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真顔日記

三十六歳女性の家に住みついた男の日記

マンガのセリフだけが有名になるのは問題だと思う

上田の日常と妄想

これだけ情報の流通する社会になると、見たことがないのに知っているものはどんどん増えていく。それはマンガやアニメも同じで、作品そのものにはふれていないのに、名場面や名ゼリフだけ認知しているものが多い。

これは問題なんじゃないだろうか。

というのも、以前、私はあだち充の『タッチ』を読んだんだが、すでに色々な情報が頭にあったものだから、「名場面待ち」の意識になっていたのである。その時の経験から言うのである。

具体的に言うなら、和也が事故で死んだときの達也のセリフ、

「きれいな顔してるだろ、死んでるんだぜそれで」

このセリフが来るのを頭のなかで待ち構えながら読んでいた。第一話の時点からこのセリフがいつ出るのかばかり気にしていた。身もふたもない言い方をしてしまえば、「はやく和也が死ぬシーンを見たい!」と思っていたわけである。ひどい欲望である。

読んだことがある方はご存知だろうが、和也はすぐに死ぬわけではない。序盤はピンピンしている。元気に野球をしている。私はじれながら思っていた。

「和也しぶとすぎる」

バイオハザードのゾンビみたいな扱いである。

むろん、作者は先の展開を知られているとは思っていないから、丁寧に話を進めていくわけだが、私は名場面に意識が向いているから、頭に鳴り響いている声は、

「はやくきれいな顔で死んでくれよ!」

非人情である。

そして実際に和也が死んで、「きれいな顔してるだろ」のくだりで非常に満足したわけだが、こんなもんマンガの読み方として完全に間違ってんだろ、ということである。

私は『あしたのジョー』はまったく読んだことがないが、ジョーが燃え尽きて真っ白になることは知っている。どういう流れかは知らない。とにかく真っ白になるらしい。

『フランダースの犬』もみたことはないが、主人公がルーベンスの絵の前で死ぬことだけ知っている。「僕、なんだか眠くなってきたよ…」と言うらしい。上空から天使が降りてくるらしい。

『アルプスの少女ハイジ』なら、クララが立つことだけ知っている。ひどいネタバレである。クララ、立つ。ちなみにクララという女はいくじなしらしい。「クララの馬鹿!もう知らない!」らしい。伝聞、伝聞である。

私は『スラムダンク』が好きで、何度も読み返しているが、考えてみるとこの漫画も、「安西先生…バスケがしたいです…」だけが妙に有名になっていないか。未読の人にとっちゃ、あのセリフが即座に連想されるのではないか。

そんな不安も生じる。

和也の死ぬところを期待しながら読むように、「安西先生、バスケがしたいです」に気をとられながらスラムダンクを読む人がいるかもしれない。「どいつがバスケしたいって言うんだろ?」と思いながら序盤を読み進めることになる。

これは最悪である。

安西先生が登場したら、「あっ!この人!」である。三井が出てきたら「出た!バスケしたがるやつ!」である。ようやくあのセリフを聞けるのかと大興奮である。

そうなると、三井が体育館で暴れているあいだも、「ぜんぜん言わないじゃん」である。「和也ぜんぜん死なないじゃん」と思った私のように、「三井ぜんぜんバスケしたがらないじゃん」と思うにちがいない。

とにかく名言を聞きたいものだから、読みながらも心ここにあらずで、三井の不良仲間がモップを振り回しているときも、小暮が三井の怪我の記憶を語りはじめたときも、イライラしながら、

「はやくバスケしたがれよ!」

非人情というか、馬鹿である。

そしてようやく三井が安西先生の前で泣きくずれ、「バスケがしたいです…」と言ったときに、「これ!ここが見たかった!」となるのかもしれないが、こんな読みかたじゃマトモに物語を楽しめないだろう、ということである。

以上である。

最後に、今回の話とは関係ないが、タッチの浅倉南という女は苦手である。あれをいいという男がいるのは信じられない。「南を甲子園につれてって」とか言われても、絶対に連れていきたくない。ヤフオクドームとかに連れていく。それはもう意味もなく。