清原和博氏が逮捕されて3ヶ月が立ち、本日初公判を迎えました。
ネガティブなニュースが続く中、先日、「かっとばせ!キヨハラくん」の著者、河合じゅんじさんが書いた「いつかのホームラン」が話題になっています。 www.j-cast.com
僕は少年時代からの大ファンで、著書も全部読んでいます。ファンはみんな、また野球界に戻ってきて、活躍してくれることを願っています。
先日、現在名球会理事長の山本浩二さんと、元チームメイトで西武時代の監督でもあった東尾修さんの講演会に行ってきたときのこと。
「本当は礼儀正しくて心が温かくてすごくイイヤツなんです」
「きちんと更生したら名球会はいつでも受け入れ体制を敷いて待っている」
「お遍路の最後、和歌山の高野山の頂上で待っていると約束をした。必ず来てくれるはず」
と熱い言葉を語っていました。
こんな時だからこそ、スーパースター・清原和博選手の名場面をみんなで振り返ってみましょう。
清原和博の名シーン<高校時代編>
清原和博・桑田真澄のKKコンビは、PL学園時代には1年夏から3年夏までの出場可能な甲子園大会全てに出場し1年生の時からエースと4番として活躍し、甲子園に伝説を残しました。
清原:91打数40安打 打率.440 本塁打13
桑田:20勝3敗 投球回数197 2/3 自責点34 防御率1.55
という、とんでもない甲子園通算記録を残しています。ちなみに甲子園通算本塁打記録2位は、桑田真澄、元木大介の6本です。
甲子園は清原のためにあるのか
3年夏だけの成績だと、打率.625/5本塁打/出塁率.750というぶっ飛んだ成績を残した清原。 「甲子園は清原のためにあるのか」は甲子園史に残る名実況。
運命のドラフト会議
1985年運命のドラフト会議。 清原はいち早くプロ入りを宣言しており、尊敬する王監督が率いる巨人を希望。巨人も清原の1位指名を公言し、相思相愛と見られていました。一方の桑田は早稲田大学進学を表明。 ところが巨人が一位で指名したのは桑田。「僕はあの時、桑田を憎んでいた。そして、僕に桑田を憎ませることになった、王監督を憎んだ。」と自著「男道」で語っている。
「あんたが勝手に惚れて、勝手に振られたんやないの。男らしく諦めなさい。男なら見返してやりなさい。泣いてる暇なんてないはずやで!」という母の言葉を胸に、巨人を見返すプロ野球人生が始まりました。
清原和博の名シーン<西武ライオンズ編>
運命のドラフト会議を終え、悩んだ挙句清原は交渉権を獲得した西武ライオンズに入団を決める。一年目から4番に座り、3割30本を達成。その後巨人に移籍するまでの11年間、西武の黄金時代を支えた。
高卒新人で3割30本達成。新人王を獲得<1985年>
https://www.youtube.com/watch?v=tkeLweolbOIwww.youtube.com
元祖サブマリン・山田久志からホームラン<1987年>
山田久志 「できれば全盛期に対戦してみたかった」 - プロ野球 - Number Web - ナンバー
日本シリーズで巨人を破り念願の日本一<1987年>
巨人vs西武との日本シリーズ。残り1アウトで優勝決定のシーンで、清原は1塁ベース上で泣いていた。 「巨人を倒すことが、僕がプロに入った一つの目標でしたから。それを達成できて、すごくうれしい!」というコメントにもある通り、念願の優勝だった。
バット投げ乱闘<1989年>
プロ野球界の乱闘といえばコレ、といってもいいくらい象徴的なシーン。ロッテ平沼投手からデッドボールを受けると、バットをピッチャー目掛けて放り投げ、ヒップドロップをかます。
トルネード投法・野茂からホームラン<1991年>
伊良部から通算300号ホームラン<1996年>
当時最速の158km/h,「ホームベースを新幹線が通りすぎたみたいだった」というほどのストレートを持つロッテのエース、伊良部秀輝からのホームラン。
清原和博の名シーン<読売ジャイアンツ編>
清原VS藪「3度目やぞ」<1997年>
これも清原の有名なデッドボールシーン。このシーズン3度目のデッドボールを食らい、ブチ切れた清原。「3回目やぞ?」「(俺は)3億やぞ?」と色々な解釈がされています。
復活のホームラン<2000年>
怪我に泣いた2000年。代打で迎えた今シーズン初打席で復活のホームラン!
ミスター・ジャイアンツ長嶋茂雄に並ぶ444号ホームラン!<2002年>
清原VS松坂 日本シリーズで特大のHR<2002年>
「レフトへーーーーーー!!キヨハラ!キヨハラ!キヨハラ!キヨハラ!」という名実況。
五十嵐亮太の豪速球・155キロをホームラン<2004年>
通算2000本安打達成<2004年>
通算500号ホームラン<2005年>
通算500号本塁打。引退までに525本のホームランを積み重ね、これは歴代5位の記録。
同級生・佐々木主浩の引退試合で涙<2005年>
「涙でボールが見えなかった。」
清原和博の名シーン<オリックス・バファローズ編>
クルーンから逆転サヨナラ満塁ホームラン<2006年>
https://www.youtube.com/watch?v=nVOEypE_ojUwww.youtube.com
「僕が見た20年間でナンバーワンのストレート」VS藤川球児<2006年>
引退。<2008年>
この引退シーンはだれもが記憶にあるはずです。
「生まれ変わったら同じチームでホームラン競争しような」当時、敵チーム監督で、運命のドラフト時の因縁の巨人監督・王貞治にそう言われて花束を渡され、あの時の怒りは全て流れた、と語っています。
清原和博の通算成績
- 通算525本塁打(歴代5位)
- 通算2122(歴代25位)
- 通算1530打点(歴代4位)
- 21年連続シーズン2桁本塁打(1986年 - 2006年 歴代1位タイ)※入団1年目からの記録としては、史上最多。
- 13年連続シーズン20本塁打以上(1986年 - 1998年 歴代3位タイ)※入団1年目からの記録としては、歴代1位。
- シーズン20本塁打以上:16回(1986年 - 1998年、2001年、2003年、2005年 歴代3位タイ)
- 通算サヨナラ本塁打:12本(歴代1位)
- 通算サヨナラ安打:20本(歴代1位)
- 通算1346四球(歴代4位)
- 通算死球数:196死球(歴代1位)
- 通算三振数1955(歴代1位)
- 通算満塁本塁打:11本(歴代9位タイ)
- 通算サヨナラ満塁本塁打:2本(歴代1位タイ)
- オールスター通算得点:26得点(歴代1位)
- オールスター通算安打:46本(歴代4位)
- オールスター通算本塁打:13本(歴代2位)
- オールスター通算打点:34打点(歴代1位)
- オールスター通算打率:.365(歴代2位)
- 最年少100号本塁打(21歳9ヶ月)
- 最年少150号本塁打(22歳11ヶ月)
- 最年少200号本塁打(24歳10ヶ月)
いやいや。本当にすごいですね。まさにレジェンド。
アメリカでは服役後の復活の例も。
先日、飲酒運転で服役していた選手が、出所後にメジャーで活躍している記事を目にしました。
アメリカだと過ちを犯した人へのセカンドチャンスが与えられます。 清原さんも、しっかりと罪を反省し、更生後には絶対にまた野球界で活躍してほしいなと思います!
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