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磯部涼の「川崎」【6】

【磯部涼/川崎】不況の街のレイヴ・パーティ

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日本有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。

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川崎区の工場地帯で、4月30日の夜から5月1日の昼にかけて開催された〈DK SOUND〉

 夜が明けようとしていた。空の色が次第に黒から青へと変わり、闇に埋もれていた工場群のシルエットが、型抜きでもするかのように浮かび上がる。めくるめく世界をつくり出していたプロジェクション・マッピングの色味は薄れ、汚れた壁が露わになる。一方、没入して踊っていたダンサーたちは、現実に引き戻されるとともに、周囲にいるたくさんの仲間の存在に改めて気づき、熱気は否応なく高まっていく。そこにいる誰もが笑顔だった。酔い潰れて地べたに転がっている人でさえも。DJはフロアをさらに燃え上がらせるために、トレス・デメンテッドの「デメンテッド(オア・ジャスト・クレイジー)」をミックスする。原始的なパーカッションの上で、狂ったような咆哮が鳴り響く。目の前にいる女性が緑色に染めたロングヘアを振り乱しながら、天を仰いだ。川崎区臨海部にある工場の屋上で行われていたレイヴ・パーティ、〈DK SOUND〉のピークタイムが始まった。

タワーマンションから見下ろす川崎の工場群、ドヤ街、風俗街

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夜が明けた後、TRAKS BOYSのDJプレイが始まり、観客たちの盛り上がりは最高潮に。

 地上200メートルから見下ろす川崎の街は、両手を広げれば抱え込んでしまえそうだ。左前方に流れる多摩川の奥側、大田区の河川敷は人工的に整えられ、無数のグラウンドが規則正しく配置されている。対して手前側、川崎区の河川敷は草が伸び放題になっている。2015年2月に少年の惨殺死体が発見されたのはそのあたりだ。そして、彼が犯人グループに飛び込まされた川に沿って視線を滑らせていくと、顔がゆっくりと右側を向き、東京湾を背にした工場群が目に留まる。この日は曇り空で、煙突から絶え間なく排出される煙が世界を覆っているかのようだ。手前には、高速道路が見える。下には、目視できないが、通称・産業道路が走っているはずだ。それを挟んで後方が、工場で働いていた労働者たちが建てたバラック群がルーツである迷路状の街、池上町。前方がヘイト・デモの標的になった多文化地域、桜本。もしくは、視線を落とせば、簡易宿泊所が立ち並ぶ日進町や、ちょんの間が現存する堀之内が眺められるし、再び視線を上げれば、〈DK SOUND〉の会場を見つけられるかもしれない。

 そんなふうに、ガラスの向こうを飽きもせずに眺めていると、吉野建介が呆れたように笑った。「この部屋は、住人はほとんど来ないけどね。わざわざ、川崎の街を見たってしょうがないし」。ここは、建介が住んでいる川崎駅前のタワーマンションの、37階にある展望室。童顔だが今年41歳になる彼は、川崎区に本社を構える、廃棄物の収集・運搬、及び処理を手がける会社・日本ダストを含むNDKグループの代表で、1週間後に迫っていた〈DK SOUND〉の主催者でもある。吉野ファミリーは、“ゴミ”という人間の営みから必然的に生み出されるが、みな、見て見ぬふりをしているものを通して、川崎という街の移り変わりに寄り添ってきた。そして、建介は〈DK SOUND〉によって、そこに新たな価値を加えようとしたのだ。

不良少年にも影を落としたリーマン・ショックの波

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〈DK SOUND〉を主催してきた吉野建介と妻の衣恵。

 1969年、日本ダストの前身・吉野商会は、建介の祖父と父によって設立された。彼らは、もともと、浅草近辺に住んでいたが、廃棄物の収集が許可制になった折、「ゴミが儲かる」という話を聞いて、川崎に向かったのだという。その背景には、同地における鉄鋼業をはじめとした工業の好調ぶりがあった。「父親の話だと、当時、川崎の街の盛り上がりは本当にスゴかったらしい」。建介は言う。「鉄鋼労働者は給料も良かったと思う。仕事は大変だっただろうけどね。炉に褌一枚で入って行って、塩を嘗めながら作業をしてたっていうから。で、日本鋼管(現・JFEホールディングス)のボーナスの日は、街を挙げての大騒ぎみたいな」。そもそも、川崎の繁華街や風俗街、公営賭博等は、臨海部の工場で働く労働者のために発展していったものだ。そして、景気が良いということは、大量のゴミが出るということでもある。「80年代のバブルの頃なんかは、カメラなんかも余分につくって、新品でもバンバン捨ててたらしい。回収業者の中には――もちろん、うちはやってないけど――それを横流しするところなんかもあったり。秋葉原に行ったカメラ会社の人が、捨てたはずのものが売られているのを見つけて、シリアルナンバーを調べたら、とある業者に廃棄を頼んだヤツで、『お前んとこ、どうなってんだ!?』って、問題になったとかいう話も聞いた」

 しかし、90年代以降、景気は下降していく。「鉄が儲からなくなって、鉄鋼業者が廃棄物処理業にも手を伸ばすようになる。ものすごい良い炉を焼却に使うっていうんで、最初、現場の職人は『ゴミを燃やすためのものじゃない』って反発したみたい」。また、08年に起こったアメリカ発の金融危機、いわゆるリーマン・ショックの波は川崎にも押し寄せた。「あの頃はもう会社を継いでたんで、景気の悪さを実感したね。まずは、大手の企業に影響が出て、その後、ウチみたいな下のほうまでしわ寄せが来るんだ。工場が生産調整をして、ゴミを出さないようにするから。週1回、回収しに行ってたのが、月1回になって、ドライバー全員分の仕事が入らないんで、常に何人かは休ませるというありさまだった」。また、影響は不良少年にまで及んだ。連載第2回で、ヤクザのシノギが減り、上納金の取り立てが中学生だったBAD HOPのメンバーたちに回ってきたという話を書いたが、それがちょうどこの頃だ。そして、川崎を襲った不況はいまだに尾を引いている。「その後、東日本大震災もあったからね。今もリーマン・ショック以前の状態には戻ってない。アベノミクス効果?ないない。あれの効果、感じてる人なんているの?(笑)」

 建介がNDKグループの代表に就任したのは02年のこと。一方で、ダンス・ミュージックを愛好していた彼は、友人だったDJチーム、TRAKS BOYSのK404とレイヴ・パーティをやろうという話になり、「うちの工場の屋上とかどうかな?」と提案、03年から不定期に〈DK SOUND〉を開催することになる。「普通、レイヴって山とか自然の中でやるものだと思うんだけど、その真逆の環境というのが面白いと思ったし、“デトロイト・テクノ”のイメージに重ねるようなところもあったよね」。同ジャンルは、アメリカを代表する工業都市だったものの、不況によって廃墟だらけになってしまったデトロイトから生まれ、世界を席巻したが、あるいは、建介は同じように停滞していた川崎から、何か新しいものが生み出せないだろうかと考えたのかもしれない。

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会場に吊り下げられたミラーボールが、工場の壁面を彩る。

〈DK SOUND〉のスタッフであり、DJやトラック・メイキングも行い、日本におけるテクノの第一人者であるDJ TASAKAのアルバム『UpRight』にはシンガーとして参加している衣恵は、06年に同イベントを訪れた際のことをこう振り返る。「あの日、生まれて初めて流れ星を見たんですね。しかも、5つも。感動して、ちょっとスピっちゃって(笑)。『良いパーティだな、手伝いとかしたいな』って思ったんです」。川崎で流れ星を見るという不釣り合いだが素敵な出来事は、ある意味、示唆的だったのかもしれない。やがて、衣恵はスタッフとなり、建介と結婚、川崎に移住する。ただ、横浜市港北区日吉の出身の彼女は、川崎区には良い意味で都会的な印象を持っていたものの、いざ住み始めると別の顔を見ることになる。「朝、通勤する時に、酔い潰れて倒れている人が何人もいたり、夜、帰宅するときに、車道の真ん中で20人ぐらいが殴り合いの喧嘩をしてたり(笑)。こういう土地柄だったんだ……って。2012年に元・オウム真理教の菊地直子が捕まったときも、ちょっと前まで潜伏していた場所が、私たちが住んでるマンションのすぐ近くだったって報道されて驚きましたね」

 それでも、衣恵は川崎に、次第に愛着を感じていく。「ガラは悪いけど、歩いてるとおばちゃんが『シャツ、めくれてるよ!』って直してくれたりとか、車椅子のおじさんが足の不自由な野良猫を可愛がってたりとか、人情味もあるんですよ」。また、最近では、川崎の街中でヘイト・デモのカウンターに参加する彼女を見かけた。「私は外国の人が多い川崎が、国際都市って感じで好きだったんですね。だから、排外デモがあると聞いて、『ふざけんなよ、何様だよ』って。でも、おかげで地元の団結力を知りました。ヘイト・デモが起こっている他の街と比べても、川崎は特に強いと思う」。

 一方、〈DK SOUND〉で出会った、川崎区出身の女性は、地元に愛憎入り混じる感情を感じてきたという。「ずっと、川崎が嫌だったんです。不良が多い地元の中学に上がりたくなかったので、勉強して東京の私立に行きました。あと、川崎駅のパン屋でバイトしてたとき、ホームレスのおじさんが、お金を払う前からパンをむしゃむしゃ食べ始めて……泣きべそをかいて『やめてください』って言いながら、『早くこの街を出よう』って思いました」。そんな彼女は、現在は東京に住んでいるが、今回の〈DK SOUND〉の前に川崎のブラジル料理店を訪れたという。「川崎って意外とおいしいご飯屋さんが多いんですよ。離れたことで、川崎がちょっと好きになりましたね。今は改めてこの街の良さを探している感じ」

 建介もリヴィングで、グラスにウォータサーバーから水を注ぎつつ言う。「川崎自体が変わってきたようなところもあると思うんだよ。もちろん、今だっていろんな事件は起こってるけど、昔はもっと暗かった。“川崎”って言うと、返ってくるのは『ああ、ヤクザの街でしょ?』とか“公害”とか、ネガティヴなイメージばっかり。でも、BAD HOPが象徴的だけど、ここ何年かでそういう環境をポジティヴに反転させるものが出てくるようになって。〈ゴールド・フィッシュ〉とか〈ムース・コーヒー〉みたいな、洒落た、良い感じのお店も増えたし」。〈DK SOUND〉は5月の開催で一旦幕を閉じるが、このレイヴ・パーティもそこにひと役買ってきたはずだ。「そうだといいな。『VICE』のBAD HOPのドキュメンタリーを観てたら、彼らが『ここが、日本で一番空気の悪いところで~』とか言っている後ろを、ウチの会社の車がブーンって通り過ぎて行って、申し訳ない気持ちになったけど(笑)」。建介は〈DK SOUND〉に続く企画を練っているという。スモッグを切り裂く流れ星が、止まることはないだろう。(つづく)

(写真/細倉真弓)

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磯部涼(いそべ・りょう)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽や、それらと社会とのかかわりについて執筆。著書に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、 編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)、『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)などがある。


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