休みっぱなしなのにたくさん人がきてくれてありがたいやら申し訳ないやら。
ということで。
障害者福祉の世界にきて
次の春で6年目の私が適当に今日も語ります。
まぁ今まで関わった障害者は
せいぜい百人ちょっと位じゃないですかね。年齢は3~65歳位かな。
自閉、アスペルガー、ADHD、ダウン、レア系の染色体異常、鬱、境界例人格障害、統合失調症、双極性障害、知的(軽度~最重度)
在宅例、施設入所例、虐待、家庭内暴力などなど……。
まぁ色々見たような見てないような。
経験長い人には全然負けますが。
何でこんなブログを書いてたかと言うと
知的・精神障害者の話って
ビックリする位にとりあげられないんですよ。
老人介護はまだ色々メディアに注目されていますが、障害者がメディアにとりあげられるのって24時間テレビ位でしょ。
ネットも障害児育児のブログか
教科書みたいな障害特性の解説。
情報量少ないと思うんですよ。
だからいまだに
知的障害者は純粋だの悪気がないだのと
偏見が根強いんですね。
純粋って言えば
健常者の女が彼氏の浮気を疑いもせずに信じて愛し続ける行為も純粋なのに
知的障害者が同じことをやれば『なんてピュアな純愛!』と美談悲劇のできあがりですわ。映画化決定ですわ。
健常者がかっとなって人を殴ったら
悪気はなかったと言い張っても
お巡りさんがきますが
障害者は『悪気はないから』ですよ。
要は同じことをやっても
障害者=純粋という刷り込みのせいで
どんな行動もそれに当てはめていき
必要以上に健常者は障害者純粋論をとなえてしまうし
無意識にそうであってほしいと願っている。
障害者は
純粋で努力家で懸命でなければ
いけませんか?
健常者と同じように
純粋な人もずる賢い人もいて
努力家な人も甘ったれな人もいて
最高な人も最低な人もいるというのは
いけませんか?
確かに知的能力の低さから
立ち振舞いが純粋な子どものように見えるかもしれませんが
その生きた歳月分の
人生経験がある人間です。
純粋な天使でなく
同じ人間であると認めると
『なんでこうなの!?』と憤ることが増えますが
それが彼らの生きる上での課題・困りごとであり、彼ら含め周囲の苦悩です。
自分の都合の良い綺麗な面だけみて
問題は見ないようにするのは
ただの現実逃避。
本当の福祉とは
彼らの特性を知り
彼らや周囲の抱える問題を知り
同じ人間として手を差しのべること。
何か問題が起きたとき
これは障害特性だから仕方ない、我慢しましょうと妥協することでなく
その特性と本人や周りが
どう折り合いをつけて
お互いに気持ちよく過ごせるか考えること。
それをするには障害知識、支援技術がいりますので、根性論や愛でどうにかなるものではありません。