​『ズートピア』 あなたの内なる偏見を照らし出す

さまざまな動物たちが人間と同じような文明のもとに暮らす“ズートピア”。そんなファンタジー世界を描き出したディズニーアニメ『ズートピア』はまた、鋭く人間社会に問いを突き付ける作品でもあります。伊藤聡さんが、その作品の背景とメッセージについて読み解きます。

近年、ディズニーのアニメーション作品は、現代的なジェンダー観やリベラルさを打ち出しながら変化を続けている。社会の公平さと寛容を尊重し、旧来的な性差に支配されたストーリー・テリングからの脱却をはかっているのだ。初めてアフリカ系の女性を主人公にすえた『プリンセスと魔法のキス』(’09)は大きな変化であった。また『アナと雪の女王』(’13)が、男性依存のエンディングを拒否しつつヒットしたのも記憶にあたらしい。

こうした一連の流れにおいて、決定打と呼びたい快作が『ズートピア』である。扱われるテーマは現代アメリカそのもの。偏見、差別、ステレオタイプ、排除──。現実にも、白人警察官による無抵抗の黒人男性殺害などの事件で、軋轢は前面化している。いまのアメリカが抱える困難をアクティブに取り込みつつ、小さな子どもにも楽しめるエンターテインメントとして成立させたバランスのよさに注目したい。製作にあたるのは『塔の上のラプンツェル』(’10)のバイロン・ハワードと、『シュガー・ラッシュ』(’12)のリッチ・ムーアを中心とした、複数の監督、脚本家チームである。

『ズートピア』は、洗練された文化を持つ動物社会をテーマにしている。肉食、草食を問わず、あらゆる動物の共存が理想とされる街、ズートピア。田舎生まれの主人公、うさぎのジュディは、ズートピアへ上京して警察官になることが夢だ。周囲には「うさぎはにんじん農家になるのがいちばんだ」「からだの小さなうさぎに警察官は危険でふさわしくない」「無謀な目標」と止められるが、奮闘の末に夢を叶え、史上初のうさぎ警察官としてズートピア警察署に勤務することとなる。

しかし、彼女を待ちうけていたのは厳しい街の現実であった。さまざまな動物たちの複雑な利害関係や、偏見とステレオタイプで部外者を排除する閉鎖性はいまだ根強く残っていた。ジュディはくじけそうになりながらも、与えられた仕事に精を出す。やがて、動物の連続失踪事件を捜査するよう命じられるジュディ。たんねんな情報収集の結果、彼女はしだいに手がかりをつかんでいく。事件からは、街に根づいた偏見と差別の構図が浮かび上がった。

劇中のエピソードは、公民権運動から現代までの米国史をおさらいするかのような暗喩の連続だ。たとえば象が経営するアイスクリーム店では、購入の列に並ぶきつねに対して、店主が販売を拒否するくだりがある。「店主はいかなる客に対してもサービスを断る権利がある」という但し書きは、ただちに悪しき人種分離法(ジム・クロウ法)を連想させる。

また、副市長の羊が、「私は羊票を集めるために副市長に選ばれただけ」と愚痴をこぼすシーンも皮肉である(票田を見込んだ起用、政治的アピールとしての人事)。チーターから「かわいいね(cute)」と声をかけられたうさぎが、「その言葉、同じうさぎ同士で言うならいいけど、別の動物に言われるのはちょっと……」とやんわり抗議するシーンも同様だ(同人種間でしか許されない言葉、冗談は多数ある)。社会的なメッセージの強すぎる作品は堅苦しくなりがちだが、本作は決して重くならない。かわいらしい動物のキャラクターに置き換えられることで独特の軽さが生まれ、退屈とは無縁の、テンポのいい犯罪捜査ものとして展開されていく。

なぜ動物たちが行方不明になったか。その影にはどのような企みがあるのか。物語の中心となるサスペンス要素はスリリングだが、作品から発せられる問いはさらに先へ進む。もし自分の発言が、意図せず差別的な意味合いを持ってしまい、他者を傷つけたらどうなるか。みずからの内面に偏見は存在してはいないか? 主人公がステレオタイプな差別意識を露呈させて友人を失う、という踏み込んだ設定には驚かされる。子ども向けのアニメ映画とはおもえない、実に苦い展開である。

他者の自由や尊厳に敏感であったはずの主人公がうっかり失言するシーンには、問題を他人事としない真摯さがある。差別とは、根っからの悪人のみが行うものではない。誰もが差別の当事者たりうるのだ。内なる偏見を見つめよ、と作品は問う。「誰だってなんらかの固定概念と闘っている」*1と製作者が述べる通り、誰しも差別はよくないと理屈でわかっていても、別の状況では他人を固定概念で縛ってはいないだろうか。

作品全体を貫く、尊厳と公平への意志。アメリカの子どもたちは、この映画を見て「社会とは何か」を学ぶのだ。アメリカとは何という国だと圧倒されてしまった。現実のアメリカが理想とかけ離れている事実は、説明するまでもない。しかし、あくまで理想を高く掲げ、同時に親しみやすい娯楽作品として人びとに届けようとする姿勢に、ただ感激してしまうのである。教育、啓蒙とエンターテインメントが高水準で融合し、あらゆる世代を魅了してしまう離れわざ。やはりアメリカにはかなわない、と私は痛感させられるのだ。

*1 劇場用パンフレット内、プロダクションノートに記載された記事より。

ケイクス

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およそ120分の祝祭 最新映画レビュー

伊藤聡

誰しもが名前は知っているようなメジャーな映画について、その意外な一面や思わぬ楽しみ方を綴る「およそ120分の祝祭」。ポップコーンへ手をのばしながらスクリーンに目をこらす――そんな幸福な気分で味わってほしい、ブロガーの伊藤聡さんによる連...もっと読む

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コメント

Kamag54639867 |伊藤聡 @campintheair というか人間に演じさせたら非難轟々だから可愛くしただけでしょそりゃ人間味出るわ https://t.co/PSuWxmcCdV 18分前 replyretweetfavorite

luckyandrich1 https://t.co/sEWmA37oC6 深いなー 約3時間前 replyretweetfavorite

kuri_kurita 『主人公がステレオタイプな差別意識を露呈させて友人を失う、という踏み込んだ設定には驚かされる。』 『他者の自由や尊厳に敏感であったはずの主人公がうっかり失言するシーンには、問題を他人事としない真摯さがある。』 https://t.co/egIxtXfFJs 約3時間前 replyretweetfavorite

ittokudayo 『ズートピア』 あなたの内なる偏見を照らし出す|伊藤聡 @campintheair https://t.co/IHeWkZyaCE 約3時間前 replyretweetfavorite