485系最後の車両 引退前に記念運行
国鉄時代の特急の主力車両485系で、かつての姿を残す最後の車両が引退することになり、東北地方での記念の運行に、全国から大勢の鉄道ファンが訪れました。
485系は国鉄時代の特急の主力車両で、仙台と上野の間を結ぶ「特急ひばり」をはじめ昭和50年代を中心に全国で使われていましたが、新幹線の開業などに伴って各地で姿を消していきました。
JR東日本によりますと、仙台の車両基地に唯一、かつての姿のまま残されていた6両の1編成が老朽化に伴って解体されることになり、18日から記念の運行が始まりました。
JR仙台駅では出発式が行われ、詰めかけた大勢の鉄道ファンが、クリーム色に赤い帯の国鉄時代を象徴する車両を写真に収めていました。
岩手から来た男性は、「寂しいですが、これからは新幹線やエコ車両など新しい車両に頑張ってほしいです」と話していました。
300人の乗客を乗せた列車は、出発の合図のあと、福島県の郡山駅に向け走り始めました。
485系の記念運行は18日と19日の2日間、宮城・福島・山形で行われ、ヘッドマークを「ひばり」から「あいづ」や「つばさ」に変え、走るということです。
JR東日本によりますと、仙台の車両基地に唯一、かつての姿のまま残されていた6両の1編成が老朽化に伴って解体されることになり、18日から記念の運行が始まりました。
JR仙台駅では出発式が行われ、詰めかけた大勢の鉄道ファンが、クリーム色に赤い帯の国鉄時代を象徴する車両を写真に収めていました。
岩手から来た男性は、「寂しいですが、これからは新幹線やエコ車両など新しい車両に頑張ってほしいです」と話していました。
300人の乗客を乗せた列車は、出発の合図のあと、福島県の郡山駅に向け走り始めました。
485系の記念運行は18日と19日の2日間、宮城・福島・山形で行われ、ヘッドマークを「ひばり」から「あいづ」や「つばさ」に変え、走るということです。
特急 カラーの歴史
クリーム色に赤い帯が入った車体のカラーは、国鉄色と呼ばれ、国鉄時代、多くの特急に使われました。
最初に使われたのは、初めての特急型の電車として、昭和33年に登場した151系で、東京と大阪を結ぶ東海道線の「特急こだま」として運行されました。
その後登場した485系は、北海道から九州まで全国の特急で使用され高度成長期の人々の移動を支えるとともに、多くの人に親しまれました。
昭和62年の国鉄民営化でJRに移行してからは車体の改造や色の塗り替えが進められたほか、相次ぐ新幹線の開業で特急が廃止され、JR東日本によりますと国鉄色を残す485系は仙台の車両基地に所属する1編成が最後となっていました。
最初に使われたのは、初めての特急型の電車として、昭和33年に登場した151系で、東京と大阪を結ぶ東海道線の「特急こだま」として運行されました。
その後登場した485系は、北海道から九州まで全国の特急で使用され高度成長期の人々の移動を支えるとともに、多くの人に親しまれました。
昭和62年の国鉄民営化でJRに移行してからは車体の改造や色の塗り替えが進められたほか、相次ぐ新幹線の開業で特急が廃止され、JR東日本によりますと国鉄色を残す485系は仙台の車両基地に所属する1編成が最後となっていました。
特別な思いで列車に
18日の記念の運行に特別な思いで列車に乗り込んだ人がいます。
ラストランのために17日夜、東京から仙台に来たという菅野嘉幸さん(44)です。
菅野さんは埼玉県所沢市に本社がある私鉄の運転士をしていますが、きっかけとなったのが仙台と上野の間を走っていた485系の「特急ひばり」です。
福島県にある親の実家に家族で帰省する際に使い、当時は3時間以上かかる旅でしたが、幼い嘉幸さんにとっては家族で過ごす特別な時間だったといいます。
鉄道に関わる仕事がしたいと運転士になる夢を実現させた菅野さんは18日、「特急ひばりは、私の人生を決めた思い入れのある電車です」と話していました。
両親とともに乗った「特急ひばり」。
母親は去年8月、父親はことし2月に亡くなりました。
菅野さんは、「両親とともに見た特急ひばりの車窓からの福島の美しい風景を、今回のラストランでしっかりと見ておきたい」と話し、妻の真美恵さん(51)と列車に乗り込み福島県に向かいました。
ラストランのために17日夜、東京から仙台に来たという菅野嘉幸さん(44)です。
菅野さんは埼玉県所沢市に本社がある私鉄の運転士をしていますが、きっかけとなったのが仙台と上野の間を走っていた485系の「特急ひばり」です。
福島県にある親の実家に家族で帰省する際に使い、当時は3時間以上かかる旅でしたが、幼い嘉幸さんにとっては家族で過ごす特別な時間だったといいます。
鉄道に関わる仕事がしたいと運転士になる夢を実現させた菅野さんは18日、「特急ひばりは、私の人生を決めた思い入れのある電車です」と話していました。
両親とともに乗った「特急ひばり」。
母親は去年8月、父親はことし2月に亡くなりました。
菅野さんは、「両親とともに見た特急ひばりの車窓からの福島の美しい風景を、今回のラストランでしっかりと見ておきたい」と話し、妻の真美恵さん(51)と列車に乗り込み福島県に向かいました。
整備を担当した整備士は
18日、走った6両は昭和50年代前半に製造され、東北各地を走る特急で使われたあと仙台にあるJRの車両基地、仙台車両センターで保管されていました。
イベントなどで運行されることもあったため常に走れるように整備されていたということです。
長年、整備を担当してきた整備士の古川壽彦さん(56)は「485系は機器が多く、ひと言で言うと『気むずかしい』車両だった。今回引退する編成の車両は、いずれも国鉄時代に東北各地を走る特急に使われ485系の集大成と言えるものだと思う。なくなるのは寂しいし時代の流れを感じるが、長い間、お疲れさまでしたということばをかけてあげたい」と話していました。
イベントなどで運行されることもあったため常に走れるように整備されていたということです。
長年、整備を担当してきた整備士の古川壽彦さん(56)は「485系は機器が多く、ひと言で言うと『気むずかしい』車両だった。今回引退する編成の車両は、いずれも国鉄時代に東北各地を走る特急に使われ485系の集大成と言えるものだと思う。なくなるのは寂しいし時代の流れを感じるが、長い間、お疲れさまでしたということばをかけてあげたい」と話していました。