仰々しいタイトルをつけました。
ノマドって最近良く耳にしますけど、私は「なんとなく」しか理解できていませんでした。
「決まった職場を持たずにカフェなんかを転々としながら仕事をしている人たち」
の事だと解釈していました。
対して、私も少し前まではそうでしたが、組織の一員として、職場と呼ばれる決まった場所を与えられ、どこでアポイントが入ろうとも、どこで会議が入ろうとも、そこに出勤して、そこに帰社して、そこから退社する。
職場の人間関係は非常に重要です。
なぜなら、そこで人生のほとんどの時間を過ごすことになるのだから。
そうした生き方に対して、使われる言葉「ノマド」
その言葉の真に意味するところを今日は追求してみました。
・一般的な見解
まず、「ノマド」に対しての一般的な解釈はwikipedia先生にお願いようかと。
以下wikipediaより
『「ノマドワーカー」は、ノートパソコン、スマートフォン、タブレット端末などを使い、Wi-Fi環境のある喫茶店など、通常のオフィス以外のさまざまな場所で仕事をする人を指す日本語の表現[1]。また、そのような働き方を、「ノマドワーク」という。』
また、この言葉はMacBookAirをカフェなどで広げる意識高い系の人を揶揄する言葉だとも書かれていますね。私もそんな目で見られてるのかな・・・この記事を書いている今この時も・・・笑
なるほど、要するに、私の元々の解釈は大方あっているということでしょうか。
ただ、一つ考えてみたいのは、我々人間は元来、「安定志向」というものが非常に強い生き物だと昔から言われています。
特に日本人はその典型であり、終身雇用という制度が他国に比べて、現在でもその面影を残しているのは良い例だと思います。
なぜ狩猟型の生活から農業型の生活に移行したのか?
国という枠を作ろうとするのか?
法律で制限をかけようとするのか?
その根底にあるものは実はこの「安定志向」なのではないでしょうか。
ー待てよ。
そう考えると、ノマドという生き方は、そもそも人間のその根底にあるものを覆す生き方なのではないだろうか?
そんな疑問を私は持ちました。
会社に守られた状態、社会的に立場が保障された状態から、自身の力でその場所を守る状態へと移行する。
こうして文字に起こしてみると不思議ですね。
ただ、逆に考えると、それは「会社に所属する」という生き方がもはや「安定した状態」と捉えられなくなってきている人が増えている、とも解釈できるのでは?
ここでかつて偉人たちが残していった叡智、哲学の思想に助けを求めてみることにします。
実は、「ノマド」という言葉は1900年代半ば、パリで活躍していた「ジル・ドゥルーズ」という哲学者が使っていました。
彼は現代の生き方について、安住を好み、人生を充実させようとするために、財を蓄え、社会的地位や他者の評価を維持しようとするうちに、それらに縛られ、多くのしがらみを背負う生き方になっていくこととなり、苦しい生き方になっていくと指摘しています。
そこで、彼は、「ノマド」=「遊牧民」をイメージし、一定の範囲内に「縄張り」を築いて生きるのではなく、ある程度自由に生きた方が良いのだと説いたそうです。
確かに、サラリーマンって安定しているんですよね。
周りから見ると。
でも、実際そこにいる自分ってそうじゃなくて、特に入社したてとかそうだった記憶がありますけど、かなりきつい。
仕事じゃないんですよ。
人間関係やそのしがらみが。
そして、ふと上を見上げると、それが当たり前になった人たちの姿がそこにあるわけです。
いつか自分がそうなりたいのか、その組織は自分がなりたい人間になれるような場所なのか。
これは非常に大切なことで、そうでなければ自分は一生望まない人生を歩んでいくことになりますよね。
それに対し、「ノマド」という生き方は、定着しない、つまりその時自分が望む場所にいることができるというわけです。
まあ、実際のところそれはそれでこの社会では難しいところで、完全に自由なんてありえないわけですが。
ただ、その生き方を実践しようとする、その生き方を実現しようとするのが、いわゆるノマドワーカーというのであれば、私は大いに素晴らしい生き方なんじゃないかなと思いますけどね。
でも逆に、すべての人がそうなってしまったら社会は後退せざるを得ないんでしょうね。仕組み的に成り立たないですから。
まあでも、現代だからこそ人々の心に何かを感じさせるノマドという生き方。
安定していないようで、実は一番安定した生き方とも捉えられるのかもしれません。
アイキャッチ画像はぱくたそ様より。ありがとうございます。