コラム

ナチスの戦犯アイヒマンを裁く「世紀の裁判」TV放映の裏側

2016年04月14日(木)15時50分
ナチスの戦犯アイヒマンを裁く「世紀の裁判」TV放映の裏側

『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』強制収容所解放70周年を記念して制作された。

 2000年に日本でも公開されたイスラエル出身のエイアル・シヴァン監督の『スペシャリスト 自覚なき殺戮者』(99)は、1961年にエルサレムで行われたナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を記録した膨大な映像を、哲学者ハンナ・アーレントの著作『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』を踏まえ、独自の視点で編集したドキュメンタリーだった。

 ユダヤ人を死の収容所へ移送する作業で中心的な役割を果たしたアイヒマンは、1960年に逃亡先のアルゼンチンからイスラエル諜報機関によって連行され、翌年、裁判にかけられた。シヴァン監督は1991年に、テレビ放送のためにこの裁判を撮影したビデオが存在することを知り、それを見つけ出した。500時間にのぼる映像の三分の一は劣化し、使いものにならなくなっていたが、彼は残りの素材をもとにこのドキュメンタリーを作り上げた。

歴史的TVイベントを成功させたテレビマンたち

 実話に基づくポール・アンドリュー・ウィリアムズ監督『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』では、この埋もれた裁判の記録がどのように生み出されたのかが明らかにされる。ナチスがユダヤ人になにをしたのかを、テレビを使って世界に伝えようと考えたのは、35歳のアメリカ人プロデューサー、ミルトン・フルックマンだった。彼はイスラエル政府と交渉して裁判の放映権を獲得し、監督としてマッカーシズムで職を奪われていたドキュメンタリー製作者レオ・フルヴィッツを指名する。映画では、このふたりを中心に、様々な困難を乗り越えて裁判放送を実現していく制作チームの姿が描き出される。

 これは当時としては画期的な試みだった。イスラエルにはまだテレビ放送が存在していなかった。だから大半の国民はラジオに聞き入る。フルックマンは世界に映像を送るために、ヨーロッパからテレビカメラやその他の機材を取り寄せたという。また、フルックマンと組んだイスラエル政府の思惑も頭に入れておく必要があるだろう。トム・セゲフ『七番目の百万人――イスラエル人とホロコースト』には、時の首相ベン=グリオンの考えが以下のように綴られている。


 「アイヒマン裁判に関して、ベン=グリオンには目的が二つあった。一つは、ホロコーストを前面に押し出すことによって、世界の国々に地球上に唯一つだけのユダヤ人国を支持する義務を印象付けること、もう一つは、イスラエル国民、とりわけ若い世代に、ホロコーストの教訓、つまり自衛しないと絶滅するという教訓を教え込むことだった」

 そんな政治的な狙いは、皮肉なドラマも生み出す。4月11日から始まった裁判で、ハウスナー検事長は冒頭陳述に三日も費やした。彼は冒頭陳述を、ホロコーストに対するイスラエルの公式態度の宣言のようなものにしようとした。その間に、12日にはガガーリンが世界初の有人宇宙飛行に成功し、15日にはキューバでピッグス湾事件が起こり、裁判に対する世界の関心が低下していく。このTVイベントを請け負ったフルックマンは立場を失いかけるが、112人に及ぶ証人がホロコースト体験を生々しく語り出すと、世界が裁判に釘付けになる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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