| 幼少期~学生時代について |
小中学生時代は田舎だったので、山や川でカブトムシをとったり、魚を素手でとっていたりしていていました。スピードスケートや柔道をやっていましたが、あまり真面目に取り組んではいませんでした。高校時代には映画少年で年間200本くらいを観ていました。大学時代は、演劇サークルから劇団を創設、脚本・演出・役者としても出演し、京都から東京へと進出。学園紛争の真っ最中でバリケードの中で公演を行いました。東京で壁にぶつかり、脚本の道にしぼり、作家秘書・放送台本の執筆やゴーストライターを行っていました。 |
| 起業のきっかけについて |
大学卒業まで放送作家、そして劇作家見習いをしていましたが、卒業時期がちょうど第一次オイルショックと重なり、就職を断念。しかし、文筆業の夢は捨てきれず、実家のある群馬と東京を往復する生活を始めました。そんな時、父が地方選挙で落選し、家も一気に余裕がなくなり、近所の人から「うちの子どもを見てくれないか」の声にのって自宅で週末だけの塾を始めました。それが今のうすいの始まりです。東京都群馬の往復は6年続けました。 |
| 起業当初について |
開塾当初から、生徒は自分で勉強をして分からないところは、私が答えたり、生徒同士で教えあったり、というスタイルでした。その当時、親から頼まれてうすいに来ていた子は、学校の授業に少しついていけないような子たちでした。そのような子たちはうすいに通い、初めて勉強を主体的にするようになりました。すると勉強を分かってくるにつれて、表情はみるみる明るく、元気よくなってきました。その生徒たちの表情を見るのがとても嬉しかったです。その後も、枠にとらわれない自由な発想を心掛けました。 |
| 今後の目標 |
緒方洪庵の適塾や、松下村塾というのは、先輩が後輩を教え合う風土でやっています。うすいもその考え方でやっており、現に、高校生が中学生を教えたり、大学生が高校生を教えたりしています。子供が子供を教えるのは凄い可能性をもっていると思っています。この塾本来の形を関東圏に広げていきたい、と思っています。 |