【菅野 完の「日本会議」分析・解説】
【空虚な者たちが独裁的政治をしたがる昨今の政治事情】
【愚か者たちに春が来たのか? その荒涼たる風景】
① 「〈注目の人 直撃インタビュー〉『日本会議は中身空っぽ』異色の著述家・菅野 完氏が解明」(『日刊ゲンダイ』2016年6月6日)
安倍首相を筆頭に多数の閣僚が関連議連に名を連ねる保守系市民団体「日本会議」。この組織を徹底解明した新書『日本会議の研究』(扶桑社,2016年5月1日発効)が飛ぶように売れている。4月末の発売前から重版が決定。 発売前から重版が決定し,発売直後から品切れが続出。中古本市場では一時,定価の十数倍もの値段がつく一方で,出版元には「日本会議事務総長・
いまは入手困難の状態が続く “騒ぎ” になっている。しかも,著者は学者でもジャーナリストでもない,一介の元サラリーマンだった著述家の菅野 完氏だ(以下で,◆ は編集部の問い,◇ は菅野の答え)。----------------------▽ 人物紹介;すがの・たもつ △
1974年,奈良県生まれ。一般企業のサラリーマンとして勤務するかたわら執筆活動を開始。退職後の2015年から主に政治分野の記事を雑誌やオンラインメディアに提供する活動を本格化させる。扶桑社ウェブ系メディア『ハーバー・ビジネス・オンライン』の連載「草の根保守の蠢動」が大反響を呼び,今回書籍化された。
② 本 文 紹 介
1)日本会議は本来の右翼でも保守でもない
◆-1 1年ほど前まで会社勤めしながら,扶桑社のウェブサイトで連載したものを書籍化したそうですね。なぜ日本会議に関心をもったのですか?
◇-1 いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人たちが現われ,さらには7,8年前くらいから,「朝鮮人を殺せ」と叫ぶヘイトスピーチが各地で繰り広げられるようになりました。
変な人たちだと思って調べていくと,彼らのネタ元がいわゆる「保守論壇誌」であることに気づき,そこから日本会議にいき当たった。私は自分のことを思想的に “かなり右寄り” だと思っていますが,彼らの言説はあまりに幼稚だし,レベルが低いといわざるをえない。
補注)つまり,日本会議の幼稚さ・知的水準の低さ(痴的水準の高さ?)が指摘されている。
小沢一郎がつとに,安倍晋三のことを「幼稚で傲慢」と表わし,指摘してきた問題点は,この政治家1人だけでなく,この総理大臣を支持するとりまき(連中)全体にまで伝染しており,そうした特性をいっしょになって強く発揚させいる。
もっとも,そこには彼と彼らのあいだにおける相乗作用も併せて生まれているから,よけい始末に悪いというほかない。つぎの ◆ ◇-2の問答も,このさらなる低次元の発展を明示していく。
◆-2 どの辺が幼稚だと。
◇-2 彼らは平気で資料を無視する。事実より「物語」を重要視する。「国家の誇り」が事実より大事だという。右翼の本来の役割は「国を国家から守る」ことだと思うのです。国とは “邦” であり “ 故郷” でもある。
また,保守という視点でいえば「国家の暴走に掣肘をくわえる」ことも重要です。しかし,日本会議周辺の人びとの意識には, “国家” しかない。その意味では彼らのよって立つところは,本来の右翼でも保守でもなんでもない。
補注)つまり,愛国心をもてとはいっても,愛郷心についてはいわない。この政治の考え(思想などとは無縁のもの)は,安倍晋三にも共通するものである。『美しい国』(?)などと高唱する御仁が「アメリカへの属国日本の軍事体制」を,より高度化・完全化させようと努力した結果が,安保関連法の成立・施行である。これはまさしく,愛郷心などとは無関係である,売国的な・非愛国的な政治行為の,それはみごとな負的成果であった。
しかも,「憲法改正」「夫婦別姓反対」「従軍慰安婦」など判で押したように同じような主張が目立つ。この異様ともいえるバラツキのなさはなんなのかと,彼らの言動を観察しつつ,主張の“出典”を探したら,ほぼ例外なく『正論』『WiLL』『諸君!』などの保守論壇誌でした。寄稿している“識者”の多くが日本会議周辺の人たちでした。
補注)ここに挙げられている極右的に極端な雑誌は,その広告欄に並ぶ記事の文句だけをみていても,ゲップが出てきそうになる。それはともかくそれら最新月号を,そのケバケバしい表紙だけでも画像で観ておきたい。なお『諸君!』は2009年6月号を最後に休刊していた。『月刊 Hanada 』は『WiLL』から突然飛び出てきて,2016年の6月号から創刊された月刊誌。
◇-3 相撲解説者の舞の海秀平氏がなぜ憲法を語るのか。教育学者の高橋史朗・明星大学教授がなぜGHQの占領政策の過去について論じているのか。門外漢の人たちがもっともらしく戦後の歴史や憲法を語る。これが日本会議の特徴です。
出所)右側画像は,http://aomori-miryoku.com/2010/09/06/
2)会員は団塊の愛国オジサンと愛国オバサン
◆-4 日本会議の関連議連には与野党の国会議員280~300人が所属していると報じられています。
◇-4 日本会議本体の役員名簿には元最高裁長官,東大名誉教授,神社本庁統理など法曹界・学界の要職経験者が名を連ねています。多数の宗教団体も参画しているため,とてつもなく巨大な組織にみえますが,中身は空っぽです。
補注)さしづめ,その「中身は空っぽ」さを隠すための重石として動員されているのが,その元最高裁長官・東大名誉教授・神社本庁統理など法曹界・学界の要職経験者らだというわけである。そのせいか「日本会議」という太鼓からは,よく音が響いてくる。太鼓というのは「その中(空間)かカラッポである」ことは,いうまでもない。
◆-5 具体的にはどんな点が。
◇-5 日本会議が唱えている「改憲」「靖国参拝」「愛国教育」などは,非近代的で,思想的にも政治的にも目新しさがまったくありません。組織の中核を担っているのは70年安保の学生運動のときに左翼学生と戦った「右翼学生運動」のメンバーたちで,運動のモチベーションは突きつめると「反左翼」「反戦後民主主義」に過ぎません。単に「壮大なる反対運動」に過ぎない。だから中身が空っぽなんです。
◆-6 ものすごい巨大組織というイメージがあります。どんな人たちが参加しているのですか?
◇-6 日本会議には約3万8千人の会員がいますが,その多くは「日教組の教師は追い出せ」と叫んでいるような団塊世代の愛国オジサンや愛国オバサンです。圧力団体としての日本会議は,労働組合や業界団体などのかつての圧力団体と比べて規模は小さく,財界に強力スポンサーがいるわけでもない。この1年で徹底的に資料を集めて調べましたが,日本会議の小ささ,弱さが目についたのが正直な感想です。
補注)それでこそ,日本会議というこの舞台装置には,櫻井よしこオバチャン(すでにだいぶ年増だが)を,マドンナに飾れる余地も生まれている。
出所)画像は新着の「櫻井よしこ風刺画」,
http://pippa2cv.blogspot.jp/2016/03/blog-post_18.html
http://pippa2cv.blogspot.jp/2016/03/blog-post_18.html
3)政治家には信条より確実な「票」が魅力
◆-7 そんな組織が明らかに政権に影響を与え,実際に安倍首相は改憲に向かって突き進もうとしています。どうしてそんなことが可能なのでしょう?
◇-7 事務局のマネジメント能力の高さが力の源泉なのだと思います。日本会議はこれまでに,大規模な集会をなんども日本武道館で開催してきました。たとえば,去〔2015〕年11月に開催された「いまこそ憲法改正を! 1万人大会」などは事前に「1万人を集める」と公言し,言葉どおりに参加者を動員し,きっちり1万人を集めています。
単一の宗教団体のイベントで1万人という数は驚くに値しませんが,日本会議の事務局は霊友会・崇教真光・遺族会など異なる各種教団・団体から複雑な利害関係を調整して,正確に参加者を動員する。政治家は改憲うんぬんといった日本会議の思想信条以前に,彼らの緻密な計数管理能力に魅力を感じているのでしょう。
◆-8 数は少なくとも選挙の「票」が読めるということですね。しかし,同様な “集票マシン” では,農協など多くの団体で高齢化による弱体化が指摘されます。なにが違うのでしょう?
◇-8 日本会議も高齢化しています。しかし利権維持や経済的な理由で団結する農協や医師会などと比べ,思想的な理由だけで団結しているので,不況などの世の中の動向に左右されないのが大きな強みなのでしょう。
◆-9 しかも,市民運動の手法をとり入れている。
◇-9 事務局をとりしきるのは,新興宗教「生長の家」にルーツをもつ民族派学生運動が発展してできた組織です。1970年代に入り左翼学生運動が停滞しはじめると,民族派学生たちはリベラル陣営の運動手法を模倣しながらとり入れました。署名活動や講演会活動といった「草の根」の運動をコツコツと地道に続けた努力が,2000年代になって結実したといえます。
◆-10 生長の家の学生運動といえば,去〔2015〕年の安保法制審議で「集団的自衛権は合憲」と主張した憲法学者の百地 章・日大教授や,安倍首相の “右翼思想の師匠” と呼ばれる衛藤晟一・首相補佐官も出身者だと指摘されていますね。
◇-10 百地,衛藤の2氏および,明星大学の高橋史朗教授などは,日本会議事務総長である椛島有三氏が率いる「日本青年協議会」という生長の家学生運動にルーツをもつ右翼団体の幹部です。メディアは彼らを安倍首相のブレーンとして紹介することがありますが,来歴にまで踏みこんでおきながら,なぜか「生長の家学生運動」には言及しない。
補注)参考にまでつぎのポスターを紹介しておく。いつもの・お馴染みの面々が登場している。なお,問い合わせ先に『美しい日本の憲法をつくる国民の会』を名のっているけれども,このポスターを借りたアドレスには,きちんと〈日本会議〉と入っている。(画面 クリックで 拡大・可)
出所)http://www.nipponkaigi.org/activity
4)弱小派閥と弱小学生運動組織が結束
◆-11 安倍首相と日本会議がシンクロするのは,幼稚な思考回路が同じだからでしょうか?
◇-11 思想信条というよりも,双方の置かれた特殊な事情が結びつきを強めているのだと思います。安倍首相の出身派閥である清和会は,自民党主流派だった木曜クラブや宏池会などと比べ,利権も票田も少なく,生き残るために宗教組織と結びつくしかなかった。その弱小派閥に,弱小学生運動組織が結びついたのが,いまの安倍政権ともいえます。
◆-12 弱い立場の者同士がくっついた感じですね。
◇-12 はい。しかも安倍首相は閣僚経験がほとんどないまま異例の出世を遂げました。党内基盤が脆弱だった首相にとっては,規模が小さくても堅固な日本会議は頼れる組織だったのでしょう。そしてこの「弱者連合」は,いま,ついに「改憲」という結実を迎えようとしています。
◆-13 ところで,大手メディアでさえほとんど触れようとしてこなかった組織に正面から斬りこんだことで,嫌がらせなどはありませんでしたか?
出版元の扶桑社には「日本会議事務総長・椛島有三」名義で,出版の差し止めを求める申し入れ書が届きました。個人的にもウェブ連載中はなんどか嫌な思いはありましたが,出版後はピタッとやみました。
註記)以上菅野の本文は,http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/182670/1(~8)
② 日本会議の政治思想には新味も滋味も渋味もないけれども,嫌悪感と遅滞感と倦怠感は充満させている。
最近,フランク・コワルスキー,シリーズ戦後史の証言 占領と講和 8『日本再軍備-米軍事顧問団幕僚長の記録-』(中央公論新社,1999年)を読む機会があった。
この本のなかにはたまたま,日本会議の問題である「その旧態依然の政治体質」を指摘したのではないかと思われる段落があった。
それは,1951年ころの日本の政治情勢をめぐる意見であったが,2016年のいまの「日本会議」にも妥当しているかのように読めるのである。
彼らのもっているもっとも憂うべき弱点は,国家の軍事態勢という狭い視野に凝り固まっている,それより抜けきることができないことである。彼らの政治的抱負,国民の希望,日本の経済的限界や他国との条約などに関する見方は,錯覚に陥っていた従前に比べて少しも進歩していず,あいかわらずぼけていた(287頁)。いまから60年も前における時代状況に対する意見であったから,多少,いまには合致させにくい内容もあるものの,これらの説明には「反共=反中国・嫌韓国(打倒! 北朝鮮)論」を重ねてみながら,再解釈をくわえてみれば分かりやすくなる中身がある。出所)警察予備隊(東京・越中島),撮影日:1952年06月11日,http://ameblo.jp/zero-one-neo/entry-10763125813.html
彼らに共通したものは反共というスローガンだけであって,それ以外の点では親米派あり,反米派あり,デモクラシーに好意をみせるものもあり,予備隊を解散すべしと唱えるものあり,天皇制復古を叫ぶもありであった。
彼らのデモクラシーやアメリカ人に対する意見が,彼らの基本的軍事概念を左右し,最高司令官に関する彼らの姿勢を決定した。将来の防衛軍を,総理大臣が民主的にコントロールすることに反対する議論は鎮まったが,それでも多数のものが,最高指揮権は天皇に返すべきであると主張した(293頁)。
ただし,日本会議の「アメリカと在日米軍基地に対する態度」は奇怪であり,首根っこを押さえられているこの日本国でありながら,その相手に唱和〔屈従〕するほかない立場を示している。
日本会議の見解としては,こういうものがあるが,まったく奇怪を通りこしてコッケイである。「 [安保] 成立より1ヶ月,安保法成立の意義(「安保・国民フォーラム」の声明より)安全保障」平成27年10月20日のなかには,つぎのような文章があった。
結局,日本会議にしても安倍晋三にしても,この人たちが口に出していう「日本国民のいのちと暮らし」という文句の意味するところは,「日本国家の維持と運営」の以外にはありえない。★ 平和安全法制の成立を歓迎し,断乎支持する」★
本日,参議院で漸く平和安全法制が成立したことは,誠に喜ばしく心から歓迎したい。今日の国際情勢の劇的変化を考えれば,日本国民のいのちと暮らしを守るため,平和安全法制は,1日も早く確立されなければならなかった国家最優先の課題であり,安倍総理の英断を断乎支持する。「平和安全法制」の成立か1ヶ月が過ぎようとしていますが,いまだに反対集会や,それを過剰にとりあげるマスコミ報道がみられます。
註記)http://www.nipponkaigi.org/opinion
その基本点は,自民党憲法改悪草案の一字一句を読めば,そしてこれを現在の日本国憲法と比較すれば,たやすく理解できる1点である。かつて,戦争の時代のときに標語になってもいた〈公益を優先する基本精神〉が,21世紀のいまごろ,またぞろの要領で亡霊のごとく再登場している。
本当にそれが亡霊であれば,今年も盛夏が来たときには,納涼大会でお化け屋敷での出し物にしたい。だが,問題はそうではなく,政権を握っている安倍晋三君とこの応援団である日本会議の〈亡霊的ないいぶん〉にある。
③ 日本会議の本体
菅野 完は「日本会議周辺の人びとの意識には, “国家” しかない。その意味では彼らのよって立つところは,本来の右翼でも保守でもなんでもない」し,「彼らの言動を観察しつつ,主張の“出典”を探したら,ほぼ例外なく『正論』『WiLL』『諸君!』などの保守論壇誌でした」というように解剖してみせてくれた。
要は,どのように観ても,思想(哲学?)だとか理論(発想!)というには,あまりにも極端で一面的・偏屈である,もちろん幅などもない〈単細胞の傾向〉が,日本会議内においては濃厚に漂っている。
そうであっても,安倍晋三君の応援団用の理屈として転用・充当できるそれなのであれば,日本会議に特有である〈その種の無理〉も,なんとかごまかし通せそうである。しかし,この日本会議には,まともな政治的な集団とみなせるような実体はない。
はたして,ここに蝟集している人びとは「尊敬するに値するのか」,疑問ばかりが大きくふくらんでくる。政治組織としての日本会議は,日本の政治社会の腐朽化(いわば時代錯誤性)を,度外れの領域にまで引きずりこんだ。
ここでは,対抗意識を抱きながら,来(7)月に実施される参議院選挙に立候補を決めた小林 節の意向を聞いておくことにしたい。日本会議の対極に立つ対抗勢力からの,ひとつの具体的な意思表示である。
小林氏は記者会見で,安保関連法を成立させた安倍政権を「公然と憲法を破った。立憲主義の危機だ。戦争の危険を現実のものにした」などと批判し,打倒を宣言。
「安倍政権の暴走を止めたい」として,参院選で自民,公明両党の与党や民進,共産両党などの野党でもない「第三の旗」として無党派層の受け皿となる意向を示した。
註記)http://www.sankei.com/politics/news/160509/plt1605090008-n1.html
出所)画像は,http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/cf217ab2fcc6332bdbffcd7d1a61a155
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