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【東京】八王子隕石の謎に迫る 2施設で企画展
江戸時代後期の一八一七(文化十四)年、現在の八王子、日野、多摩の各市に隕石(いんせき)の雨が降った。国内で落下の記録が残るうちでは、五番目に古い「八王子隕石」だ。来年で二百年の節目を迎えるのを前に、実物を展示したり、当時の文献などを紹介したりする企画展が八王子市の二施設で開かれている。(村松権主麿) ◆こども科学館 現存唯一の実物展示市こども科学館「コニカミノルタサイエンスドーム」(大横町)は「八王子隕石と小惑星探査機はやぶさ」を二十四日まで開催している。はやぶさと関連させたのは、小惑星イトカワで採取してきた岩石サンプルが同様の成分で、隕石が元は小惑星だったと確認されたため。 最大の目玉は、現存する唯一の八王子隕石とされる大きさ五ミリ四方、重さ〇・一グラムのかけらだ。朝廷で天文や暦を担当した土御門(つちみかど)家の文書から一九五〇年ごろに見つかり、分析の結果、八王子隕石と確認された。 今回は、所蔵する国立科学博物館筑波研究施設(茨城県つくば市)から、隕石を包んでいた紙などとともに借り受けて展示。科学館は、同様に隕石のかけらが旧家などに眠っているのではないかと期待しており、同館の森融(とおる)さんは「蔵や仏壇、神棚に、紙に包んだ石があれば連絡してほしい」と呼び掛けている。 ほかに、はやぶさの軌跡や隕石と小惑星の関係をパネルで説明し、八王子隕石について記した文献を分かりやすく紹介。森さんは「太陽系の惑星のもとができ始めた四十六億年くらい前、小惑星は誕生した。八王子隕石から太陽系の始まりを想像してほしい」とも話した。 入館料二百円(四歳〜中学生百円)。月曜休館で、土日祝日は午前十時〜午後五時(平日は正午から)。二十三日午後二〜四時に森さんが講演会「古文書から発見された八王子隕石」を行う。定員八十人。申し込みと問い合わせは、こども科学館=電042(624)3311=へ。 ◆郷土資料館 古文書など50点説明添え市郷土資料館(上野町)は「八王子隕石と江戸時代の天文」を五月八日まで開いている。八王子隕石を記録した文書など約五十点を説明の文章を添えて展示。江戸時代の天文学と暦の関係などをまとめたコーナーもある。 江戸時代、幕府に仕えた八王子の半士半農の集団「千人同心」の組頭が書いた「桑都(そうと)日記」には、雷のような音が聞こえ、白雲がたなびいていたと記されている。やはり千人同心に所属した石川家の当主が代々書き継いだ「石川日記」には、隕石の落下した日は晴天で、今の時刻で午後二時ごろに音がして、石が降ったと書かれている。 地元の代官から報告を受け、天体観測や暦の作成をする幕府の天文方が、静岡県熱海市の伊豆権現(伊豆山神社)の山中から飛んだと結論づけた文書もコピーで紹介している。 学芸員の加藤典子さんは「当時の人たちが隕石に興味を持って調べ、うわさ話として広がった面白さを感じてほしい」と話している。入館無料。午前九時〜午後五時で月曜休館。問い合わせは郷土資料館=電042(622)8939=へ。 <八王子隕石> 1817年12月29日(文化14年11月22日)、江戸の東から西に飛び、八王子周辺に落下した。多摩川上空辺りで爆発、飛び散ったと推測される。江戸は大騒ぎになり、少なくとも18の文献に記録が残る。現在の中央区で目撃された記録によると「火の玉が飛んだ」などと記されている。落下後は長さ約90センチのものも含めて大量に集められたが、幕府の天文方が山の噴石と結論したことも一因となって散逸したと考えられている。 PR情報
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