【第4回】フォークロア・オブ・ノスタルジア

タイトル:フォークロア・オブ・ノスタルジア

プラットフォーム:バーチャルタブレット各種

サービス開始日:2064/12/3

開発元:ポテンヒット

運営元:ポテンヒット


世界のあらゆる低評価なゲームをレビューしていくレビューサイト「The video game with no name」、第四回目となる今回は、2064年サービス開始、最後のブラウザソーシャルカードゲーム「フォークロア・オブ・ノスタルジア」の紹介です。


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先日自身のオンラインゲームライブラリを整理していた際に気付いたのですが、この度喜ばしい事に、そしてお恥ずかしながら、私の積みゲームの数が晴れて5万本を突破しました。もともとこの「積みゲーム」の「積む」とは、ゲームが主としてパッケージで提供されていた時代に、遊んでいないゲームを床に積み重ねて保管していた事によるのだそうで。床の耐久性の技術の進歩より速くオンラインストレージの技術が進歩した事に、ただただ感謝するばかりです。


本来「雲の上」とは、死後の世界を比喩する言葉。老後に遊ぶ為のゲームをクラウド上のオンラインストレージに保存している現代の私達は、老いて死んでも遊びきれないゲームの山が既にあの世にまで到達しているという事なのでしょうか。


また、この記念すべき5万本目となった「Gagarin」というタイトル。これは2090年頃の初期の宇宙シミュレーター系ゲームを忠実に再現した、言わば「ノスタルジー作品」と言える一本です。5万本の中には未だ2090年代のゲームが遊びきれずに保管されているわけですから、それらを遊ぶ前にそれらのノスタルジー作品をまた「老後に遊ぼう」と追加して保管するというのは、そろそろ人類の寿命がゲームに追いつかなくなってきた証拠でしょう。


この現実という宇宙は神が七日間というデスマーチで作ったゲーム、そろそろ人間の寿命という大いなる欠陥に対してバージョンアップが必要。生きるというゲームに苦悩する読者の皆さんも、一人のユーザーとしてそうは思われませんか?


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老いてもなお若かりし頃のままゲームを遊びたいという欲求は、何も今に始まった話ではありません。かつて遊んだ昔のゲームを再現する為に、演出としてわざと技術的に見劣りするように作った作品達。言わば「ノスタルジー作品」は、150年という非常に短いビデオゲームの歴史の中でも、頻繁に繰り返されてきた重要なムーブメントの一つでした。


懐かしいところで言えば初期VRを忠実に再現した「Everlasting」。初期VRゲーム群にありがちだった酔いやすさやメニュー周りの質素さを再現した秀逸な作品で、特に他のキャラクターに近付きすぎると身体の中身が見えてしまう事を演出に盛り込んだことは、「このゲームはちゃんと身体の中身が透けて見える!!」とVideonicaのレビューでも驚きをもって評価されました。


歴史的見れば、2016年に初期ポリゴンゲームのザラついた質感を忠実に再現した「Back in 1995」とそのフォロワー達、聖典「スーパーマリオブラザーズ」が著作権切れとなった2056年にお菓子のオマケにまでついて来たFCマリオ再現ゲーム群、裸眼でAR情報が見えるこの時代にわざわざヘッドマウントディスプレイを着けないと見れないARを開発した「Re:AR」。いずれも、その時代の疲れた大人達を癒したタイトルばかりです。


ゲームの数だけゲーマーがあり、ゲーマーの数だけそのノスタルジーがある。老いて遊ぶゲームが変わるのでなく、老いたからこそかつて遊んだゲームを遊ぶというのは、やはりゲームは老いず、青春がそこにあり続けるからこそでしょうか。今回ご紹介するフォークロア・オブ・ノスタルジア(以下FoN)は、まさにそんなゲームの代表といえる一本でしょう。2064年リリース開始、2010年代に青春を残してきた「高齢者」の、彼らの青春を再現するためのゲームなのです。


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高齢者向けのゲームというのは、数は少ないながらも、現在もなお毎年一定数は必ずリリースされ続けているゲームジャンルです。もちろん需要があるというのは確かなのですが…、これは2050年代に厚生労働省が策定した「リハビリテーションソフトウェア特別促進事業」に基づき、認知症予防に効果のある娯楽用ゲームの導入の際に、福祉施設および利用者当人へ補助金が支給される影響によると言われています。


2020年代から始まった政府の介護医療事業への集中投資により、サイバネティクス・Brain Data Mining・介護ロボット研究の三事業に多額の資金が流れたのはご存知の通り。そしてその支流として、リハビリテーションソフトウェアにも注目が集まった時期があった、確かにあったのです!が、現在皆さんがそれらのゲームをあまり見かけない事が証明している通り、総じてあまり評判が良くありません。


通常のゲームレビューサイトや現在主流のSNSでそれらのゲームの評価を見ることは稀ですので、「大人の」情報を知りたいのであれば古きよき大人が集まるSNSであるTwitter140文字版のアーカイブをオススメしましょう。「遊ばされているとしか思えない」「この歳になって勉強するのはただただ辛い」「ヘル」、そこはインターネットに残された高齢者の生の声の宝庫なのですから。


「ゲームを遊ばされているように感じる」は、既に50年以上も続くリハビリテーションソフトウェアの病でした。しかしながら実は、50年前の時点で既に根本的な解決策を見出されている病でもあります。高齢者に楽しく遊んでもらうにはどうしたらいいのか、それはもちろん彼らが実際に楽しく遊んでいたゲームと同じゲームを作れば良い。遡ること百年前に大流行した「ソーシャルカードゲーム」。それを2064年の世の中に忠実に復活させようとしたゲーム、それがFoNだったというわけです。


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ここで改めて「ソーシャルカードゲーム」というジャンルを、読者の皆さんに説明しておきましょう。


ソーシャルゲーム

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0


Wikipediaの編集が45年前で止まっている事からも分かるとおり、ソーシャルカードゲームは今から100年前に流行した歴史あるゲームジャンルです。当時はSNSが普及し始めた頃であり、人々は携帯電話(※)からWebブラウザを通してSNSにログインしていました。当時のWebブラウザは現在のように五感の共有は搭載されておらず、確認できるのは文字と画像くらいなもの。人々は非常に制限された中で、情報を共有していました。


※携帯電話

おおよそ手のひら大のサイズの電話。後期のものは画面がついており、簡素なWebブラウザやゲームが搭載されていた。


ソーシャルカードゲームは、そんな制限の中だからこそ発達したカードゲームの文化です。文字と画像だけのブラウザの中だからこそ、画像をカードと呼び、画像の下にキャラクターの設定やシナリオが文字で記述されました。またそれぞれの画像は個別にレアリティを持っており、レアリティが高い画像を手に入れるには「ガチャ」と呼ばれる抽選機能で非常に低い確率の中を引き当てる必要がありました。


ガチャで手に入れた画像の持つ数値を、他のプレイヤーの画像の持つ数値と比べ、バトルを行う。レアリティの高い画像は、高い数値を持つ。バトルに勝つためには、ガチャでレアリティの高い画像を手に入れる。このシンプルなゲームサイクルを見れば、当時の若者達が「制限された中で生み出されるゲーム性」に心を奪われた理由はお分かりになるでしょう。レアリティの高い画像を引き当てられる確率は、驚くなかれ実に1%以下。人々は、心酔したのです。


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FoNを開発した「ポテンヒット」(※)は大学を卒業して数年の若者達が立ち上げた開発スタジオでしたが、大学でソーシャルゲームの歴史を学んだ言わば「研究者」達のスタジオでもあり、ゲームとしても非常に歴史的考察に優れたゲームでした。


※ポテンヒット

「カキンと言わなくてもヒットとなる事」に「課金無しでもヒット作となる事」をかけたダブルミーニングとされるが、未確認。


あなたがもし今現在130歳ならば、まず開始の時点で、システムメニューに当時の携帯電話を思わせるテンキーを採用しているところから驚かされる事でしょう。ゲームを開始するとまずはじめに「この物語は、古の伝説が伝わるノスタルジア大陸…」と壮大なオープニングムービーからはじまりますが、ゲーム内の動画はこのオープニングムービーとバトル開始終了時・ガチャ抽選時の三箇所しか使われておらず、開発陣の徹底した原作思考に唸らされるところです。


オープニングの後にはじまるのはゲームチュートリアル。ナビゲーター役の魔法使い「ミランダ」の指示に従い画面上のバーチャルテンキーをクリックしていくと、おおよそ7クリックで最初の敵を粉砕。その報酬として無料でガチャを引くことが出来、そこでレアリティの低いゴブリンのカードを入手。その後ゴブリンのカードを生贄にささげてミランダのカードを強化、「戦闘」「ガチャ」「強化」の一連の流れを経てチュートリアルは終了します。


高齢者向けとあって非常に手厚いチュートリアルで、更に驚くべきことは、1クリックごとに「戦闘に勝利しました!やるじゃない!」「強化に成功しました!あんた見かけによらずやるじゃない!」とミランダが褒めてモチベーションを高めてくれるという仕様。これは現在ではあまり見られなくなった「ゲームを遊ぶこと自体をゲームが褒めてくれる」という、大変素晴らしい仕様と言えるでしょう。(※)


※2115/5/3追記

メールにて、「当時のソーシャルカードゲームのチュートリアルは、大体の作品は1クリックごとに褒めていたのでは」というご指摘をいただきました。仰るとおり、これは高齢者向けの手厚さというよりは、忠実な原作再現にあたる要素です。誤解を招く表現、大変失礼いたしました。


しかしながら、単に過去の名作達に敬意を払っているフォロワーというだけではないところが、このゲームの真に語られるべき部分でしょう。ユーザーインターフェースは高齢者向けに最適化され、文字の一つ一つはハッキリクッキリと大きく表示。色調も淡い色彩でまとめられており、バーチャルタブレットによる目の疲れを緩和させる優しい光を放っていました。2010年代当時は多額の課金や長時間のプレイを捧げる事で激戦を生んだゲームの難易度も、プレイヤー負担を考え非常に緩やかに設定しなおされました。


FoNは、2010年代の模倣にとどまらない、まさしく2064年の価値観によって生まれたゲームだったのです。


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また流石に研究者だけあって抜け目がありません。ゲームというものの再現に、「そのゲームが遊ばれていた時代の空気感」が必要であるということを、彼らは見逃していませんでした。全国の高齢者福祉施設のAR掲示板向けに、2010年代当時を思わせる「事前登録でSRミランダ貰える」(※)という涙も枯れるレトロリスペクトな画像広告を打ち出し、サービス開始時点で実に8万人もの後期高齢者ユーザーを集めていました。


※事前登録

2010年代当時ソーシャルカードゲームはサービス開始前からプレイヤー登録を行うとレアリティの高い画像をゲーム開始時に入手できるサービスが一般的だった。


こうして大々的にプレイヤーを集めたFoNは、サービス開始初日から計算通りにプレイヤーが殺到し、華々しくサービス開始を迎えました。が、惜しむらくは、プレイヤーが殺到したのがゲーム本編ではなく、ユーザーメッセージボードだったことでしょうか。サービス開始から数時間でユーザーメッセージボードは落胆するユーザーに溢れ、ログは「何も分かっていない」という阿鼻叫喚のメッセージで埋まりました。


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ここでサービス開始直後のこのゲームの更新履歴をご覧になっていただきましょう。


2064/12/21

ご指摘をいただいておりました以下の箇所を修正しました。

・明確に表示されていた文字のフォントを、見え辛いものに修正。

・ノーマルとして排出されていた下記のカードのレアリティをレアへ修正。

 ドアノブの女神

 漆黒人魚ユイ

 約束された愛


2064/12/23

ご指摘をいただいておりました以下の箇所を修正しました。

・体力回復にかかる待ち時間を短縮する機能を削除。

・1クリックで済んでいたバトルを10クリックかかるよう修正。


2064/12/27

ご指摘をいただいておりました以下の箇所を修正しました。

・全カードのエフェクトを煌びやかに修正。


FoNがリハビリテーションソフトウェアとして優れていたという事実は、誰にも否定出来るものではありません。しかしながらユーザーの大多数は、だからこそ青春としては優れていないと判断しました。上記にあげた修正点に不具合は一つもない事、そして修正の大半は「リハビリテーションソフトウェアとしての配慮」を削除したものだという事。読者の皆さんにも、当時のメッセージボードが何を燃料に炎をあげていたのか、お分かりになる事でしょう。


はじまりは、高齢者を労わってハッキリと表示した文字が、「当時のゲームはこんなにフォントがハッキリしていない!」という欠点へと変わったことでした。高齢者の負担を考え搭載された体力回復機能の大半は、「本当に当時のゲームのバランスを知っているのか、舐めるな」という不勉強へ。優しいインターフェースを目指した色調は、「とにかく…昔のカードはもっとこう…なんだかゴワゴワキラキラしてたんだけど…」という不信感へ。


更新履歴を見るに、全てのカードにキラキラやゴワゴワをつける作業がクリスマスの夜に徹夜に行われていたのだろうと思われますが…、むしろその頃ユーザーの大半はと言えば、「クリスマスはクリスマスイベントやるのがこの手のゲームの常識だろ」という方へ怒りを向けていました。運営の優しさは、いつの間にかユーザーにとっての無理解へと。運営とユーザーの交流メッセージボードは、いつの間にか若者への説教の場へと変わっていきました。


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リハビリテーションソフトとしての「優しさ」は、ノスタルジーゲームとしての「無理解」。ノスタルジーゲームとしての「優しさ」は、リハビリテーションソフトとしての「無理解」。一体この世の誰なら、優しさと無理解の違いを定義つける事ができるのでしょう。2115年の世の中において、FoNが低評価になった理由はユーザーに対する「無理解」だったとされてはいます。しかしそれは本来「優しさ」と評されてもおかしくないものだったのではないか、私はそう考えてもいます。


優しさと無理解を言い換えれば、「どこからどこまでが必要とされている介助で、どこからどこまでが不必要な世話焼きなのか」という、介護医療における永遠の命題そのものと言っていいかもしれません。


介護医療の分野において「必要な介助」と「不必要な世話」の線引きが難しい事は、形は違えどゲームの中でも変わりはありません。FoNはゲームの歴史でもまれに見る、ゲーム内での「必要な介助」と「不必要な世話」の線引きを迫られたゲームと言えるでしょう。文字の明確さの「必要な介助」と「不必要な世話」の線引きはどこにあるのか。ゲームの難易度の「必要な介助」と「不必要な世話」の線引きはどこにあるのか。


SSRの排出確率が何%以上ならリハビリソフトとしての負担の許容範囲なのか、SSRの排出確率が何%以下ならノスタルジーゲームとしての原作再現なのか、そんなのこの世の誰にも決められるわけがない。


FoN運営はその後も「リハビリテーションソフトウェア」としての要件を満たすため、あの手この手で数々の施策や調整をこなしました。そして結果だけ言えば、どの施策もプレイヤーを満足させることはありませんでした。


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私がFoNを「優しさ」だと考えているのは、彼らが「無理解」だと言われてなお、それらの施策を止めなかったためです。


ゲームの更新履歴が示すとおり、リリース開始直後の炎上以降から終了に至るまで、FoNの運営がユーザーの説教に逆らったことは、ほとんどと言っていいほどありません。「課金兵(※)という言葉知らないだろお前らは」「イベント報酬やすない?」ユーザーの声を真摯に受け止め続けたFoNは、リリースから日を追うごとにゲームをバージョンアップし、文字通り一日一日と2010年代へと遡っていきました。


※課金兵

有料コンテンツのあるゲームに大量のお金をつぎ込むプレイヤーの事、2010年代~2030年代までに見られたインターネットスラング。


しかしそんな修正の嵐の中にあっても、FoN運営は懲りずにユーザーへの配慮を諦めませんでした。例えば、ゲーム画面の背景の色。現在インターネット上に残っているFoNの画像を、是非検索してみてください。一面緑・緑・緑の画像が目に飛び込んでくるでしょう? 実は初期FoNは、こういったプレイ画面ではありませんでした。「背景は原色で、白文字かが普通だよな」という指摘の修正の際に、一緒に全てを差し替えてしまったのです。「緑は目に負担が少ないから」という理由、おそらくはただそれのみをもって。


ユーザーの不満には正面から対応しながらも、ユーザーへの配慮の基本を忘れることは無い。「無理解」と「優しさ」のジレンマの狭間でバランスを必死に探り続けたFoNに、私は介助者として苦悩する人々の姿を重ね合わせて見ていたのかもしれません。


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リリース開始時は批判で賑やかだったFoNも、百年前のゲームがそうであったように、運営期間が長引くにつれプレイ人口はジワジワと減っていきました。FoNが衰退した原因は様々ありますが、主だったものとしてはやはり「競争についていけなくなったプレイヤーが離れた」という事があるでしょう。当初は長く遊べ過ぎてしまう事が非難さえされていたFoNでしたが、ユーザーの要求に合わせて進化した後期のFoNは、往年を思わせる熱い課金バトルの舞台に様変わりしていました。


トッププレイヤーで6000万円(※)、セカンドプレイヤーが4000万円、上位クラスは200万円からと言われた争いは、老兵は死なずを2060年の世に伝える見事な戦いぶり。しかしながら、かつての年金制度が本格的に限界を迎えつつあったのも、丁度このゲームと時を同じくする2060年代。レビューサイトに残された「手に汗握る年金バトル」というジョークも、当時の世相を鑑みればより一層の「面白さ」を感じさせるところです。


※6000万円

2115年現在にして1億2000万円ほど。


ウェラブル端末が普及した2060年の世に、人々が揃って「板」を必死に見つめるあの日の青春の光景は、奇怪に見えても仕方の無いことなのかもしれません。当初はリハビリテーションソフトウェア唯一の革新的ヒット作としてニュースサイトに取り上げられていたFoNでしたが、ポツリポツリと「異様なムーブメント」として家族や福祉施設の心配する声が伝えられ、それに歩みをあわせるかのようにポツリポツリとプレイヤー人口を減らしていきました。


リリースから三年後の2067年11月30日。「年寄りの楽しみを奪わないで…」との声に応えてオフライン版FoNをリリースし、それと引き換えにオンライン版FoNはサービスを終了しました。オフライン版FoNはほとんどオンライン版FoNと同一の内容でしたが、唯一の違いは、長時間プレイすると「一旦プレイを休みましょう!」と画面半分を覆い尽くして表示される心憎い仕様。最後の最後まで「無理解」と「優しさ」を忘れない、3年間という、あっという間の人生でした。


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「FoNのリハビリテーションソフトウェアとしての優しさは、本当にユーザーの健康の為になったのか」については、オンライン上に公開されている信頼できるデータは存在せず、諸説あるのが現状です。「FoNは年寄りの財産と寿命を吸い取った」と烈火のごとく怒る人もいれば、「FoNを遊んでいる祖父が好きだった」と優しく語る人もいます。そこで私から一つ、最後に私個人の勝手な推測を述べさせていただき、それをもってこのレビューを終わりにしたいと思います。


2067年サービス終了前夜のFoNは、先ほども語った通り課金した額で殴りあう苛烈なゲーム性となっており、特にトッププレイヤーとセカンドプレイヤーの争いはまさしく寿命を削る激しい争いになっていました。両者ともに、ゲームに使うお金の額に上限を決めているとは思えず、ゲームの勝敗は単に「どちらが長くゲームを遊び、どちらが素早くお金を使うボタンをクリックするか」という状態だったとさえ言われています。


セカンドプレイヤーは長きに渡ってこの勝負に負け続け、3年間の大半を二番手として過ごし続けていました。ただ、2067年夏のイベント頃より、急にトッププレイヤーを打ち負かすようになります。トッププレイヤーが調子が悪くなったわけではありません。ただただ、セカンドプレイヤーの連打速度が急激に速くなったのです。


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ゲームのメッセージボードにはもちろん「これは不正では」との投稿が並びましたが、虹彩認識・指紋認証のあるバーチャルタブレットでゲームを誰かに遊んでもらう事は難しいですし、そもそもそれに長時間付き合ってくれる人がいるとも思えない。ユーザー達の大半は、「突然力が覚醒したのか…?」とうろたえました。当然でしょう。記憶書き換えでもない限り、人は突然成長する生き物ではありません。しかしながら、2115年を生きる私が考えるに、2060年代時点で突然力が覚醒する可能性は、実は二つほど存在しているのです。


一つ目は、腕のサイバネティクス化。2060年代は既にサイバネティクスによる身体のパーツの入れ替え技術が普及していた時代であり、体力的に手術に耐えられない高齢者からは敬遠されてはいましたが、それを承知の上で手術を望む人も少なくはありませんでした。しかし腕をサイバネティクスに入れ替えるには、手術に耐えうる体力と、リハビリに臨む精神力と、痛みを乗り越える強い覚悟が必要になります。


二つ目は、量子ネットワークでのオンラインへの接続。一般的に2070年代が普及の本格化をイメージされる量子テレポーテーションの技術ですが、実際には2060年代の段階で国家機関・学術目的に限り既にネットワークの整備がはじめられていました。もちろん回線が量子であれば「速さ」において既存回線のプレイヤーに大差をつけて勝利できますが、これを一般人が2060年代に限られた施設で利用しようとなると、やはり並大抵の精力では続かない手続きが必要となります。


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ゲームに勝ちたいという一心が、腕をサイバネティクスにさせたか、はたまた量子ネットワークへの接続を果たしたか(、それともオレコマンダーを利用したのか)。いえいえやはり「優しさ」をもって見るのであれば…、勝ちたい心がプレイヤーの身体を純粋に強くしたのか。


今となっては真相は分かりませんが、一つ確かに推測出来ることがあります。老いている暇が無いほど熱中したゲームが、確かにそこにあったという事です。



2115/5/2 (Article written by Alamogordo)


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