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ポジ熊の人生記

好きなことを、見てもらえる情報にして発信する、そんなブログを目指しています。

法務省のいじめ防止啓発漫画がユートピア過ぎるのだが

世間 世間-批判・疑問


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法務省:マンガ(みんなで「いじめ」をなくそう)

 

元いじめられっ子として、法務省のいじめ防止啓発漫画について感じたことを書きます。

 

※H28/4/11更新

反論のハードルが高い

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今西君はいじめっ子の恫喝に対して、怯えながらも反論します。これは大変に勇気のいること。このあとに「味方が現れる」という要素がバックボーンにあるかないかで、このフェーズに移行できるかどうかが分かれます。親や教師が理解を示し、柔軟な対応をしてくれるかどうかの影響も強いでしょう。

 

僕がいじめを受けていたのは20年も前の話ですが、いじめっ子は狡猾でした。ジャイアンのようなステレオタイプで単純な馬鹿ではありません。親や教師を含め、根回しや愛想を振りまくなどの地固めも、いじめと並行して行っていました。

 

ですので、このように反撃へと転じる素地を作るのは、非常に困難なのです。この時点で現実味は薄い。

 

味方が現れない

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そもそも、権人君が現れる可能性が低いです。

 

周囲の人間も、自分の身の安全を最優先に考えることがほとんどです。危険を冒してまで弱者であるいじめっ子を助けようなどということはしません。いじめグループが常日頃から地固めを怠っていなければ、この傾向はさらに強まります。

 

また、義務教育において長期間同じ学び舎で過ごす人間関係の同調圧力というのは、想像を絶するものがあります。卒業間近で「この際だから」このような言動に及ぶことはあるかもしれませんが、それでも今後地元の人間関係に影響を及ぼすことを考えると、いじめられっ子に加担することは稀でしょう。

 

少数派の誰かが義憤により衝動的にいじめられっ子に加担したところで、それに賛同する人間が増えない限りは、その人もいじめのターゲットになります。

 

ステージは復讐へ

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いじめグループの面々を見ると「えへへ、ごめんね」といった感情が見て取れます。しかし、実際にこのような気持ちへ即座に切り替えることはできるでしょうか。

 

感情のコントロールもままならない、年端もゆかぬ子どもが、自分の主張を「クラス全員の意思」という多数決に押しつぶされるのです。怨嗟の感情は起きてしまうでしょう。

 

このあとは恐らく復讐のフェーズへ移行します。いじめられっ子が「いじめられた」という逆恨みを上西君に静かに激しく募らせ、目に見えない陰湿な攻撃へと移行する可能性があります。

 

また、いじめグループが次の標的になり、新たないじめが発生する可能性もあります。そうなれば、次はグループではなく、クラス全員がいじめっ子となります。

 

結論:現実味がない

いじめを受け、行き詰っている子供がこれを見た場合に憤りを感じかねない構成です。現実味がなさすぎるのですよね。

 

これを考えた人は、おそらくいじめを受けたことがないのでしょう。もしくは、漫画通りステレオタイプの漢気溢れるいじめっ子しかいない時代に育ったか。

 

なんせ花が咲いてます。これはユートピアですね。ファンタジーにしても面白味がなさ過ぎます。人間の純粋な悪意というものを直視するなといわんばかりの出来です。

 

公的機関が発するものとして、いかがなものかと思います。リアリティがありすぎるのも良くないですが、ここまで絵空事に仕上げるのも非常識ではありませんか。

 

いじめは多数決で起き、教師も多数の一である

皮肉なものですけれども、スクールカーストというのは多数の言葉なき意思により形成されます。その結果、上西君というスケープゴートを作り出して攻撃し、多数の安全が守られる。川が高いところから低いところへと流れるがごとく、自然な現象です。

 

残念ながら、教師は生徒を守ってくれません。個人を守った結果、全体に綻びが生じると判断し天秤にかけた結果、いじめられっ子を見捨てるという選択肢を選ぶ。

 

自分の立場を危うくさせるので非介入を貫くといった惰弱な者もいるでしょう。人間ですのでその弱さはわかりますが、職責として介入が妥当であるならば、全うして頂きたいものですけれども。

 

僕がいじめを受けた時は、教師が守ってくれるようなことはありませんでしたよ。いじめっ子の手中にありましたからね。定年間近で大過なく職を全うしたいという逃げの姿勢も感じ取れました。

 

後記

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多数決により生じたいじめを多数決で解決することは難しい。なれば、いじめられた子供が絶望の淵に立たされる前に環境を変える必要があります。具体的には集団から引き離すのです。

 

社会に馴染めないから、という理由で劣悪な人間環境に暴露した結果、最悪の行動を起こすことも考えられます。それだけは避けねばなりません。

 

誰でも手をつないでコミュニケーションをとり、円滑な人間関係を築ける、などとは考えぬことです。それは個性を潰す思想。馴染めぬ子供もいるのです。それは現実として受け入れるべきでしょう。

 

集団に無理に所属しなくとも、自分らしく生きていくことは可能である。自分らしさを伸ばしていけばいい、あるがままで尊い。この意思が少数派である児童の心に伝わり、自尊心を育んでいける体制を作るべきです。