今週のお題「2016上半期」
気がつけばもう6月も終わろうとしていて、なんだか毎年おなじ時期におなじことばかりおもうのだけど、もう1年も半分終わったのかって。1年の上半期ってなんだか時間の流れがはやい気がする、というのは、日本人だとちいさい頃からどうしても4月が1年の始まりみたいな感じで身体がおぼえちゃっているせいなんだろう、暦では6ヶ月、身体では3ヶ月、もはや上半期なんて半年というよりも季節だ。ただの春でしかない。
今年は個人的に大きな変化がたくさんある。1月には子どもが生まれ、これから転職する。大殺界の年だから気をつけてってどっかのだれかにはいわれているのだけど、フツーに生きてて、あっこれが最低なのね、と飄々としていたい。
座右の銘が変わった。
いままでは、
もっとよくもっと悪くまた戻り、すべての座と呼ばれた頭で失敗する。
サミュエル・ベケット,「いざ最悪の方へ」
といったようなストイックなことばを座右に置いていたけれど、いまは
人生楽勝
とかだったりする。や、勝ったことなんて一度もないし、夢を見ては敗北ばかりしているのだけれども、毎日を人並みに楽しく過ごしたい、これから自由に使える時間が増えるから、せめて本は学生の時程度には読みたい。
この半年で読んだ本を、ここで振り返ってみたいと帰りの満員電車でおじさんに氷結レモン味とタバコの混じった息を吹きかけられながらおもった。なのでする。
コメントは読了後にぼくが残したメモ。
1月
エセ忍者、カルマ調整師、語りだす死者、大学での事件と映像集団たち…。暗い歴史の先にある「ホーム」を目指す大作。ピンチョン挫折したとか情けないことをいってる場合じゃない。
スローターハウス5 (ハヤカワ文庫SF ウ 4-3) (ハヤカワ文庫 SF 302)
- 作者: カート・ヴォネガット・ジュニア,和田誠,伊藤典夫
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1978/12/31
- メディア: 文庫
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ヴォネガット自身の作品への言及を第1章に起き、第2章では作中語られるあらかたの出来事が列挙される。時間と空間の区別がないという認識をリアルとしながら、しかしビリーの背後(ヴォネガット)の気配は全面にだされている。語られることは事実でしかない。しかしこれは小説だ。あらゆる面から問題がたちあがってゆく。
言語と認識を軸に据えた短編集におもえた。けっこうわかりやすい。でもその配慮されたわかりやすさが恥ずかしくなる。
5年に1回読んでるけど、いっつもおもうのはロシア人テンション高けぇ!ってこと。でも高校生のときよりも、大学生のときよりも、いま読んだ方が断然おもしろい。上巻の最後はイワン無双でおなじみ「大審問官」。あのはなし、いまおもえばカフカの寓話みたいだ。
※子どもが1月13日に生まれた。人生で一番何が起こったのかわからなかったし、どう気持ちを表現したらいいのかわからなかった。子どもが生まれるというのは、うれしい、しあわせ、ということばでは粗すぎる。
2月
イワンの語りがおわり、死臭事件やミーチャの動き、連行までが語られる。いろんな意味で1発の銃弾を耐え抜く程度のつらさはあるけど、それはそういう意味として大事なんだとおもう。
本谷有希子の小説はだいたいおそろしいと感じるけれど、なんというか、芥川賞候補作だった「ぬるい毒」以降の作品からは、おそろしさが凶暴なものから静かなものへと変わった気がする。どちらがよいという話ではないし、どちらかでしかありえないということでもないのだけれど、芥川賞が才能を買う場であるとするならば、本谷有希子の受賞はあまりにも遅すぎる気がするし、少なくとも「上質すぎる」本作ではなかったと、おもうひとがいるのもよくわかる。
犠牲と赦しを主題に様々に展開される変奏。ある者の死のうえに築かれた世界が後にかつてと変わらない過ちを繰り返すならば、きっと世界は悪魔と手を組む。過去や、かつての犠牲がそんな現在(未来)に対して何も語ることはなくて、ひたすら赦し、愛することしかできない。神だの悪魔だの、そういうことを説いても仕方がないのかもしれない。
自然主義文学というか、いかんせんこの類の小説はむかしから苦手で、歳をとれば読めるようになるだろうとおもっていたけれど、まだぼくにとって興味深く読めるものではなかった。
とても素晴らしかった。ひとの生き死にに記憶が「ちゃんと」寄り添うことで生まれる時間のパノラマ。複数のひとが持ち合わせる記憶をどれだけたくさん並べても、それらが正しくかみ合うことはきっとない。だからこそ、ひとと記憶のあいだにたつ者が必要で、小説だからこそ、語りや人称という問題から目を背けられなかった。「ちゃんと」がすべてそこにある。
再読。乱暴でユーモラスな比喩を交えた饒舌が、怒りと苛立ちの微妙に中間ぐらいの語り手の叫びになっていておもしろい。けっして狂気なんてものじゃないけど、生きているって瞬間への渇望がすごい。
※残業がつらい月だった。
※芥川賞受賞作についてはブログも書いた。
bibibi-sasa-1205.hatenablog.com
3月
ナオミの傍若無人さに中盤あたりイライラしたけれども、終盤に見せる美しさと区別のつかない恐ろしさが、とてもすばらしかった。名作だとおもう。
京都、という街への画一的、あるいは平板なイメージを解体し、猥雑で多面的な街として京都の姿を書いた名著。206系をメインストリートにして衣食住や学問、芸術に飛躍するエピソードは注意深く見ないと発見できない小道のようで、この語り口こそがぼくの知っている京都そのものだった。
私小説的な感じで語り手のなかの時間をさまよう表題作は、終盤にあらわれる家族外部の生暖かい眼差しへの嫌悪に迫力を感じた。個人的には「宿題」が好き。
※「京都の平熱」は今年読んだ本でいまのところ一番すばらしかった。京都で学生やってた頃をとてもおもいだした。あの頃に帰りたい、とおもってしまうのはもちろんいまが楽しくないからだったのだろう、繁忙期、タイムカードをごまかして残業していた。嫁がいて、子どもがいて、好きな音楽があって、読みたい文章と書きたい文章がひとひとりの人生じゃ足りないくらいにある。悲観することなんてなんにもなかった。退職することに前向きになった。
4月
ステレオタイプな日本人と、日本人のステレオタイプが生み出した外国人が織りなす、糞も厨二レベルの下ネタも、特に意味のない小説技巧なんでもありの短編集。でも全部読めば長編っぽいつくりにも見えるけど、きっとそう見えるだけ。読んで時間をドブに捨てた感覚に優越感すら見出せる、日本が誇るクソ作家の小説をみんなはやく読むんだ!
歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)
- 作者: マーク・ブキャナン,Mark Buchanan,水谷淳
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/08/25
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複雑系のさわりにはいい本で、簡素なモデルでなにをどう論じるかを丁寧に書いているので、無理なく様々な事象をあつかえ、そこに見られる普遍的な数学的構造をわかりやすく示している。ただ、題名の訳が悪い。ちょっとキャッチーにしすぎて語弊があるような気がしないでもない。
「アメリカの夜」とおなじく、語り手の分裂に焦点をあてた語りの実験が前面にあらわれた小説。語りのあいだで交換される情報やら意識やら、そういった水面下の運動を感じるものの、小説としてうまく作り上げたとはいいにくいというのが本音。
感想はブログ。
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グランドフィナーレは様々な距離を超越しようとする小説で、ロリコンは本質じゃない。子どもという刹那的な季節の終わりを、ひとりのおとなの歪んだレンズをとおしてみる錯覚により、子どもたちの跳躍すべき距離を書き出すことに成功したのだとぼくはおもう。点でしか存在しえない「今」だけを生きる子どもたちは、距離というものを見出せない。
ひたすら素晴らしかった。大森靖子というひとの人生といきあうことで、じぶんの人生がなぜか立ち上がる、稀有な読書経験をした。
※かなり負担になっていた顧客を引き継いで、少しずつ時間ができるようになった。残業時間が減った。この辺りから、目標を持った読書ができるようになってきているものの、リハビリ感がまだすごい。
5月
ブログに感想を書いた。
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宇宙人の渦森今日子が、宇宙人という個性を持って地球でくらすこの小説で、描かれる物語は平凡そのものだ。主人公がそもそもこの星が故郷じゃない、ということを特別だなんておもっていない、たんなる中学のちがい程度の重み付けしかなされていない。このフィクション化された平凡が装飾的な個性をそぎ落とし、だれかがこの星でどうしようもなく生きてしまったことこそ、「特別」という重みを獲得しえたのだとおもう。
※よく眠っていた。朝が起きられなくなって、海底のくじらによく似ていた。
6月
- 作者: カートヴォネガット,Kurt Vonnegut,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1995/10
- メディア: 文庫
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人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)
- 作者: 松尾豊
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
- 発売日: 2015/03/11
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もとをただせばぼくらが知性とよぶものも演算にしか過ぎないけれど、しかし機械と人間とで得意分野がちがう。人工知能ということばすら統一的な定義がないのに、それでも人工知能ということばをもちいて語られることは、そのことばを定義しようといういしなのかもしれない。ディープラーニングではデータ群の特徴をつかむ。その特徴に適切な命名をできるようになったらすごい。
風景と生活、そのなかでのひとりごとが群をなし、街をかたちづくる。そんな歌集におもえた。木下龍也の短歌には、生活の痕跡がしのびこんでいる。
絵に関して、ぼくはなにもわからない、だけど何年か前にピカソ美術館にいったときの感銘がありありと、リアルな手触りで感じられる本だった。
- 作者: カート・ヴォネガット・ジュニア,和田誠,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/02/25
- メディア: 文庫
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物語と個人の距離という、ヴォネガットの以降の作品に現れる態度の、もっとも核となる思想が小説に据えられている。スケールの大きさも、それを考えれば当然そうなるんだろうなあとおもった。
※ブログを書くようにした。 仕事を辞めることに現実味が帯びた。
総括
たくさんの希望が持てるようになったけれど、希望が重たくて足が震えた、なにか取り返しのつかないようなことをしてしまったのか、いつもお家に定期入れを忘れてしまったかもしれない不安をたずさえていた。
ブログを書く日を増やした。小説は書けていない。もともと小説を書くために始めたブログだったのに、ブログを書くことの方がしなくちゃいけない気がした。
このブログのはじめの方のフィラデルフィアに旅行に行った時の写真は4年前になるけれど、あれをほめてくれた知人は、かのじょが大きな名誉をもらってからぼくとしゃべるときは敬語になった。またかつてのように乱暴に扱われるためには、ぼくは小説を書かなくちゃいけない、もう3年もかけていなかった。
最後に書いた小説を書き終わったときぼくは結婚すらしていなかったことを、ぼく自身が忘れてしまっていたことにおどろいた。