とと姉ちゃん第13週 「常子、防空演習にいそしむ」
第13週 第73話 「常子、防空演習にいそしむ」
昭和19年 (1944年) 常子達が深川を離れ、二年あまりの歳月が流れていました。開戦から三年ほどとなった太平洋戦線は米軍がすでにフィリピンまで迫り、日本は窮地に立たされていました。国内の物資不足も深刻化し常子達は物々交換で食べ物を貰おうと千葉へ出掛けて行きました。その頃、皆が食べ物に替えて貰おうと農家に色々なものを持って行くので着物や小物などはいらないと断られ、どの農家へ行っても食べ物と交換してくれるところはありませんでした。そんな中、孫が喜びそうなおもちゃがあれば農作物と交換しても良いと言う農家がありました。常子と鞠子は美子が滝子に買ってもらい大事にしていたままごと道具が頭に浮かびます。常子達は何も食べ物に交換できずに帰宅し、美子にままごと道具を食べ物に替えさせて欲しいと頼みますが、美子は滝子の思い出がいっぱい詰まったままごと道具を手放したくないと拒否します。小橋家も移り住んだ目黒の家の庭で野菜を作りますがそれだけでは到底足りるものではありませんでした。戦況が悪化する中、常子の勤める甲東出版は国の意向に沿ったものを出版して細々と営業を続けて居ましたが、社長を始め、五反田以外の社員は皆召集されてしまいました。鞠子は工場の事務員として働き、美子は女学校を卒業し、縫製工場で働いていました。ある日、普段から口うるさい隣組組長の三宅や縫製工場の友達の家族が召集され、辛い想いをしていることを知った美子はままごと道具を食べ物に変えてくれと言い出します。家族4人が元気で居るだけで十分だと言うのです。
食べるものがないのは辛いですね~!食べ盛りの子供がいれば尚さら辛いです。栄養失調で体力が無くなり、健康を害する人も多かったはずです。当時、隣組や国防婦人会などの口うるさい人達が嫌われ者で良く描かれますが、その人達にも事情があったのでしょうね。一方、農家にはあらゆる物があつまり、後にお宝として発見されることもあったようです。やはり、人間が生きるためには食べ物が一番重要です。庭が畑に変わったところも多かったでしょうね。今流行りの家庭菜園とは規模が違うでしょう、、、。
第13週 第74話 「常子、防空演習にいそしむ」
常子達は再び千葉の農家を訪ねました。今回は滝子の思い出がいっぱい詰まったままごと道具を持って美子も一緒です。農家の子供は目を丸くして大喜び、思った以上の食べ物と交換することが出来ました。気丈に振る舞う美子でしたが、その帰り道、戦争のせいで皆が思うように生きられないだけではなく思い出まで奪って行くと、こらえ切れずに泣き出します。鞠子は健気な美子の振る舞いをみて、家族に無理をさせてまで大学に行かせて貰ったにもかかわらず、作家になる夢を諦め、工場で細やかな給金を貰う今の自分を情けないと悩みます。そして、常子にこれからはせめて次女として家族を支えられる様になると誓います。ある日、常子は五反田と遅くまで甲東出版で仕事をしていました。五反田が常子に大事な話をしようとした時、空襲が始まります。常子は家族の安否を気にしながらも近くの防空壕へ五反田と共に非難します。一方、家では鞠子が美子と君子を守り非難させようとしますが、足をくじいてしまいます。空襲は長く続き、朝方、常子は一刻も早く家族の無事を知ろうと家まで走って帰ります。皆が無事なのを確認し、ほっとするのですが、鞠子は常子の代りに家族を守りきれず、かえって迷惑を賭けたと落ち込んでいます。常子は翌日、意を決して戦争を称えるような雑誌は作りたくないと五反田に言います。五反田はもう、雑誌は作らなくて良い。僕に赤紙が来たと告げます。
いつも空腹な思いをしていると食べ物の事ばかり考えてしまう気持ちは良く解ります。それに加えて空襲の怖さはどんなものだったのでしょう。自分の命がいつ無くなるかも知れない毎日なんて、心も折れ、傷つきますね。なんて時代なのでしょう。五反田が出征してしまったら甲東出版や常子達の生活はどうなるのでしょう?またもやピンチです。もうすぐ戦争は終わるのですが、社長の谷や五反田は帰って来れるのでしょうか?
第13週 第75話 「常子、防空演習にいそしむ」
五反田に召集令状が届きました。五反田は甲東出版の社判を常子に託し、甲東出版にある蔵書で貸本屋として営業を続けられる様にして置いたと告げます。そうすれば常子が勤労動員として遠くに借り出される事も無く、家族を支えられるだろうと五反田が考えてくれたのです。常子は感激し、心から礼を言います。五反田は甲東出版は終わりではなく、休刊だ。自分も社長も必ず生きて戻って来る。その時は心から作りたい雑誌を作ろうと言い残し、数日後、出征して行きました。昭和二十年、一月、常子は甲東出版を貸本屋として営業し、何とか生活していました。手に入る食料は僅かで燃料もなく、4人が寄り添い寒さを凌いでいたのですが、それにもまして連日の空襲警報に怯え、疲れ果てる毎日が続いていました。それでも小橋家の皆はせめて家の中だけでも穏やかな心持ちで暮らせる様に心掛けようとしていました。防空演習は全員参加を義務付けられており、老若男女を問わず集められ、訓練が行われていました。訓練の最中に具合が悪くなり座り込む老婆に隣組組長の三宅は厳しく責めます。常子が黙っていられず抗議をすると、三宅は美子が自分で作ったもんぺの飾りや君子が部屋に花を飾っている事を不謹慎だと責めます。家に帰っても常子は納得出来ず、三宅の家に一言言いに行こうとします。それを止めようとする鞠子と言い争いになり、君子が止めます。そこへ隣人が卵を持って来てくれるのですが、監視されているのかも知れないと親切も素直に受け取る事が出来なくなった時代を恐ろしく思う小橋家でした。
食べる物を始め、あらゆる物に困窮し、いつ終わるとも解らない戦時下で人々の不安は募るばかりです。心が箚さくれてしまうののも当然かも知れません。そして、無邪気でいられた昔を懐かしむのですが、戦争が多くの物を奪ってしまい、健康な心を保つ事すら出来ずにいます。物が無い事より、人の心が病んでしまうと恐ろしい世界になります。常子たちには細やかな心使いを忘れず、日々の暮らしに幸せを感じる生活を早く取り戻して欲しいです。
第13週 第76話 「常子、防空演習にいそしむ」
常子は五反田が出征した後、甲東出版の蔵書で貸本屋を営んでいました。昭和二十年三月九日、この日小橋家では三姉妹の合同誕生日会が開かれる予定でした。常子が貸本屋を早めに閉めて帰宅すると、美子が大変なの!と言って常子を外で迎えます。隣組組長の三宅が軍からの命令で金属供出を求めに小橋家に乗り込んで来たのです。常子は三宅の横暴なやり方に反発しますが、反論の言葉を飲み込みます。すると鞠子が口を開き、自分達も戦いを忘れているわけではなく、自分達なりに一緒に戦っているつもりだと理路整然と話します。鞠子の言葉に三宅は何も言えず出て行きました。誕生日会は翌日に延期され、君子は娘達の為に方々を回って手に入れた小豆でおはぎを作ろうと夜遅くまで煮込んでいました。火の始末をして寝ようとした時米軍による焼夷弾攻撃が始まりました。東京にはB-29爆撃機およそ300機が飛来し、爆撃は下町あたりを中心に2時間余りも続きました。朝になり防空壕から出ると家は無事でしたが、楽しみにしていた小豆が七輪の残り火ですっかり焦げてしまい美子が泣き出します。君子は三姉妹に嬉しくて泣ける時まで涙は禁止すると言い、娘達はそれにうなずきます。常子達が配給の列に並ぼうとやって来ましたが、夜中の空襲のせいで配給が途切れるかもしれないと言われます。そして、下町は焼け野原で特に深川は酷い状態だと聞かされ、常子は僅かな差で自分達は生きているが、命はあっけないと感じます。常子は目の前を行く焼け出された人達の列の中にお竜を見つけます。
東京大空襲ですね。死体を飛び越えて逃げたとよく表現されるように、大変多くの人が犠牲になりました。どうしたら助かると言うものではなく、運としか言様がないですね。いつも自分の命が危険に晒されている日々の中、物資不足を耐え忍び、工夫して生きた人達に頭が下がります。今の私たちにそれが出来るでしょうか?常子の知り合い達は皆無事でしょうか?この時代に鉄郎が登場しないのはキャラ的に難しいのでしょうね。