ウルグアイのムヒカ前大統領、熱望していた広島県を視察

04/10 18:53
「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれる、南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領は、初来日から10日で6日目。
世界が注目するムヒカ氏の目に、経済大国日本は、どのように見えたのか。
ムヒカ氏は「わたしは、日本に来て、広島を訪問しないことは、日本の歴史に対する冒とくだと思います」と述べた。
日本にやってきて6日目の10日、ムヒカ氏が「行ってみたい」と熱望していた広島県を視察した。
戦争、そして原爆の爪痕を、どんな思いで目に焼きつけようとしているのか。
2012年6月の国連環境会議で、ムヒカ氏は「われわれは、発展するために、この地球にやってきたのではありません。幸せになるためにやってきたのです」と述べた。
この4年前の国連会議で行った、伝説のスピーチをきっかけに、世界で一番貧しい大統領として注目されるようになった、ムヒカ氏。
2015年3月まで、ウルグアイの大統領を務め、在任中は給料の大半を寄付し、農場で質素に暮らす生きざまが国民に愛され、今では、世界中から注目される存在となった。
そんなムヒカ氏は、来日後、東京で多くの若者とのふれあいの場を設けてきた。
そして9日、京都の植物園へと足を運んだ。
ゆっくりと日本の春を感じながら、日本の植物を観賞する、ムヒカ氏。
実は自宅の農場で、世界中の花や木を育てるほどの植物好きだという。
少し散り始めたソメイヨシノの木を前にして、ムヒカ氏は「桜は、花が散っても、生き続けるんだね」と述べた。
そんなムヒカ氏に気づいた来園者から、記念撮影を頼まれ、気さくに応じていた。
その後は、あっという間に人だかりとなり、握手攻めに遭うと、温厚なムヒカ氏も思わず、「もう、助けてください」と話した。
そして10日、ムヒカ氏が最も訪れたかったという場所、広島市の原爆ドームに到着し、その思いを語った。
ムヒカ氏は「ここに来ることは、義務であり、光栄なことです。若い世代が(原爆のことを)忘れないように、貢献していきたい」と述べた。
広島平和記念資料館では、沈痛な面持ちで、当時の資料や写真を見学した。
館長は「皆さん、やけどした。爆心地から半径2km圏内、一瞬にして、火の海に達しました」と話した。
言葉を失う、ムヒカ氏。
被爆した当時の町のジオラマを前にして、出た言葉は、「全て焼けてしまったんだね」というものだった。
広島に残された原爆の爪痕と記憶を目の当たりにしたムヒカ氏が、最後に語った言葉とは。
ムヒカ氏は「原爆を作った男は、非常に頭のいい男でした。原爆を作ることで、どういうことが起きるかわかっていました。でも、自分自身にブレーキをかけることができませんでした。人間は、ばかげたことをするものなんだ。科学には、まだ多くの使命が残されているが、倫理観が欠如すると、悲劇を生むのです」と述べた。

来日して、過密スケジュールの中でも、特に若い世代にメッセージを伝えようとする姿があった。
もし、現状に不満があるなら、不平不満ばかり言わず、よりよい、あしたのために行動しよう。希望を持って、行動し続ける人がいるかぎり、少しずつでも世界は変わっていく。
そう語る言葉は、ムヒカさんの信念そのものだった。

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