「蛤御門」名前の由来に「待った」 新資料発見
幕末の「禁門の変」(蛤御門(はまぐりごもん)の変)の舞台となった京都御苑の「蛤御門」(京都市上京区)の名前の由来を巡り、京都産業大特別客員研究員の長谷桂さん(38)が定説を覆す資料を見つけた。これまでは宝永の大火(1708年)の際に開門された様子を、焼けて口を開けるハマグリにたとえて命名されたとの説が有力だったが、更に以前から「蛤」が使われていた可能性があるという。【宮川佐知子】
蛤御門はもともと「新在家御門」などと呼ばれていた。開かずの門だったが、江戸時代の大火で逃げ惑う京の民を避難させるため開放されたと伝えられてきた。
一方、長谷さんによると、1694年ごろ成立した「京都役所方覚書」の中に「蛤御門番二人」という記載が既にあるのを発見。公家の日記「日野輝光卿記」の1707年8月の項にも、「上御霊神社の祭礼の間、蛤門の人の出入りを一時的に止めていた」と書かれているのを確認した。また、1677年に作成された「新改内裏之図」に門が、開いた状態で描かれていたという。
長谷さんは「そもそも、開かずの門ではなかった可能性もある。名前の由来を突き止めたい」と意欲を見せる。研究を指導する京産大文化学部の笹部昌利助教(日本近世史)は「通説が変わる可能性がある興味深い発見だ」と話している。