熊本地震 想定はしていたが=飯田和樹(東京科学環境部)
地震学、防災へ生かせ
震度7の地震がわずか28時間の間に2度起こった熊本地震。「過去に経験がない」ことが強調されているが、震源となった布田川(ふたがわ)、日奈久(ひなぐ)の両断層帯は政府の地震調査研究推進本部(地震本部)により、存在や地震の規模が予測されていた既知の活断層だった。見方によっては、おおむね想定内の地震だと言える。それなのに大きな被害が出たことは、1995年の阪神大震災を契機に大きく進歩した研究成果が国民に浸透していないという現実を突きつけた。さらなる研究は重要だが、まずは現在の地震学の成果をいかに防災に結びつけるか、この機会に考え直すべきだ。
研究機関予測 既知の活断層
「地震本部は、今回の地震が起こることを言い当てていたのではないか」。熊本地震後、専門家に会うたびに問い掛けた。地震本部に設置された地震調査委員会の予測では、最初の震度7の震源となった日奈久断層帯の高野−白旗区間が活動するとマグニチュード(M)6・8程度(実際は6・5)、2度目の震源である布田川断層帯の布田川区間が活動するとM7・0程度(同7・3)の地震が発生する恐れを指摘していた。地震後に確認された地表の断層のずれ幅もほぼ予測の範囲内。M6・5の後にM7・3がくるとは指摘できなかったが、両断層帯が連動する可能性も分かっていたことを考えれば、全くの想定外とまでは言えない。
国は阪神大震災で地震学の成果が防災に生かされていないことを思い知り、その教訓を生かすため95年に地震本部を設置した。だが振り返ればその後、2000年の鳥取県西部地震から08年の岩手・宮城内陸地震まで想定外の大地震が相次ぎ、研究の限界を指摘されてきた。これらは地震本部が活動度や社会的影響から警戒していた約100の主要活断層帯ではない場所で発生した。海溝型地震である11年の東日本大震災も同じだ。地震本部はM7〜8程度の宮城県沖地震は予測していたが、その30倍以上も大きいM9・0の巨大地震は考えていなかった。プレート(岩板)境界にあり、ひずみをためやすい「アスペリティー」と呼ばれる場所が、東北の太平洋沖ではそれほど広い範囲にはないと考えていたからだ。
ただ、こうした試練の連続の中でも地震学は前進した。地震本部設置後について、地震調査委員会の委員長、平田直・東京大地震研教授は熊本地震前の取材に「国として地震調査の体制を構築し、全国的に活断層を調べた。これでいろいろな知識が増えた」と評価した。その一つが布田川、日奈久の両断層帯の研究で、熊本地震に関する私の問いに「想定外」と答えた専門家はいなかった。「活断層があると指摘していた所に地表のずれが出現した。右に横ずれすることも、ずれ幅も指摘通り。阪神後の研究成果」とある研究者は話した。
地震本部はこうした成果を「全国地震動予測地図」として公表している。ただ、一般の国民がどれだけ見ていたか。行政の防災担当者も危険性をどれだけ認識していたか。地震本部は活断層の活動確率を個別に示すだけでなく、13年からは広いエリアでリスクを数値化した「地域評価」も導入し、国民が我が身のことと地震予測をとらえるよう一定の努力はしていた。
「30年以内18%」 住民は過小評価
この中で、熊本県を含む九州中部で今後30年以内にM6・8以上の地震が起きる確率は18〜27%となっていた。千年単位、万年単位で考える地震学からすれば30年で18%でも高い確率だ。だが、あたかも降水確率を見るように「まず大丈夫」という雰囲気が地元にはあった。確かに、「起こらない確率」の方が高く見える。過去に大地震を経験した住民がいないことも安心感を植え付けた。県は地震の少なさを企業誘致のセールスポイントにしていたくらいだ。「活断層が近くにあることは知っていたが、地震が起こる可能性は小さいと思っていた」。本震翌日の4月17日、同県益城(ましき)町の会社員、山本博行さん(55)は話した。肝心の一般住人にとってはあくまでも想定外の地震だったのだ。
地震本部は今後3年間で3億円を投じ、布田川・日奈久断層帯について長期的な地震発生確率や規模を推定するため再調査することを決めた。それはそれで必要だが、現在の成果さえ防災に十分生かされていないとの認識がまず大切だ。発生確率にしても、地震は起きないと誤解されやすい表現では意味がない。抜本的に見直すか、使うならその数字が意味する危険度を丁寧に説明する努力が必要だ。そうした改善点は、他にもいろいろあるだろう。国民の防災意識が向上しないなら、どれだけ研究が進んでも阪神大震災の教訓が生かされたことにはならない。