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時代の流れ

個人のための経営学

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こんにちは、芸術大好きToshiroです。いつもお読みいただきありがとうございます。今回は「時代の流れ」というテーマで書いてみようと思います。

 集団から個人へ

日本の一人当たりのGDPの推移を見て頂ければ分かると思いますが、1997年辺りで成長が止まっており、それ以降はほぼ横ばいです。つまり、97年以前は日本は成長していたけれども、97年以降は成熟期に入ったということです。

97年以前と以後では面白い変化があり、それは、よく言われることではありますが、集団から個人へ、という変化です。

例えば電話。昔(?)の電話は地域に数台、一家に一台というものでしたが、今では携帯電話というものになり1人1台が当たり前です。場合によってはプライベート用、ビジネス用などというように複数台を使い分けている人もいることでしょう。

他にはパソコンもそうですね。一家に一台が1人一台になり、これも仕事用というような感じで使い分けている人も多いと思います。最近ではスマホなんかパソコンを超える勢いのスペックを持つようになりましたし、そういう意味では複数のパソコンを使っている人が大半かもしれません。

電化製品はたいてい一家に一台から1人一台になっていると思います。テレビもみんな持っています。あと電化製品かどうか怪しいですが、車もそうですね、東京だと維持費が大変なことになりますが、地方では家族共用ではなく個人用のを持っている方も多いのではないでしょうか。

そういうもの以外も多くあります。少し前まで男の子のランドセルは黒色、女の子は赤色でした。今は「そんな色まであるの?」というようなものもあります。みんな同じものだったのが個人を対象にしてきています。

学校の制服もそうかもしれません。1校に1つの制服だったのが、最近では制服を3種類くらいの中から選べるようになっているところは増えているようですし、私服可のところもあります。

このように集団から個人へ、という流れがあります。

情報と知識

97年以前の集団の時代において重要だったのが、情報処理能力です。より具体的に言うならば、正解を見つける能力です。1+1は?と聞かれたら2と答える能力です。なぜこのような能力が必要だったのかというと、当時はゴールがあったからです。

この辺のことを言うと歴史や経済、教育に精通している人から「何言ってるんだコイツ」みたいに言われそうなのですが、本が出来てしまうくらいのテーマなので勘弁して頂きたいのですけれども、ゴールというのはつまり西洋です。

「西洋スゲェ!西洋に追いつけ!追い越せ!」という感じでした。西洋という明確なゴールがあるわけですから、西洋のマネをすればいいわけです。そこに創造性は、全くとは言えませんが、必要ありません。だから処理能力が必要になるのです。

なので学校教育はいわゆる詰込教育的な形になっています。これは悪いわけではなくて、97年以前はこれで成功をしました。素晴らしい成果を出したわけです。なので間違っているわけではありません。

しかし、時代の流れ、つまり集団から個人へ、という流れにおいてこれは弊害となります。みんながみんな同じものを欲しているわけではありません。

処理能力の向上を商売に持ち込むと質の追求になります。今、画質が異常までに綺麗な4Kや8Kというテレビがありますが、これがいい例です。しかし質が高いものが売れる時代はもう終わりました。時代が変化しているのです。

集団から個人へと変化が起きています。個人を対象にする以上、その価値観は多様性を含むものになりますが、処理能力(正解を導き出す能力)では太刀打ちできません。

またAIの発達により(ターミネーターの話をするつもりはありません)人間よりもはるかに高い処理能力を作り出すことが出来るようになりました(又は将来的になります)。人間の仕事が機械に奪われるのも当然でしょう。

それに、私たちは学校で情報を叩き込まれたわけですが、情報の価値もいよいよ無くなってきました。いい例がネットです。ネットで検索すればあらゆる情報にアクセス出来ます。誰でも無料で閲覧ができるのです。

道端に落ちている石ころとダイアモンド、石という意味ではどちらも同じですが、ダイアモンドの方が価値はあります。石ころに価値を見出す人は少数でしょう。この違いは希少性です。珍しいからこそダイアモンドには価値があります。

同じように、検索すれば誰でも得られる情報に希少性はありません、つまり価値はありません。この長々と書いているブログも例外ではありません。価値がないからこそ無料で読むことが出来ます(広告収入があると言われそうですが、それは広告を貼るスペースに価値があるのであって、情報そのものに価値があるわけではありません。また価値はなくても意味はあると思われます、ブログで楽しんだり感動することは可能です)。

そこで出てきたのが知識です。情報と知識の違いはなかなか難しい問題ですが、一言でいうならば体系化されているか否かです。体系化されているものが知識で、されていないものが情報です。

今では情報産業が盛んですが、これ以前は農業、工業というように時代が変化してきたわけです。そして工業から情報(今)に来ました。次に起こると言われているのが知識産業です(これは私の個人的な主張ではありません)。

単に情報を処理すればいい時代は終わりました。これからは情報を調理し、違う形で、個人に適した形で提供していくことが求めれます。

それの代表的なところは教育でしょう。これから教育の在り方も変わってくると言われています。教師が授業をするのではなく、ビジネスマンが授業をするようになるかもしれません(出前授業という形で既に積極的に取り入れている学校はありますけどね)

淘汰

色々書きましたが、要はこのように時代は確実に変化しているということです。日本は非常に大きな成功を経験しています。しかし過去に成功したからといってこれからも成功できるとは限りません。むしろ同じやり方をやっていたら失敗するでしょう、時代は変化しているのですから。

今の時代、「男はこう、女はこう」みたいなことを言うと馬鹿にされます。昔はそれが通用していたわけですが、今は違います。

昔は生まれた瞬間に職業が決まるような時代でした。しかし今では、ある程度は自由に選択することが出来ます。

今は恋愛も自由です。過去は「お前はどこどこの人と結婚するんだよ」みたいに決められていました。

このようにあらゆるところで変化が起きています。変化が起きるのは当たり前のことです。このような中で前時代的なことをいつまでも言っていると取り残されます。この時代に前時代的なことを言っていると馬鹿にされるのは言うまでもありません。

時代の流れは川に似ています。川の流れに逆らって泳ごうとすると体力を激しく消耗します。近い内に力尽きるでしょう。しかし川の流れに逆らわず流れに身を任せると非常に楽です。

あまりひとくくりに「日本は」みたいな表現をしたくないのですが、分かりやすさのためにあえてそう表現します。今の日本は川の流れに逆らっているようなものです。

終身雇用なんてたかが50年の歴史しかないのに、それが日本固有の働き方だ、と言って会社にしがみついていたら将来に不安を感じるようになるのも仕方がないと思います。

ビジネスにおいても商品の品質の向上にこだわらずに、もっとマーケティングを徹底すべきです。お客さんの価値観がかなり多様化しているのですから、それに合ったものを提供しないと買ってくれません。気合いや根性では経営は出来ないのです。労働時間を増やしたからといって売上が作れるわけではありません。

進化論で有名なダーウィンが非常に良いことを言っています。あまりに有名な言葉ですが引用しておきます。

最も強い者が生き残るのではなく、 最も賢い者が生き延びるでもない。 唯一生き残るのは、変化できる者である

生物の進化論関係なく、あらゆることに言えますね。変化に逆らっていれば辛くなるのは当たり前です。淘汰されるのも時間の問題でしょう。

とは言っても、やっぱり急に変わるのは無理です。日本の企業はブラック企業とよく言われますが、今生き残っている経営者は大変な努力をしていらっしゃると想像します。インフラが整っていないのだからどうしようもないです。

あまり政治について言いたくないのですが、こればっかしは民間だけではどうしようもないのでは?単純に「労働時間を減らしましょう」のような表面的な問題ではなく、もっと深い、構造的な問題があるのでは?

確かにこれについては、国も動いているようなのですが、ものすごく努力をして下さっているとは思うのですが、もう少し迅速に・・・と思います。

ビジネスでも個人の時代が

時代の流れと一言で言っても色々な流れがあります。その中の1つに経営者(ここでは、人々の生活を支える存在、程度の意味と考えてください)の変化があります。

遥か昔の経営者は、日本においては卑弥呼のような宗教的指導者が経営をしていました。次は国王的な存在です。しかし国王的な存在は独裁者になりがちで、次は国が力を持つようになりました。

敗戦や政治の腐敗などにより国が力をなくしたら次は会社です。日本の終身雇用が保証されていた時代は会社が中心的存在でした。しかし今はその会社が崩壊しつつあります。次に来るのは個人でしょう。

会社に依存するのではなく、自分自身で自分の人生、生活を支えていく(経営していく)のです。今の時代、会社は大きすぎて変化に適応できていません。しかし個人ならあらゆる変化に即座に対応することが出来ます。

数十億円のマーケットが仮にあったとしても、大企業はこれには参入出来ません。規模が小さいからです。しかし個人においては小さすぎることはないでしょう。もちろん独占的に獲得するのは無理でしょうが、個人の生活を送れる程度の収入は見込めるのではないでしょうか。

今後更に変化が大きくなると小規模のマーケットが生まれては消え、生まれては消えというのを頻繁に繰り返すと思います。個人ならばこの変化にも対応が出来るかもしれません。

 

はい、そんな時代の変化において個人的に今後強いんじゃないかなぁと思っているのが芸術家です。情報処理的ではなく非常に創造的であり、また独立した個人という存在である以上、変化にも十分対応して生きていくことが出来るでしょう。

私は芸術が好きで、好きすぎて鑑賞だけでは飽き足らず絵描きになりたいな、と考えているのですが(というかなるつもりでいるのですが)、皆さんも芸術作品を制作して楽しんで行こうぜ!というお話でした。

今回もお読みいただきありがとうございました。
Toshiroでした。それでは、また。

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