どうも、Toshiroです。いつもお読みいただきありがとうございます。今回は「どう生きるかは個人の自由」というテーマで書いてみます。
生き方を矯正する人物
5,6歳の小さな子どもの将来の夢がサッカー選手や宇宙飛行士と言えば可愛いものですが、20歳くらいの人がそういうことを言うと多くの人はこう思うでしょう。
「無理でしょ」「まとも就職すべきだよ」
なぜこのように人は他人の人生を矯正しようとするのでしょうか。それは矯正しようとする側がそういう自由な人生を送ってこなかったからです。人は無意識的に自分が出来ないことは他人も出来ないと考えます。自分が夢を叶えるという体験を出来なかったから他人にも「いや、無理でしょ、そんなの」と否定し、”まともな”人生を送るように助言(矯正)します。
そのような矯正を行う人は多くの場合、親や教師といった人物です。彼らはいわゆるレールを走ってきたからこそ、外れてほしくないのです。誤解しないでいただきたいのですが、そのような矯正を行うのは善意によるものです。
レールを走ってきたからこそ今のまともな生活があるのであって、それを外れたらお前の人生はめちゃくちゃになる可能性があるんだぞ、だからレールから外れてはいけないんだよ、という気持ちによるものです。決して「不幸になってほしい」と思っているわけではありません。むしろ良い人生を送ってほしいからそこ矯正をしようとします。
そしてその矯正が成功し、夢を諦め、レールを走ることを選択したのならば、矯正を行った人が望む人生を送ることになります。つまり、ある意味安全な、挑戦のない人生を送ることになります。どんどん普通の人生になります。夢とは程遠い人生です。
またこのように人生を矯正してくる人は親や教師だけでなく、自分と仲のいい、接する時間の多い人からも矯正を受けることがあります。
似たような人
「類は友を呼ぶ」という言葉がありますが、人は似たような人とくっつくようになっています。一番よく会う5人の年収の平均が自分の年収と同じになるとはよく言いますが、正にそのような感じで大体同じような人と接します。
大人しい人の周りには同じような大人しい人が、ヤンキーの周りにはヤンキーが、年収300万の人の周りには年収300万の人が、年収1000万の人の周りには年収1000万の人が、絵を描くのが好きな人の周りには絵を描くのが好きな人が集まります。
なぜそうなるのかというと居心地がいいからです。もし大人しい人がヤンキーの集団に誤って入ってしまったとなると心臓がバクバクすることでしょう。自分と違う人と接していると落ち着かないのです。だから居心地の良いと感じる似たような人と接することになります。
この自分に似た人達が矯正をしてきます。似ているからこそ居心地がいいのです。性質が異なってくれば違和感が生まれてきます。
例えば年収300万円のサラリーマン数人のグループがあるとします。いつもは「給料安いよね」「どんだけ働かせるんだよ」「残業なくならないかなぁ」と言い合えるわけですが、この中から「俺会社やめて独立するよ!」というようなのが現れると、他の人は居心地が非常に悪くなります。
なので「いやいや、今から独立なんて無謀だよ」「目処はあるの?」「絶対失敗するからやめた方がいいよ」と矯正しようとします。
成長すると人間関係が変わる
似たような人たちからの矯正に従うと今まで通りの人間関係が続くのですが、これに従わずに自分のやりたいことを追求するとどうなるかとと言うと人間関係が変わっていきます。
「会社辞めて独立するんだ!」と言ってそのまま突き進むと、今までの「給料安いよね」「残業ひどいよね」というのはどうでもよくなってきます。むしろ「独立するためにはどうすればいいんだろうか」「資金はどれくらい必要なんだろう」ということが気になります。会話や考え方が全く合わないようになるのです。
そうなると「まわりに独立の苦労を共感してくれる人がいないや。他の独立を考えている人はどんなことをしているんだろう」と興味を抱くのは当然です。今までのグループを抜けて、独立を考えている人たちと積極的に関わろうとするでしょう。類は友を呼ぶ、です。
つまり、このように挑戦をして、成長していくと人間関係が変わります。逆に言えば、ずっと同じ人間関係が続いているということは、言い方は悪いかもしれませんが、全く成長していないということです。
生き方の選択
周りがどれだけ生き方を矯正しようが何だろうが、どう生きるかは個人の自由です。親や友達が「いや、こうだよ」と言っても究極的には他人であり、他人に自分のことなんかわかりません。関係ありません。自分は自分です。自分で自分の生き方を選択出来ます。
自分で人生を選択し、挑戦すれば人間関係は変わると言いましたが、それを理解した上で人間関係を維持するというのならば、それは立派な選択です。つまりどんどん挑戦して成長していくような人生ではなく、友達といった人間関係を大切にしていくんだ、という選択を自ら行って、それに則り生活しているのなら素晴らしいことです。
ただ多くの場合は自らの選択としてそうしているのではなくて、矯正される生き方しか知りません。それしか知らないからそうせざるを得ません。同じ人間関係を意識した生き方であったとしても、挑戦と人間関係の2つから選ぶのと、人間関係しか知らないのとでは全く話が違ってきます。
2つから選んでいるのならば、それは自由でかつ積極的な生き方ですが、1つしか知らないのであれば、それは自由でもなんでもなくて、自分の意志が反映されていない他人に与えられた強制的な人生です。
私は挑戦する生き方をすべきだと言っているのではありません。それこそ矯正です。挑戦していく人生も、無難ながらも居心地のいい人生も、優劣を付けることは出来ません。ただ、そういう選択肢があるんだよ、好きに生きていいんだよ、ということを言いたいのです。
よく言われることですが、最後に自分の人生を評価するのは自分です。他人ではありません。自分の人生くらい自分で責任を持ちたいものです。
今回もお読みいただきありがとうございました。
Toshiroでした。それでは、また。
追伸
私はどちらかと言えばレールを外れて挑戦していくような生き方をしています。正直に言うとこのような生き方は滅茶苦茶辛いです。全部自分の責任ですし、将来もどうなるかわかりませんからね。
ただ、面白いです。自分の意志で人生を選択し、それに取り組んでいくというのは非常に楽しい。親や会社に頼らないと何も出来ない自分ではなく、小さいながらも社会に対し影響を与えていけるようになる過程は、挑戦をしなければ味わえないものだと思います。
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