人は誰でも必ずいつか「生」を終える
。。。この後も、この遺書は続きますが、初めて目にした時、もう僕は泣けて泣けて、なかなか読みきることができませんでした。
アニメーター、今敏氏のこの遺書に目を通したことがある方、多いでしょうね。「千年女優」や「東京ゴッドファーザーズ」など、幾つもの傑作アニメを残した今敏氏がガンでお亡くなりになってから、もう何年が経過したでしょうか。彼が最期に残した遺書は今でもHPで公開されていて、それはまさに、彼の「最後の作品」と言っても過言ではないほど、読む人の魂を揺さぶります。
感性の豊かな人は無数に存在します。ここでブログをあげている僕も、皆さんの多くも、きっとそれぞれが「自分の感性を形として残したい」という本能に導かれて、定期的に文章を綴っているはずです。
でも僕らにそんなことをするゆとりがあるのは、まだ死の時期を知らないからに他なりません。命の終わりを突きつけられた精神状態で、想いを綴っているわけじゃない。ある日突然
「あなたは近く命を終えます」
と告げられた時の感情なんて、未熟な今の僕には想像することさえできませんが、1つだけ言えることは
(きっと理路整然とはいかないだろうな)
ということです。
情緒は乱れ、恐怖し、絶望し、きっと自暴自棄か無気力に蝕まれるはず。
ところが世の中には、ごく稀に、こうも豊かな人間が存在するのです。
俯瞰して「死にゆく自分」を直視しながら、こんなにも愛に満ちた温かなメッセージを残せる人が。
いえ、もしかしたら死を前にすると、大なり小なり人は、達観するのかもしれませんね。
とにかくこの遺書は、どんな創作物でも達しないような心の深層まで届きます。
まだ健在な時の今敏氏はそりゃあ、超一流のクリエーターですから、物凄く豊饒な感性をお持ちだったでしょう。僕のような3流以下の人間では到底到達できないような高みにいらしたことは想像に難しくありません。
でも命の期限を告げられたはずの氏の綴った最期の文章は、もう感性がどうのこうのというような次元で表現することができないほどの尊厳に満ちています。
漆黒の闇の中を彷徨うような精神状態で、晴れやかな蒼穹さえ思わせるようなこのメッセージを遺した氏に、ただただ、僕は畏敬にも似た尊敬の念を抱くのみです。
俗な言葉しか紡げずに申し訳ないのですが、
「心底凄い人だ」と。
そして氏に匹敵するくらい、氏の奥様やご友人、ご家族にも感嘆を覚えます。
素敵な人間の周りには、素敵な人間が集まるものなんですね。
良き女性、良き友、良き仕事。
生前、男が求める幸せを全て一身に集めたのは、ひとえに氏の才気とお人柄でしょうね。本当、もっともっと氏の新しい作品を観たかったです。
幼き親友の死
僕は「死」を想う時、いつも1人の少年を思い出します。それは僕の幼馴染で親友だったT君です。小学校3年生まで、団地暮らしだった僕の隣家の長男が彼でした。
お互い長男同士で気が合ったのか、僕らはいつも一緒に遊んでまして。今でも覚えているのは、夏の暑い日、近くの川の土手に、カマキリ採りに出掛けた時のことです。早々に大きなカマキリを捕まえた彼に対して、その日の僕は絶不調、バッタ1匹捕まえることができませんでした。
そして夕刻、日暮れ。
意地になって諦めない僕に付き合って、T君は黙って長い草を分け入り続けてくれたのです。その姿に、幼いながらも僕は、
(こいつとは一生親友でいたい)
と感じました。
全く生意気ですよね(笑)
結局、もう辺りが闇に包まれる直前になって、ついにT君は特大の茶ガマ(茶色い大カマキリ)を捕まえてくれました。それは今日、彼自身が捕まえたカマキリよりもまだ巨大な、まさにプレミアものの1匹。にもかかわらず、T君はソイツを惜しげもなく僕にくれたのです。
「良かったね、修ちゃん」
まだまともな恋も知らない小学校低学年の男の子には、親友は世界で1番愛しい存在です。僕はT君が大好きでした。大人になっても2人は親友だと、信じていました。でもある日、突然信じられないような事件がT君を襲います。
彼はお父さんが大好きで、よくキャッチボールをしていました。お父さんは熱烈な阪神ファンで競輪好き。まさに昭和のパパって感じの優しい人だったのですが、実はT君のお父さんは多額の借金を抱えているのを家族に黙っていたみたいです。
焼身自殺。
僕らの家族が団地から一軒家に越した数日後に、T君のお父さんは灯油をかぶって自らに火をつけたそうです。
お母さんはベランダから突き落とされて無事でした。T君の弟も、煙に巻かれ意識を失いながらも救出されて回復しました。
ただ1人T君だけが、お父さんを助けようとお風呂場で水を汲み、炎に包まれたお父さんにその水をかけようとして逃げ遅れ、命を落としたのです。
自分の命の危機をかえりみず、わずか9歳の男の子が、です。
棺の中に僕は、プラモデルとグローブを入れました。お葬式では不思議と泣けませんでしたが、帰宅してから子供心に、自分のために必死にカマキリを採ってくれた彼を思い出し、それが彼の最期の行動と重なって、急に涙が溢れて止まらなくなりました。
(らしいといえばらしいけど、まだ子供なんだから、逃げろよな、T。。。)
思えば、当時はただただ悲しいだけで、子供だった僕はその死の重さを全く理解していませんでしたね。親友の死の意味さえ理解しないまま、愚鈍な僕は来る日行く日を重ねて、大人と呼ばれる年齢に達してしまったのです。
その間、新しい友達も、親友と呼べる男もできました。
時間の流れとは本当に、便利で残酷です。
でももう記憶も曖昧なオッサンになってから、今さらながら、僕は彼の死が自分に長い影を落としていることに気付きました。
誰か知人が亡くなるたびに、もうハッキリは思い出せない、阪神の黄色い帽子を被った彼のイメージが、脳裏をよぎるようになったのです。
男にとって、幼少時を共に過ごした「竹馬の友」は、何物にも替えがたい宝物なんですね。そしてこの今敏氏の遺書を読んだ僕の胸に去来したのは、やはりT君の姿でした。
人には、その人に相応しい、生き様と死が、平等に与えられます。
僕も自分らしい死を迎えられるような生き方をしたいと、日々、思います。