沖縄は15日、本土復帰から44年を迎えた。1959年から琉球政府副主席を務め、本土復帰に尽力した故瀬長浩氏の生前のメモがこのほど見つかった。「保守のエリート」と呼ばれた瀬長氏だが、復帰を前に本土による沖縄差別にぶち当たり「沖縄とは何か」と自問。本土との同化を求める保守的思想を持つ傍ら、日米の政策を「沖縄差別」だとし、日米両政府へ厳しいまなざしを向けている。(政経部・大野亨恭)
資料は、瀬長氏の遺族が沖縄国際大の前泊博盛教授へ寄贈した。復帰前後の講演会で使用した原稿や本土復帰への思いなどをつづったメモなど、段ボール20箱分に及ぶ。
瀬長氏は沖縄の本土復帰は当然だとの考えを持っていた。
復帰に向けた事務移管などの準備を担う日米琉諮問委員会の琉球政府代表の任にあった68年9月、「復帰とわたしたち」と題した講演会用原稿では、明治維新など幾たびも日本本土との「統合」の機会があったにもかかわらず、沖縄の支配者層が「時勢に対する洞察力を全く欠いた」と批判。「(本土と)わたしたちは不可分一体の民族」だと強調し、先人の轍を再び踏むことがないよう心したいと、復帰を強力に推進する。
だが、同時に「沖縄差別」にも苦悶(くもん)する。同じメモでは、「戦後の沖縄の地位そのものが差別に由来する」。終戦後、米国の施政権下に置かれた不条理自体が差別だと指摘。沖縄が日本から切り離された52年のサンフランシスコ講和条約に触れ、「他の県だったら調印したとは考えられない」とも記した。
さらに、復帰直前のころに書いたとみられる別のメモでは復帰に際し「もっと根本的な『沖縄人とは何か』『私たちが復帰しようとする日本とは何か』」を問い直すべきだと強調している。
前泊氏は「復帰を願う保守本流の人間が、いざ復帰となったときに『本当に日本になっていいのか』と迷いが生じる様子がうかがえる」と指摘。その上で、名護市辺野古の新基地建設問題など沖縄の自己決定権がないがしろにされる現状に、「皮肉にも瀬長氏の懸念がこの時代になり当たっていたと言える。沖縄はいつもベターな選択を迫られ、ベストを選べない」と解説した。
前泊氏は保守側の観点からの復帰論を分析する上での貴重な資料としてメモのデータベース化を進めており、作業が済み次第、公開する方針だ。
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瀬長浩氏(せなが・ひろし) 1959年から64年まで琉球政府副主席、その後日米琉諮問委員会の琉球政府代表、復帰準備委員会顧問代理、復帰対策室長職務代行者を務め、沖縄銀行頭取、会長などを歴任した。97年10月死去。
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