※初出2015-01-03
遺伝的アルゴリズムにおいて、多様性は重要な要素。あまりに急速に適応が進んでしまうと、局所最適解に陥り、大域最適解にたどり着かなくなってしまう。優秀な個体を残す一方で、早い時期に過度の最適化が進まないことが重要。
そのためにいくつかアルゴリズムが考案されている。次の世代に生き残るべき優れた個体を、全体の中で比較し選別するのではなく、2個体を選びその間で遺伝子を交叉し、生まれた家族の中で優れたものを全体に戻す。
この時家族の中で2個体を選び出すのだが、1個体は最も優れた物を選ぶが、もうひとつはそれとは違う方法で確率的に選ぶ。不確定要素をあえて残す。
島モデルはいくつかの領域に分割し、全体ではなくその中で生存競争を行う。そして時々領域をまたがって個体を移住させる。遺伝的アルゴリズム自体が生物の進化をもとに考案されたものだから、生物とよく似ている。
遺伝的アルゴリズムは最適解を探す処理だが、同時に拙速に適応が進んでしまうと局所最適解、すなわち袋小路に入り込んでしまい脱出できない。適応が過度に進まないように「家族」や「島」という区切りが必要。ガラパゴスみたいなもんですな。区切られているから多様性は維持できる。すべてフラット化してしまいグローバルで生存競争をさせると、多様性失われ、真の最適解にたどり着かない。
その意味では生物の進化、人間社会の進化において物理的な距離というのは殊のほか重要な役割を果たしてきたといえよう。これまで物理的な距離というのは、情報や物流にとって足かせとしか思われなかったのだが。言ってみれば昨今のインターネットをはじめとする通信技術や物流網の発達で、ひとつの臨界点を超えたといえよう。
これは人間の頭の中も同じだと思う。知ってることすべてを一緒くたに考えているうちは、意味のある思考を生み出せない。むしろ足かせをはめて、思考に制限をかけ、それによって生まれた複数のアイディアをさらに取捨選択していくことで、結果的にすぐれた発想が生み出される。
生物…に限らず社会や人間の思考そのもの、の進化には、生存競争と多様性の維持という相反する2つの要素が重要。このバランスであらゆるものは進化してきた。というよりも「進化」とは生存競争と多様性が生み出す現象といってもいいだろう。それ以外に進化という現象はありえない。
昨今は、競争のグローバル化、一方で格差問題がしばしば話題になる。これは前述のように通信・物流技術の発達で、生存競争と多様性のバランスが、新たな段階に進んだから。人類の歴史においてこういうことは過去何度かある。産業革命や大航海時代、近くは世界大恐慌。技術の進歩で社会の構造が変化するとき、よくも悪くも混乱が起きる。
グローバル化は生存競争の激化。これは適応速度を速める方向に作用する。一方で単純に適応速度を増やすだけだと多様性が失われてしまう。脱出不可能な袋小路に入ってしまう危険性が高い。グルーバルかと平行して格差問題がクローズアップされるのは、多様性の減少・過剰適応の危険性を無意識に感じ取っているからだろう。
格差問題というのは「貧困者が可哀想」だから解決しなければならないのではなく、進化にとって多様性を維持することは重要だから、取り組まなければならない。感情ではなく合理性によって論じられるべき。
さてなぜいまさらのことを書こうと思ったかというと、最近話題のピケティ(笑)。まだ本を読んでないが、ネットでこんな記事を目にした。「国境を超えた公平性」。たしかにEU統合などを見れば、国家を統合してより広い範囲の統治機構を作るというのが世界的な流れにも見える。それが合理的だとも。
確かに一つの解決手段ではある。これは途上国だけでなく先進国にとっても恩恵があるはず。途上国の安い労働力によって先進国の雇用や富が無節操に途上国へ流出している。これは先進国にとってもプラスとは言い難い。途上国が豊かになること自体を否定するわけではないが、現状のようなコントロールされない流出は、先進国・途上国双方の崩壊をもたらす危険を感じる。地球統一政府のようなものを作って、先進国と途上国の問題は、日本国内の都市と地方の問題と同様に扱うべきなのかもしれない。
その一方でそうした統合は、より上位のレベルで多様性を損なう危険がある。「国」をひとつの個体としてみた場合、複数の国が生存競争を繰り広げているから世界は進化している。さまざまな統治システムを持った国が、遺伝的アルゴリズムにしたがって、最適な統治システムを模索しているわけだ。
なのに国を統合してしまうと、多様性が減ってしまう。進化には生存競争が必要。俺が戦争を否定しないのはこのため。残酷なようだけれど、人類の進化という面で見れば「滅び」は必要。下手に世界を安定させてしまうと、全体が袋小路に陥って抜け出せなくなってしまう。
まあそういう状態からも最終的には何らかの方法でぬけ出すだろうけれど、抜け出しにくいところから無理にぬけ出すほど、痛みが激しい。世界大戦とか。
ということで繰り返しになるけれど、格差問題というのは、生存競争と多様性のバランスという視点で論じられるべき。可哀想とかの感情や、平和や博愛という観点で論じると、収集がつかなくなる。なぜならそれだと「安定」の要素しかありえないから。不安定・不確実なものを残してこそ多様性は維持できる。世界は隔たっていなければならない。
それは必ずしも現状の国家の国境線である必要はないし、物理的・地理的なものでなくてもいいが、それを否定するならなにかしら別な区切りが必要。単純に現状の国境線を取り払えば人類が幸せになり今後も進化していくとは思えない。逆に言えば、問題の本質は国境線の存在ではなく、国境線に代わるものが見つからない点。代わりがないから取り払えない。
参考サイト:
島モデル(並列分散GA)とMGGモデル