが、そこでも同じような編集方針で映像が作られていた場合、多くのお客を取り逃がすことになってしまう。

最後に、全体の露出方針について。
プロモーションの役割は、ざっくり言うなら「認知拡大」と「理解深化」である。現在『シン・ゴジラ』が行っている膨大なコラボは、すべて認知拡大のための施策であり、じゃあ実際に『シン・ゴジラ』はどんな作品なのか、という理解深化の部分はほとんどケアされていない。これが非常に危うい ( パルコでゴジラのポスターを見た女性が、それだけで『シン・ゴジラ』を観に行くようなことは決してない )。

現在はティザー期間なので認知拡大に全力投球し、公開直前から理解深化のための施策を展開していく予定ならよいのだが、東宝側がゴジラのコンテンツパワーを過信し、「ゴジラ新作をやるよ!と名乗りさえすればお客は観に来るはず」と考えているのではないか、という不安がある。いくら露出しても、今のゴジラにそれだけの力はない。『シン・ゴジラ』という作品を理解して、「自分ゴト化」できなければ大多数のお客は映画館にまで行かないのだ。


【 まとめ 】==========
最後の最後で、外野が無責任に不安を煽るような物言いになってしまった。が、ゴジラを愛する気持ちと『シン・ゴジラ』の大ヒットを願う気持ちはホンモノなので、そこは信じていただきたい。マジで。

今回、自分の好きなキャラクターを単なる「コンテンツ」として扱い、その作品群を数字データで評価するのは、私自身も違和感を感じる作業ではあった。しかし、ドライな視点からゴジラを見つめなおしたことで、改めて見えてきたものも多かった。さんざんマーケティング的な観点からゴジラを分析し、この文章を読み返した上で私が今思うことはただ1つ、「マーケティングの理屈なんてクソくらえ」ということだ。だいたい、放射能を浴びたデカいトカゲが、世界中でこんなにも愛されている理由を説明できるマーケティング理論なんてあるか?キャラクターの本当の魅力というのは、数字ではけっして読み解けない部分にこそあると、私は思っている。

理屈はこねまわしてスッキリしたので、期待半分、不安半分、あとは観るだけだ。
『シン・ゴジラ』、楽しみにしています。






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