めがねもやしである
本日はみんなに「パンチラ」という現象について考えてもらいたい
それはいつも突然やって来る
突然であるが故に、美しいのだ
パンチラ論
そう、それは移ろい行く物に美しさを感じる日本人特有の感性、物の哀れに通ずる物があると私は考えている
桜の花が散り行く様に美を見出すのと同じように、我々の前に一瞬だけ姿を現すパンツにもまたそれを感じてしまう
故に「パンチラ」という現象は我々の心をつかんで離さないのだ
普段は見えそうで見えないギリギリの均衡を保つその様…
それは何人たりとも侵す事のできない禁断の世界…
まるで一反の羽衣のような可憐で美しい神秘のヴェールに包まれたパンツが奇跡的な確率で我々の前に一瞬だけ姿を現すその瞬間、まるで世界中の時間が一斉に止まってしまったかのような不思議な体験をしたことは無いだろうか?
我々の迷い込んだその世界には「一枚のパンツ」とそれに対峙する「自我」しか存在しないのである
我々の5感はパンチラと遭遇した瞬間、極限にまで研ぎすまされる
全ての意識は「パンチラ」へと否応無く注がれるのだ
その時、心はこれ以上無いという程の不思議な静寂に包まれている
故に一瞬と一生がほぼイコールで結ばれているかのような、そんな錯覚に陥ってしまう
「パンチラ」の爆心地から10m程度の距離に自らが存在していたのであればその「香り」や「触感」までもが手に取るように伝わっては来ないだろうか?
それを感じた脳は更なるパンチラの境地へと達して行き、えも言われぬ高揚感と幸福感に包まれ天にも昇るような夢見心地を味わえるだろう
もっと見たい!と思う反面、見えすぎるというのもまた話しが違って来るのだが…
やはり勘違いしてはいけないのが、「パンチラ」の価値の根源はそれが「チラ」である、ということである
一瞬であればある程、全体像が見えなければ見えない程価値のある現象だという事を忘れてはならない
見えれば見える程、それが意図的であればある程、パンチラはその価値を失っていく事になる
インターネットの発達した現代社会に置いて、パンツを見るなど呼吸をするのと等しいほど容易く、パンツそのものが陳腐化してしまったように思う
これは大変喜ばしい事である反面、パンツという物に対する人々の信仰を薄めてしまったというのもまた事実だ
そんな時代だからこそ、パンチラはより一層価値があるのではないかと私は考えている
まったく予期せぬ出会い、そして別れ
バーチャルでは味わえない緊迫感と生々しさすら感じる強烈な視覚的体験
それは「生きている」喜びそのものなのだ
生きている
そう、我々は生きている
生きているのだ
生きているからパンチラと出会えるのだ
あぁ、生きているってすばらしい…!
人生に絶望し、生きる事をあきらめかけたそのとき、一筋の光が見えたならそれはきっとパンチラなんだと思う
パンチラが我々に生きろと言ってくれているんだ
もしそんな瞬間が訪れたのなら、感謝と感動に肩を震わせながら無言で手を合わせて最大限の礼を尽くそう
そして生きよう、生きなければならない
まだ見ぬパンチラに思いを馳せながら我々はこの世を生きていくのだ
そんなパンチラへの思いを一句にしたためた
今回はこれで締めくくりたいと思う
「パンチラや あぁパンチラや パンチラや」
お粗末様でございました
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