本当は夕方4時半に家に帰れる生活がしたかった
—— 今日は堀江さんの新刊の刊行記念ということで、アフリカを拠点にビッグビジネスをしている金城拓真さんをお迎えしました。
金城拓真(以下、金城) よろしくお願いします。
—— 金城さんは、今やアフリカで50社以上を経営して、年商400億円以上あるんですよね。
堀江貴文(以下、堀江) すごいな。いつから始めたんですか?
金城 大学生の時、ですかね。
—— 金城さんは高校を出られたあと、韓国の大学に留学されたそうですね。
金城 はい。親父が公務員的な仕事をしてて、僕も同じ職に就きたかったんですけど、それには大学の卒業資格が必要だったんですよ。でも、僕は頭がよくなかったので、自分の学力で入れて、かつ学費が安いところを探して……。
堀江 大学なんて、別に誰だって行けるでしょ?
金城 堀江さんは東大に行ったからそういうことが言えるんですよ(笑)。あと、僕は4人兄弟の一番上で、あんまりお金をかけられないっていう家庭の事情もあり。
堀江 お父さんはなんの仕事してたんですか?
金城 米軍基地内で働いていたんです。沖縄で。
堀江 あー、そうか。「金城」っていう名字が沖縄ですね。
金城 ええ、当時から米軍基地は狙い目の就職先で、いまは違うのかもしれませんけど、うちの親父は夕方の4時半には家にいたんですよ。僕もそういう生活したくて。
—— 韓国の大学は行きやすかったんですか?
金城 はい。僕が入った大学には付属の語学学校があって、その語学学校の卒業試験がそのまま大学の入学試験になってるんです。なので、1年間は韓国語を学んで、そのまま持ち上がるっていう。
堀江 勉強してもぜんぜん意味ないですよね、韓国語って。
金城 まったくない。いま思えば、本当によく通ってたなっていう。
堀江 で、卒業して米軍基地に?
金城 いや、大学の卒業試験と基地の採用試験が重なってしまって、結局、大学生のときからしていた仕事を続けるっていう。
そうだ、アフリカで中古車を売ろう
—— その仕事が、アフリカに関わる仕事だったんですか?
金城 そうです。当時、2003年から2006年にかけて、韓国のヒュンダイっていう自動車メーカーの中古車を、アフリカ南西部にあるアンゴラっていう国に持ってって売ってました。
金城 僕は留学中は自炊してたんですけど、その自炊してる僕の部屋が、韓国料理が苦手な外国人の留学生がメシを食いに集まる場になってて、その中にアフリカ人がやたら多かったんですよ。
堀江 キムチとか嫌いな外国人?
金城 そう。アジア圏の料理って、ニンニクとかパクチーとか、薬味をたくさん使うじゃないですか。外国人、特にアフリカ人はそういうのが苦手で、一方で僕はただ肉を焼いて食ったりしてたので、次第に人が集まるようになって。
—— 金城さんが作るご飯を食べるために?
金城 むしろ途中から僕が食べさせてもらってましたね。本来僕は料理が苦手なので「食材はこっちで用意するから、調理はきみたちがして」っていう感じに。
堀江 そこで、アンゴラ人と知り合った?
金城 はい。そのとき仲良くなったアンゴラ人の兄弟と、僕ともうひとりの日本人の合計4人で中古車の輸出入を始めたんです。そのアンゴラ人兄弟のお父さんが、現地警察のトップだったんで、そのコネを使ってガンガン売りつけるっていう。
堀江 日本でも、アフリカで中古車売ってる会社ありましたよね。
金城 ありました。2007~08年くらいから、インターネットで中古車をアフリカに売るのが流行りだして。僕らが現地で直に中古車を売っていたころは、1台あたり平均で30~40万円くらいの利益を上げられたんです。
堀江 それはおいしい!
金城 でも、ネット販売になると相見積もりが可能になるので、一気に利益率が落ちるんですよ。いまはたぶん、1台あたりの利益は2~3万円とかじゃないですか。
堀江 なるほど。
—— じゃあ、当時は30万円くらいで仕入れて、60万円くらいでさばけた?
金城 僕らが始めた2003年ごろだと、いい時は6万円で仕入れた車が、80万円くらいで売れてたんですよ。
堀江 うわ、すっげ!
金城 まあ、仕入れ値プラス、コンテナ代や海運費がかかってくるんですけど、そういった諸費用も車1台分に換算すると20万円弱くらいなので。
堀江 濡れ手に粟じゃないですか。
金城 運がよかった、というと不謹慎かもしれないんですけど、当時のアンゴラは内戦直後で、国外にコネクションを持っている人たちがみんな亡命してたので、中古車を輸入してるのが僕らしかいなかったんです。おかげで「中古車といったらキンジョーの会社だよね」ってなったんです。
ヤバい、日本に帰る金がなくなった
堀江 で、儲けた金はどうしたんですか?
金城 大学を卒業して、会社を作って、今度は日本の中古車を売ろうと。日本の車は右ハンドルだから、同じく右ハンドルの車が走ってる東アフリカのタンザニアとケニアに拠点を構えようとしたんですが、そこで大失敗するんですよ。
堀江 なんで?
金城 売れなかったんですよ。理由は単純で、僕らの車がアンゴラで売れていたのは、アンゴラ人兄弟のお父さんのコネがあったから。つまり信用があった。アフリカの人たちにとって車を買うっていうのは、生涯年収をはたくようなイメージなんです。だから、よそから来た20歳前後にガキにそんな大金渡せるかって話で、もう、1台も売れませんでしたね。
堀江 ヤバいじゃないですか。
金城 ヤバいです。日本に帰るお金がなくなって。片道切符でアフリカに行って、最終的な所持金が4万円切ったんですよ。「これは大使館に難民申請したら強制送還してくれるのかな?」とか、そんなアホなことを考えていたら、ある保険屋のおっちゃんが助けてくれたんです。
堀江 そのおっちゃんはアフリカ人?
金城 はい、タンザニアの人です。僕は日本の保険に入らずに出国して、タンザニアに入国した日に自分で保険屋を見つけて契約したんですけど、その保険屋のおっちゃんが1カ月くらいして「どうだ、生きてるか?」って見回りに来てくれて。そのときに相談したら「俺の客に電話してやるよ」と。
堀江 それで売れたんですか?
金城 売れたんです。中古車って、普通はカーナビやカーステとかのオプションを全部外して、原価を低くして売るんですよ。でも、僕はそんなの知らなかったからフルオプションで、ほかの人が売ってるオプションなしの車と同じくらいの値段で売ってたんです。そしたら口コミで「キンジョーのとこの車すっげー安いぞ」みたいになって、社長さんクラスの人がどんどん僕のところで買うようになって、そのコネが生きて、現在にもつながってるんですよ。
命の危険を感じてコートジボワールへ
堀江 タンザニアで売り始めたときは、コンテナで何台ぐらい運んできてたんですか?
金城 最初はたったの4台で、売れたらそのお金でまた仕入れてっていうのを繰り返してたんですよ。そうしてるうちに、隣のケニアで大統領選挙があって、その選挙にまつわるゴタゴタで、外国人が結構死んだんですよ。
—— 「結構死んだ」って(笑)。笑い事じゃないですよね。
金城 発展途上国の人たちにとって、お金を持ってる外国人は基本的に敵なんですよ。なので、どさくさ紛れに「あいつら殺して金奪おうぜ」って。それを見て怖くなって、タンザニアの選挙はいつか調べたら、来年に迫ってたんです。「これヤバいよね。俺ら殺されちゃうかもよ?」って焦ってたら、タンザニアで一緒に仕事をしていたコートジボワール出身の日本人が「コートジボワールなら幼馴染がいるから、お金もあるし1カ月くらい向こうでブラブラしようよ」って。
—— タンザニアの選挙中はコートジボワールに身を隠して。
金城 で、行ってみたら、コートジボワールからナイジェリアあたりまで、西アフリカ一帯の若い人たちが、ちょうど年齢的に親から独立したり、親の地盤や会社を引き継いだりしてた時期だったんです。つまり見込み客がいたので、東アフリカでやってた商売を、西でもやれそうだなと思ったんですね。そうやってバタバタと仕事を回していくうちに、せっかくだから中古車販売以外にも手を広げてみようと。
堀江 具体的には?
金城 東アフリカに売れ残りの中古車が結構あって、もったいないからタクシー会社を作って、余剰在庫をタクシーとして使ったり、トラックが余ったら運送会社を作って配送車にしたり。で、いまアフリカにそうやってできた会社が50社くらいあって。
堀江 めちゃくちゃ行き当たりばったりですね。
金城 たぶん、考えて行動してたらここにはいなかったでしょうね(笑)。
次回「日本語しかできなくても、海外で成功してる日本人はたくさんいる」は4月21(木)更新予定
金城 拓真(きんじょう たくま)
1981年沖縄県北谷町生まれ。海外(アフリカ)起業家。2003年よりアフリカビジネスを開始。現在ではアフリカ9か国(タンザニア・ザンビア・マダガスカル・ベナン・ニジェール・ブルキナファソ・コートジボワール・トーゴ・カメルーン)で50以上の企業経営(各種貿易取引、農場経営、不動産、タクシー、運送業、金鉱山、ホテル、中国製品の卸売、土地開発、広告代理など)に携わる。2012年には内閣国家戦略担当大臣から表彰されるなど、アフリカンビジネス第一人者の一人。
司会:加藤貞顕 構成:須藤輝 会場:ゲンロンカフェ
激変する世界、激安になる日本。世界中を巡ってホリエモンが考えた仕事論、人生論、国家論。
はじめに 世界は変わる、日本も変わる、君はどうする
1章 日本はいまどれくらい「安く」なってしまったのか
2章 堀江貴文が気づいた世界地図の変化〈アジア 編〉
3章 堀江貴文が気づいた世界地図の変化〈欧米その他 編〉
4章 それでも東京は世界最高レベルの都市である
5章 国境は君の中にある
特別章 ヤマザキマリ×堀江貴文
[対談]ブラック労働で辛い日本人も、無職でお気楽なイタリア人も、みんなどこにでも行ける件
おわりに