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『クリーピー 偽りの隣人』 - Creeping Death 頂上捕食者 - 1953ColdSummer

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『クリーピー 偽りの隣人』 - Creeping Death 頂上捕食者


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リーピー 偽りの隣人
CREEPY
2016/日本/G 監督/黒沢清 出演/西島秀俊/竹内結子/川口春奈/東出昌大/香川照之/他 原作/前川裕/『クリーピー』
あの人、
お父さんじゃありません。
全然知らない人です。


※微妙にネタバレしています。


 今月は比較的生活に余裕がある(予定)なので、たくさん映画を観て、たくさん本を読んで、たくさんブログを更新して、仏(ほとけ)を高めるつもりでいたのですが、気が付けばトネガワを何度も読み返してその後インターネットしてたり、出先でTwitterアカウントがバレそうになって冷や汗かいた後インターネットしてたり、インターネットしてたらたくさん映画を観て本を読む事も覚束ないなぁなんて思いながらやっぱりインターネットしてたり、割とハイサイド気味だっというか、もう今月もぼちぼち終わりそうなんですが。いったい何が悪かったのか教えてくれませんか? ほらJIGOKUっぽいJIGYAKUしてるんだから笑えよ。否、嘲笑えよ。あなた方は喰うか喰われるかで言うと捕食者側なんだから、そのヤニ臭い顔に満面の笑みを浮かべて、舌舐めずり見せて、ウェッブで自虐日記ナリ~なんて90年代のカルマを引きずっている被捕食者に対しては徹底的に嘲罵を浴びせ、絞め上げて肉質を美味しく変化させた上で、ガブッと行くべきだ。法さえ守っていれば倫理規範を踏み躙ろうともこの世の中では正規の手続きを踏んだ事になるので、何も後ろ暗いものはない。何なら非正規のやり方であなた方の半径1クリック圏内の人、例えば、隣人? であるとかを捕食したとしても、あなた方の狡猾な仕草、良心の欠如に人を嘗め切った態度は制空圏バリヤーとしてあなた自身を守護ってくれるでしょう。殺りたいとか殺らなきゃいけないとかそんな卑俗な感情に捕食者であるあなたが動かされているのか否かは知るところではありませんし、そんな感情を持ち合わせておられるのかどうかも疑わしいところなのだけれども。ほで、そんな香川照之の挙動も不審な『クリーピー 偽りの隣人』を観てきました。人類の捕食者であるサイコパスが無辜の人々をいてこますというのは中二心が現実を侵食しつつある実例のひとつですが、我が朝では拳銃を携帯できるのがある種の職に就いている人たちだけで良かったですね。現実がもし銃社会になってしまうと死にたい人にも殺したい人にも利便性が高くなることは明らかなのですが、その代わり、創作に於いて社会を守る側と喰い物にしている側のパワーゲーム、平たく言うと拳銃の譲渡などに物語やサスペンドが生じ辛くなってしまうので、ここは足りない頭を捻って悩むところですね。チャカに限らず態様そのものを無自覚のうちに武器とする西野こと香川照之のカメレオン描写ものらくらとしていて、また真綿で首を絞められつつある事に気付いた西島秀俊の衝動とも対になっており、二人のやり取りに耳障りな不協和音を聴き取る事ができる。大学構内でのわちゃわちゃした人の群れや、道端で何気なくすれ違う人たちの作為的な配置にも「この中にもこんなサイコパスが居るのかな?」と思わせる事は必至。黒沢清と言えばその作家性を云々するよりも“作為の人”だというのが自分の中に偏見として根付いており、その作為にケレンやわざとらしさよりも自分の領域外の不気味さを感じさせるところなぞが、ある種の人間の伽藍のような内部を匂わせる本作に非常にマッチしていたのではと思います。とは言い条、柔らかい陽射しや夫婦団欒としての食事にそれこそ大型犬を飼える余裕のある生活の描写から、後半の地獄部屋、鉄の門扉に陥穽に死体といった露悪的な描写への変遷は、それがサイコパスの伽藍堂というよりも渦巻く現実への認識というか不可知界を視覚化したようでもあり、その部屋で「普通」に振る舞える人間のデッドリードライブに思いを馳せるきっかけにもなります。そして自分はどちらかと言うと「あの人お父さんじゃありません」は予告でもチラシでも伏せておくべきだったと思っているのですが、そのシーンで慄然とはするものの、一番の“見所”とはしていなかった英断にたいへん感銘を受けました。本作に於いて野次馬根性を最もくすぐられるのは、あの人がお父さんでない家族ではなくもうひとつの家族が侵食されていく過程です。濡れ場なんて一切無いにも関わらず、やらしい人妻スメルを醸し出している竹内結子を西野が文字通り「食べちゃった」事を暗に察せさせるボディタッチなどは、サイコパスが得意とする他者とのパーソナルスペースの詰め方を端的に表わしていると言えましょう。それは即ち侵食の第一歩であり、侵食の橋頭堡と成されているものでもあります。のち、口先三寸のペテンに留まらず肉体性を以てして彼女が束縛されるに至っては、想像の翼を(主にゲスな方角に向かって)広げた挙句満面の笑顔・猫なで声で「いったい何があったのかにゃあ?」と言わしめるだけのパワーがありますね。という事で他者との距離感がおかしい人とはなるべく距離を置こうという学びを改めて得ました。自分がすでにおかしいというところは棚に上げて。


クリーピー (光文社文庫)クリーピー (光文社文庫)
前川 裕

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