女性蔑視と大炎上した秋元康の歌詞
おぐらりゅうじ(以下、おぐら) HKT48の歌詞が炎上してますね。
速水健朗(以下、速水) <女の子は 可愛くなきゃね 学生時代は おバカでいい>(「アインシュタインよりディアナ・アグロン」作詞:秋元康)ってやつか。
おぐら 歌い出しから<難しいことは何も考えない 頭空っぽでいい>と。
速水 うーん、炎上はやむなし感があるね。でもさ、この歌詞をおぐら君の好きな西野カナが歌っていれば問題なかったんじゃない? いまの西野カナだったらむしろみんな裏読みする。
おぐら 西野カナの歌詞は、たとえば「トリセツ」の<こんな私を選んでくれてどうもありがとう><ずっと大切にしてね>とか、一見、前時代的なようで、実は能動的なんですよ。
速水 この曲、女の子側から見た、関白宣言だって言われてたね。
おぐら 受け身かと思いきや、主体性はあって、意志を持って選ばれているという、矛盾と思えなくもないギリギリのところに巧妙さがあります。
速水 <新しい服も伸ばしている髪も すべては大切なあの人のため きれいでいたい きれいになりたい 女なら誰でも愛されていたい>ってのは、「OLの教祖」って呼ばれていた古内東子「かわいくなりたい」(1996年)。
おぐら <エステより恋を始めることで人は変われる>の部分は、女性誌のキャッチコピーっぽいですね。
速水 これは、男女雇用機会均等法から10年経って、バブルも弾けて不景気だからトラバーユ*1もできないし、どうせ出世も昇給もしないんなら、一般職で結婚目指した方がいいんじゃない? っていう。
*1 「仕事」を意味するフランス語。80年代にリクルートが『とらばーゆ』という名前の求人情報誌を創刊したことをきっかけに、「転職」の意で使われるようになった。
おぐら いまでも十分に通じる感覚ですよ。
速水 デフレ時代のアイドルソング。
おぐら 例のHKT48のほうは、MVで未成年の少女たちがこの歌詞を歌っている生身の姿を見ると、やはり主体性は感じられなくて、歌わされている感のほうが強い。それに<女の子は 恋が仕事よ ママになるまで>って、この曲に限らない話ですが、そもそも恋愛禁止を公言しているグループに歌わせることの真意をどう読み取ればいいのか。それは、4月にデビューした欅坂46の第一弾シングル「サイレントマジョリティー」も同様で。
速水 <君は君らしく生きていく自由があるんだ 大人たちに支配されるな>(作詞:秋元康)か。こんな歌詞を恋愛が禁止されている10代の女の子たちに歌わせるって、完全にパラドックスじゃん。
おぐら 恋をして当たり前の女の子が、アイドルとして存在していることの両義性を狙っているんでしょうか。
速水 その辺が秋元康のメソッドのひとつなんだろうね。
おぐら あと、同じく秋元康の作詞で、アニメ『忍たま乱太郎』のエンディングテーマだった「0点チャンピオン」という曲があって、今回はその女の子版だっていう指摘もありました。<100点なんか 取らなくていい 大事なのは 女の子にもてることだよ>という歌詞です。
速水 なるほど、逆バージョンも秋元康はつくってるんだ。<お勉強ばかり がんばっても ダメなのさ 逆上がりができなくちゃ けっこう カッコ悪い>っていうのは、まさに男の子版の「アインシュタインよりディアナ・アグロン」だね。実際、ライターの堀越英美は、逆に子育ての現場だと、「男の子はおバカ、女の子はお利口」の教育が定着しているステレオタイプなんだって指摘しているのね*2。「11歳女子は新人OL、11歳男子はカブトムシだと思って育ててください」みたいなことをカリスマ男性塾講師が言っているとか。
*2 BLOGOS - 女の子はいつから「頭からっぽ」になってしまうのか ~ 「ピンク色の世界」に閉じ込めないために私たちができること - 堀越英美
おぐら 子ども時代には能力のほうが大事だって教わったのに、思春期の頃になると今度は容姿で判断される事態に遭遇して、結局、能力が大事なんて嘘じゃん、と。でもたしかに、中学生くらいまで男子はバカで、女子のほうが賢いっていうイメージありますね。それがいつの間にか逆転するのか。
速水 そのジレンマについて、秋元康が意識的かどうかは微妙だけど。
おぐら ちなみに、この歌詞を女性軽視だと批判したニュースサイトが、AKBの運営会社であるAKS 法務部から「名誉毀損及び侮辱罪が成立する」として削除要請のメールが届いたようです*3。
*3 秋元康の歌詞を「女性蔑視」と批判したら、AKB運営から「名誉毀損及び侮辱罪」「記事を削除せよ」の恫喝メールが
速水 俺たちも、気をつけないとね。西野カナならOKで秋元康ならNGとかは、ちょっと差別的かも。あと、彼の容姿については、ノー言及ということで。
おニャン子クラブに込められた性的メタファー
おぐら とはいえ、秋元康って、30年も前の小泉今日子「なんてったってアイドル」の時点から、歌詞にメタ視点を取り入れている人じゃないですか。アイドル自身が消費される存在であることを知りながら、「清く正しく美しく」アイドルを演じて見せるという。
速水 そうなんだよね。しかも、同じ1986年に歌も踊りもできない素人たちをテレビに出すことで、こんな簡単にアイドルってつくれるんだよって、アイドルというビジネスを終わらせてしまったのも秋元康なわけ。おニャン子クラブが、80年代アイドルを終わらせたわけだから。みんな、秋元康の手のひらで踊らされていた80年代と。
おぐら 2016年の今は、アイドル本人もファンも、そんなのは全部わかったうえで、より自覚的に踊ってるという感じがしますけど。
速水 おニャン子クラブは自覚なかっただろうな。だって、「セーラー服を脱がさないで」はさ、すごい歌詞だよ。この歌には背景があるんだけど、おぐら君の世代だと「夕ぐれ族」事件って知らないでしょ?
おぐら ちょっとわからないです。
速水 80年代に「夕ぐれ族」って名前の愛人派遣業が話題になったの。社長は筒見待子っていう若い女性で、当時はテレビにも出ていて人気者だったし、「夕ぐれ族」はちょっとしたブームになった。でも、彼女がのちに売春斡旋の罪で捕まるのね。その愛人バンクのメンバーには女子大生がたくさんいて、素人の若い女性に性的な関心が急に集まった。そんな時代の流れの中で、おニャン子クラブも登場している。
おぐら それが「セーラー服を脱がさないで」にどう関係してくるんですか?
速水 <ちょっぴり恐いけど バージンじゃ つまらない おばんになっちゃう その前に>(作詞:秋元康)って歌詞は、おそらく愛人バンクに登録した女子大生がモチーフになっている。
おぐら じゃあ『夕焼けニャンニャン』という番組名も、元ネタはその「夕ぐれ族」だった可能性はありそうですね。
速水 「ニャンニャン」も今や説明が必要な言葉だよね。当時、わらべってアイドルグループのメンバーだった高部知子が、週刊誌にベッドで裸でいる写真を撮られて、その見出しから「ニャンニャン」がセックスの隠語になった。『夕焼けニャンニャン』って、隠語だらけの番組名。
おぐら 性的モチーフ満載じゃないですか……。
速水 背景に当時の素人と性にまつわる風俗をちらばらせながら、無邪気な10代の女の子のアイドルグループとしてヒットさせている。そのプロデュースの手腕はすごいとしかいいようがない。まあ、でもだからといって歌詞にいちいち社会的なメッセージなんて込めて作ってるかというと、もっと感覚的なものだと思うけどね。
サリンジャーも出てくる秋元康の歌詞世界
おぐら と、いろいろ言ってますが、Jポップの歌詞にそこまで内容を求めるかっていう意見もあるかと思います。
速水 でもさ、俺たちがやるべきは、そこへ食いつくことでしょ。秋元康の“食えなさ”とは裏腹に、彼の初期の仕事には、作家性的なものが見いだせる気がするのね。例えば、「借りたままのサリンジャー」って曲があるんだけど。
おぐら 『ライ麦畑でつかまえて』のサリンジャーですか?
速水 そう。憧れの人からサリンジャーを借りっぱなしにしている女の子の話。返しちゃうと縁が切れちゃうのが恐いっていう。
おぐら 10代の通過儀礼の道具としてサリンジャーを使ってると。文学青年の自意識であり、文学少女への憧れも感じますね。
速水 歌っていたのは、山崎美貴ってアイドルの曲で、まあぜんぜん売れてない。ちなみに、俺が好きだった菊池桃子の歌では、秋元康はサンテグジュペリを登場させている。文学少女の片思いみたいなところが、秋元康の世界の原点なんだよ。
おぐら 秋元康に文学コンプレックス的なものがあるのは意外でした。きっと、サリンジャーの本を好きな女の子に貸したかったんだろうなぁ。
速水 一方、当時『ライ麦畑でつかまえて』を読まずにしれっと紹介していた小泉今日子。この間には、越えられない壁があるねえ。
速水健朗さんの新刊です。