第6回】電王戦のおやつを食べる-第1局

将棋のネット中継で目にする食事やおやつ。「おいしそう!」と思っても、実際には食べられません。しかし、近所のお店で売っているとしたら・・・。


(ナチュラルローソンで買ってきた電王戦のおやつ)

 将棋の強い人間の代表である棋士と、恐ろしいまでに強くなったコンピュータが対戦する電王戦は、2016年、新しいステージへと進んだ。棋士とコンピュータ、それぞれのトーナメントを勝ち上がった同士が、2日制の対局で、二番勝負をおこなう、というスタイルだ。

 棋士のトーナメントである叡王(えいおう)戦を勝ち抜き、初代叡王位に就いて、人類の叡智を代表する立場となったのは、山崎隆之(やまさき・たかゆき)八段。独創的な序盤作戦、そして劣勢(山崎の講座名でいえば『ちょいワル』)な局面から追い上げる卓越した中終盤力を誇る。現在35歳で、NHK杯優勝など、数々の実績を積み重ねてきた、一流棋士だ。広島県出身で、現在は関西本部に所属し、そのルックスから、「西の王子」とも呼ばれてきた。

 一方、電王トーナメントを勝ち抜いて、コンピュータソフトの頂点に立ったのは、Ponanza(ポナンザ)。東大将棋部出身の山本一成(やまもと・いっせい)が在学中から開発を始めた。電王戦では、2012年から連続で出場して、佐藤慎一四段、屋敷伸之九段、村山慈明七段を相手に3連勝。人間を凌駕するまでに強くなったコンピュータソフトの中でも、さらに群を抜いて強いのがPonanzaである。

 そもそも、将棋という分野における人間とコンピュータの関わりは・・・。と、始めてしまうと長くなるので、本連載ではやはり、対局者が食べているものにスポットを当てる。

 電王戦第1局の対局場は、岩手県・平泉町の中尊寺だった。松尾芭蕉『奥の細道』に記された「五月雨の降り残してや光堂」という句でも有名である。中継サイトの情報によれば、Ponanzaの山本さんと、共同開発者の下山晃(しもやま・あきら)さんは、「こんじきラーメン」という名の味噌ラーメンを食べたという。一方の山崎叡王は、地元のブランド牛を使った、前沢牛丼。そうして紹介されてみれば、どちらのメニューも興味深い。同じものを食べてみたい、と多くの人が思うだろう。しかしその願いは、現地まで行かないことには、叶わない。ほとんどの人にとって、無理である。

 しかし、電王戦で、スポンサーのローソンが提供しているおやつは違う。近くにナチュラルローソンの店舗があれば、まったく同じものを購入することができる。

 第1局の午後のおやつ(飲み物をのぞく)は以下の通り。

・1日目  山崎、山本、下山:ビスコ(ブルーベリークリームサンド)

・2日目  山崎:京挽ききなこくるみ  山本:ベジップス(さつまいも、にんじん、かぼちゃのチップス)

 いずれも健康的な感じだ。筆者は出先のナチュラルローソンで、これらのおやつを全て買ってきた。そして、家に帰ってコーヒーを入れ、改めて電王戦の棋譜を並べ直してみた。

 第1局はPonanzaが先手で、互いに飛車先の歩を突き合う、横歩取り。2日制の1日目というのは、互いに時間を使い合って、ゆったりしたペースになり、駒がぶつからないことも多い。しかし一方の対局者がコンピュータ、しかも積極的な攻めで知られるPonanzaであれば、ずいぶん勝手は違う。気が抜けないまま、山崎はビスコを食することになる。

 ビスコのキャッチフレーズは「おいしくてつよくなる」。ブルーベリーに含まれるアントシアニン色素は、視力の向上や、目の疲れの回復にも効くという説もある。ナチュラルローソンで売られている、ブルーベリークリームがサンドされたビスコは、将棋を指しながらつまむには、ぴったりかも知れない。

 山本と下山は、ビスコとともに、コーヒーを頼んでいる。甘いお菓子にコーヒーは、定跡通りだろう。一方の山崎は、ビスコとともに、オレンジジュース。甘いお菓子に甘いジュース。ここにも独創性が表れていそうだが、脳がそれだけ、エネルギーである糖分を欲していたのかも知れない。

 午後のおやつの後、盤面は大きく動き、1日目にして大決戦になった。攻め合いを選ぶ山崎に対し、Ponanzaはまったく怖がることなく(という風に人間には見える)、踏み込んでくる。そして1日目終了直前、Ponanzaに絶妙手が出た。コンピュータは、やはり強い。結果的には、ここでもう回復できないほどの差がついていた。

 山崎は表情豊かな棋士で、人間相手でも、悲観した際にははっきりわかる。コンピュータ将棋には、人間の対局者の態度を読み取り分析する、という機能はない。だからなおさらのことかもしれないが、山崎は自身の苦悶を隠そうとはしなかった。

 人間であれば、どうしても同じ人間である山崎を応援したくなる。しかし、2日目は朝から、冷酷な(どうしてもそう見える)コンピュータに少しずつ差を広げられていくという、つらい進行となった。

 午後のおやつの時間からほどなくして、山崎ははっきりした声で「負けました」と告げた。投了の意思を伝えられたPonanzaは電王手さん(駒を動かすロボットアーム)に指示を出し、電王手さんが礼をするようなしぐさを見せ、対局は終わった。

<これから書く数行は、職業棋士として気が重いし、できれば曖昧にぼかして済ましたいのだが、コンピュータと人間の勝負もある程度闘いを繰り返し歴史を作った今、やはり書かざるを得ないだろう。
 今のプロ棋士で、コンピュータより人間—我々プロ棋士が強いと本気で思っている者は、ほとんどいない。(先崎学)>
http://news.nicovideo.jp/watch/nw2146725

 プレイヤーは、真実を語る必要はない。曖昧にぼかして済ませることも、もちろん可能である。しかし先崎九段は誠実に、公開された観戦記の中で、コンピュータは人間より強いと、はっきり表明している。

 コンピュータは、人間より強い。この一点についてはもう、人間側は事実として受け入れざるをえないだろう。だからといって、人間側の名誉が傷つけられるということはない。コンピュータを作ったのも、コンピュータに棋譜という教材を提供したのも、人間である。コンピュータと人間との戦いは、多くの人々が注目する中、今しばらく続いていくことだろう。

 ところで、当たり前の話だが、コンピュータやロボットがエネルギーとしている(食べている?)のは、ラーメンや牛丼やビスコやオレンジジュースではなく、電気である。

 近年はコンピュータが強くなりすぎたため、人間との対局の際には、コンピュータに制限をかけよう、という意見がよく聞かれる。事実、電王戦ではパソコン1台という指定によって、ハードに制限がかけられている。

 さらには、人間の消費エネルギーと、コンピュータが消費する電力エネルギーを同じにしなければ不公平、という意見も聞かれるようになった。

 チェスは現在、小さなスマートフォンのアプリでも、ほとんどの人類は勝てないほどの実力がある。Ponanzaはタブレットでも動かすことができるが、そちらもまた、既に恐ろしく強い。

 将棋はエンターテイメントである以上、好勝負を演出することも重要には違いない。しかし、知の探求という大きな目的の上では、ハードや消費エネルギーの制限などは、無用のことではないか。

 どんな存在であっても、盤上に表すことができるのは、目の前の一手だけである。そうした将棋の本質に公平さを見出し、対局者それぞれが、それぞれの特性の上で全力を尽くすのが、本当の真剣勝負ではないだろうか。

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棋士とメシ

松本博文

あの大一番を支えた食は何だったのか――
現在における将棋対局のネット中継の基礎をつくり、食事の中継の提案も行った松本博文氏がつづる、勝負師メシのエピソード。

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