新社会人の頃からなんだか気になる言葉だった。JRの改札をくぐり、キオスクで缶コーヒーを買うたびに聞く女性の電子ボイス。
始めは、消音のために風流なトイレができたんだなとつくづく感心していた。だが始めから今日までずっと気づかなかったのだ。
滝のトイレにいつか入ってみたいと思っていたが探しても見つからない。男性は音なんて気にしない。女性用なんだなと納得した。
でも毎日耳に入る女性の電子ボイスは艶めかしく僕に語りかける。『滝のトイレでござます(ちょっと寄っていきなさいよ)』
そりゃあ寄って行きたい。電子女性と戯れたい。でもないじゃん。どこにあるの?わざわざ駅員さんに聞くのも恥ずかしいし。
おそらく15年以上滝のトイレに憧れながら働いてきたことになる。敷かれたレールを踏み外さないよう慎重に周りを伺いながら。
運命とは皮肉なもので大ピンチの時に僕は滝のトイレと出会った。腹を下してどうしようもなかった今日、トイレに駆け込んだ。
しかしどの扉も閉まっている。僕は我慢の限界だった。地獄の門が開きかけていたのだ。耳をすますと中から鼻歌が聞こえる。
圧倒的殺意!内股で耐えた!限界を超え耐えた!もうあがん!諦めかけたとき身障者トイレからお婆さんがヨロヨロ出てきた。
本来ならダメだと分かってるのだが非常事態である。すぐ済ますから許してっ!と僕はレールから外れ、禁断の地で用を足した。
頭に流れる交響曲第九番『歓喜の歌』。耳が殆ど聴こえないベートーヴェンが不幸のどん底で作った喜びの歌を僕は愛している。
その時、聞きなれた電子ボイスが流れた。
『滝のトイレでございます』
ん?
『たきのうといれでございます』
あれ?
『多機能トイレでございます』
あれれ?
『マジか?これが滝のトイレ…だったの?』
あまりの邂逅に僕は呆然とした。ベートーヴェンなら心の耳で聴き取れたであろうか。
耳の悪い僕には多機能トイレとは聞こえない。個室から出てスピーカーに耳をあてる。『滝のおトイレでございます』。うーむ。
僕だけがそう聞こえるだけなんかなぁ。