書きたいように書けるから書けない。
どうもShunです。
最近は仕事が忙しくブログを書ける時間も少ないです。少ないというか書くこともないんですけどね。1日中仕事してその中で何か感じたり、考えたりっていうのがなくて困ってます(笑)ブログを書くネタがないっていうね。
やっぱり日々の自分にしかできない体験は大切だなと痛感してます。
で、ブログを書くための情報収集は読書が大切だなとも思いました。本から得た知識を吸収して自分のフィルターを通してからブログで発信する。これだけでユーザーには価値がある記事が出来上がるわけです。
本当に書きたいことが書けるっていうことですよね。
けど書きたいように書けるがゆえの何も書けない辛さっていうのも感じてます。
書きたいように書けるっていうことは何を書いてもいいってことなんだけど、
それがゆえに何を書けばいいかわからないっていう。
自由に発信できるけど、何を発信すればいいのかがわからないんですよね。
例えば好きな本について書きなさいと言われれば、それについて書ける。
自分の体験について書きなさいと言われれば自分の体験について書ける。
じゃあ、自由に書きなさいと言われたら・・・
何を書こうか迷う。
っていうことになるんです。
だから自由の中に制約を設けてやるのが大切なのかな?って思ったりしてます。
自由に書いていいけど自分の体験について自由に書きなさい
みたいな。
この部分が空白になっちゃうと、自由が不自由に変わるっていうことに最近気づきました。
もちろん人それぞれあるだろうけど僕はこのぬかるみに沈んでしまってます。
果たして何について自由に書けばいいのやら・・・。
自由に書いていいからこそ何について自由に書くのかが空白の状態です。
本を読んで思ったことを自由に書くのか?
体験を自由に書くのか?
自由の中の不自由さを求めることをしなければ、それはただの不自由でしかないということです。