松尾匡・橋本貴彦『これからのマルクス経済学入門』
松尾さんのサイトで紹介されていたので購入。松尾匡・橋本貴彦『これからのマルクス経済学入門』(筑摩書房)は、昔の『近代の復権』のリニューアル版という感じもありますが、細かいところも結構興味深い論点があって、一気に読みました。
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__160314.html
なにしろ、
搾取と貧困が深刻化する今、「階級」「疎外」「労働価値説」「唯物史観」といった、マルクス経済学の基礎概念を再検討し、現代的な意義を明らかにする、画期的な書!
ですからね。
一見とてつもなく時代遅れでアウトオブデートな議論に見えて、実は世に横行する諸々の議論よりもずっとアクチュアルな概念であることを見事に論証していく手際がかっこいい。
そしてそれが実は、例えば松尾流疎外論が、昨今どこかで話題になっている「意識高い系」に対する根底的な批判になっていたりするわけです。
・・・昔の政治家は、保守系なら地元の青年団から、革新系なら労組の書記から叩き上げて、地元民の世話を何くれとなく焼き、常に有権者の姿を思い浮かべながら、その暮らしに奉仕するために仕事をしていたものですが、今や与野党ともに、そうしたこととは縁がないのを良いことだと勘違いした政治家に占拠されてしまいました。そして、一人一人の生身の有権者の利害から遊離したところで、「安保」だの「財政再建」だのと、宙に浮いた天下国家論を振り回す、悪しき作法がまかり通るようになったのです。
いいですか、若者が身近な生活にかまけていることを見下しながら、「若者はもっと政治に関心を持て」と言うから、それを真に受けて政治に関心を持った若者がネトウヨになるのです。・・・
そういう地に足の付いていない空中浮遊している「意識高い系」の観念論を批判するのがまさに松尾流疎外論なんですね。
ネトウヨの反対側に同じように意識高い系のリベサヨがいるわけですが、そちらに対しても辛辣に、こう語ります。
・・・それゆえ、「憲法の理念」は大事なことですが、それを掲げるばかりでは、私たちに勝ち目はないのです。「憲法の理念」を唱道したいのならば、そっちの方がもっと人々の暮らしを楽に豊かにできることが、カラの胃袋や筋肉痛といった身体のレベルで納得できるような、そんな政治路線を打ち出す必要があるのです。
そして最後に曰く、
結局、この間の体制批判的な思想や運動は、かつてのソ連共産党による正統的な解釈の捨てるべきところを維持し、捨てるべきでないところを捨ててきたように思います。今こそ、疎外論と唯物史観の見方が復活されるべき時でしょう。
しかしおそらく、松尾さんがこの言葉を届けたいと心から願っている人々の心に届かないのでしょうね。
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