大企業のCEOにはサイコパスが多い?
海猫沢めろん(以下、海猫沢) マインドフルネスは、Googleとはじめとした企業の研修にも取り入れられているんですよね。ぼくは世界的な企業のCEOがマインドフルネスに関心を持っているのはすごく良いなと思っていて。ケビン・ダッドという心理学者の調査によると、大企業のCEOにはサイコパスが多いらしいんですよ。
川上全龍(以下、川上) (笑)。
海猫沢 マインドフルネスには、自分の心をととのえることで共感性、協調性を育てる効果があるとされていますよね。そういうCEOたちの共感性が育まれるならすごく社会的な意義があるだろうなと思います。
川上 私がお会いする起業家たちは、どちらかというと、そもそも自分たちの使命として、世の中をより良くしようと考えている方が多いですね。特定の顧客に向けてビジネスをしているのではなく、そこから派生して社会全体を見ているというか。
日本でも、2000年代初頭の起業家は自分の社会的地位しか考えていないような振る舞いも結構あって、それに対する批判もありましたが、それ以降、特に3.11の後の起業家はすごく利他的で、社会に対する企業責任を重視している。
海猫沢 企業と組んで禅の精神を広げていくということに対して、周りからの反発はありませんか?
川上 「金の亡者になぜすりよるんだ」みたいなことを言われることはよくあります。でも海猫沢さんがおっしゃるように、起業家が本当に悪人やサイコパスだとすれば、むしろそうした人を良い人にするために活動しているんだからいいじゃないですかと(笑)。
私自身は社会問題において、特別何かの問題の当事者でない人たちの考えを変えることがむしろ大事だと思っていて。「アライ※のためのマインドフルネス」という言い方をしていますけど、普通の人がより幸せになり、また困っている人たちに対する共感力が上がれば、自然とそういった問題に対する感度が上がって、無理解や差別がない社会につながるという考えなんです。
禅の指導については、予防科学研究者の石川善樹さんにいろいろ科学的な知見を教えていただいてますが、テクノロジーの世界で「人間の幸福」についての解明がどんどん進んでいるのに、いっしょに組まない理由がありません。宗教家の究極の使命は「人間をいかに幸せにするか」であって、伝統的な経典を広げることではないんですから。
※アライ:自分自身はセクシャルマイノリティではないが、マイノリティを支援することを表明している人間を指す言葉。
「自己啓発」は悪くない
海猫沢 前回、「マインドフルネスに禅の精神が含まれるなら、つきつめると社会性がなくなっていくのではないか」という疑問を投げかけたじゃないですか。それについては回答をいただきましたけど、今度は別の方向性での疑問があって。
川上 はい。
海猫沢 マインドフルネスが一般化していくと禅の精神性が薄れていって、テクニック側に先鋭化していくこともあると思うんですね。僕は、宗教から手法だけを取り出して、神様なしで自分を高めていくテクニックとして用いるというのには、なんとなく気持ち悪さがある。それって「自己啓発」だなあという。
川上 うーん、私は結構「無神論者」に近いんですよ(笑)。ブッダという存在は人間だと思っているし、もっと言うと、「そういう考えかたを作った人間たちの集合的概念」だと思っているんです。
海猫沢 なるほど。
川上 つまり、仏教やキリスト教のような世界的な宗教っていうのは、当時の自己啓発トレーナーたちの考え方が集約されたものだと考えています。
海猫沢 そもそもが自己啓発だと。
川上 だからマインドフルネスが自己啓発的な文脈で消費されても何ら問題はないと思っていて。もし自己啓発的なブームに問題があるとすれば、ひとりの人間が生み出したひとつの手法に寄りかかりすぎることじゃないかなと思っています。ある手法を絶対だと思ってしまうのはよくない。仏教でもそうで、完全にのめりこんじゃった人っていうのは、「怒り」が多いんですよ。
海猫沢 僕、前に「さとった」と思っている人の集まりに行ったんですよ。
川上 (笑)。
海猫沢 そうしたら、「俺は悟った」「いや、俺のほうが自我消してるから」なんて言い合ってるんです。その光景が、あまりにもシュールすぎて……。
川上 (苦笑)。まあ、そういう人は多いですよ。私の座禅会にいらっしゃる方のなかには「私はここにいる人たちと違って何年も座禅をしてきた。特別だから、みんなと一緒じゃなくて個別に教えて」とおっしゃられる方もいます。
でも、それはそもそも座禅というものを誤解しています。臨済義玄の言葉に「仏に逢うては仏を殺せ」というものがあります。これは自分の中で固定概念が生まれたなら、それを消せという意味です。自分が信仰心によって高みにのぼりつめたと思った段階で、ダメなんですよ。他の宗教だと、段階をふんで一歩一歩上がっていく感覚があるかもしれませんが、禅には「上がる」ということがない。上がっても崩されちゃうから。上がることにエゴを持ってはダメですね。
究極の公案は「海外旅行」である
海猫沢 僕、「公案」(禅問答)とか好きなんですけど。あれもマインドフルネスとは違った頭のトレーニングですよね。「犬に仏性はあるか?」とか、不条理ギャグみたいな世界だけど。公案って、今でもやっているんですか?
川上 私も修行道場ではやりましたよ。私は理論づくめなんで、よく師匠に怒られていたんですけど(笑)。
海猫沢 どういうところから始めるんですか?
川上 「犬に仏性はあるか?」から始めますよ。
海猫沢 でも、その答えって世間に流布してるじゃないですか。
川上 まあ、それは師匠もわかっているから、いろんなやり方で答えさせられるわけです。「無」というのを走りながらとか、腕立てしながら言わされたりとか。
海猫沢 「AIに仏性はあるか」とかそういうオリジナリティのあるものは生み出されていないんですか?
川上 日本では聞かないですねえ。ただ、アメリカのロサンゼルスで臨済寺禅センターをひらかれていた佐々木丞周師は、アメリカの文化になじんだ公案をつくられていました。「そこに神はいるのか?」とか。公案というのは、そもそも固定観念をとりはらうのが目的なんですけど、文化や時代が違えば固定観念も変わるわけです。だから、今の日本人が昔の公案の本とか読んでもしかたないんですよ。
なので、公案をやってみたいと言う方には、私は「海外旅行してください」と言っています。
海猫沢 海外旅行ですか。
川上 やはり言葉の通じない国に行くと、顔の表情とか手ぶりとか、自分が普段使っていないものに頼らないといけないですから。その体験こそが絶好の公案だと思うんです。
わたしの妻はアメリカ人で、今年で結婚7年目なのですが、彼女と話していると日々固定観念がゆるがされる。子供がごはん粒を残して僕が注意していると彼女から「パスタをのこすのとどう違うわけ」と言われたりして、公案をしているなあと思います(笑)。
海猫沢 おもしろいな〜。文化人類学者の西江雅之さんが「旅人の理論」というのを唱えているんですが、僕はそれが好きで。
彼いわく、どこに行っても檻はあるので完全に自由になることはできない。でも、檻を移動することで、多様で相対的な物の観方ができるようになるから、一番自由に近い状態になれるという。
川上 自分というものがあるかぎり、どこに行ったって本当に自由にはなれませんからね。マインドフルネスも、一歩ひいて自分を見つめることでそれまで縛られていた物の観方から自由になろうという話ですから。
マインドフルネスをやるとストレスが減るとかクリエイティブになるっていうのは、結局、それまでの習慣から自由になる、自分のものさしから外れるということなんですよ。
次回「瞑想が効く人、効かない人」は6/7更新予定
川上全龍(かわかみ・ぜんりゅう)
妙心寺春光院副住職、マインドフルネス講師。2004年米国アリゾナ州立大学・宗教学科卒業。06年に春光院にて訪日観光客を対象に英語での座禅会をはじめる。08年より米日財団日米リーダーシップ・プログラムのメンバー。12年よりトヨタ自動車にておもてなし研修の講師を務める。現在ではハーバード、MITなどのビジネススクールの学生、グローバル企業のCEOを含む年5000人に禅の指導を行うほか、春光院での同性婚支援など、LGBT問題にも取り組んでいる。
構成:平松りさ
AIからロボット、3Dプリンタまで。小説家が7人の科学者を訪ねる、テクノロジーの最前線。
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