雑記です。
あの熱き時代よもう一度!!
ってな意気込みで何度かトライするも、いつもツマンネー(´・ω・`)って投げ出しちゃうんだよね。
※最終更新H28/4/9
何であんなにハマってたんだろ
かつてウルティマオンライン(以下UO)やリネージュ2(以下リネ2)に大いにはまった時代があって。そのころは寝ても覚めてもそのことばかり考えていたさ。夢の中にまで出てくるくらいに没頭。
「早起きしてデーモン狩るかな」とか「2PCで無双しようかな」なんて、仕事中ですらゲームのことを考えた時期もあったのに、どうしてだろうか。
最近は全然面白くないのよ(´・ω・`)
熱き時代を求めて
ブログで知り合った友人にゲーミングPCまで売ってもらって、何度かトライしてみた。UOもアカウントを作って2~3日は遊んでみたけど、全然だめ。燃えない。
同時接続した、CPUではない他人の操作するキャラクターを見るだけで興奮して、彼らと会話をするだけでもドキドキしたあの時の情熱は、いったいどこへ行ってしまったのか。
同じ志を誓ってギルドまで作ったUO。パーティを組んで夜明けまで美味しい狩場を独占したリネ2。遊んでいたころは、ほかの何も手がつかないくらいに夢中になれた時代が懐かしくて、懐かしくて。
またあの頃の情熱の再来を期待して色々なゲームにトライしては、直ぐに面白くなくなって止めてしまう。そんな日が続いた。
ゲームがつまらなくなった?
「システムが悪い」そんな風に考えることもあった。最近のゲームはつまらん!と、頑固おやじのように決めつけて、それで留飲を下げることも少なくなかった。だけど、冷静に考えたらシステムなんてさほど変わっちゃいなかった。基本的な部分は、今も昔も変わんない。
じゃあなんでこんなにもハマれなくなったのかというと、自分が変わっちゃったからだと思われる。
夢中になれた時代の思い出は、ひときわ輝く
人間というのは過去を美化する傾向がある。それは遊んだゲームにおいても然り。当時は斬新だったプラットフォームに触れて、体験したことのない感動をいくつも経験する。インターネットにおけるチャットや共同作業なども、とても新鮮で。
きっと、その思い出補正をかけて「またあの頃の感動が欲しい」などと考えているから、現在の自分とのギャップを目の当たりにして残念な気持ちになるのだろうね。
現実を見続けて
子供のころは大きな夢があって、それは手に届かないような、非現実的なものもあった。実際に叶えられるかどうかは別にして、「もし、叶ったら」の世界に浸って喜びを得ることはできたように思う。
けど、今はどうだろう。社会に出て、2回も結婚して離婚して、いろいろとあって男女の現実を見て。社会のしがらみや人間関係の摩擦を目の当たりにして。そんな世界で生きていると、どうしても夢を見ることができなくなってしまうのかもしれないな。
ファンタジーを脳内で作り出せなくなったのかもしれない。一度きりの人生だから、楽しく生きようって気持ちは根幹にすえていて、それで毎日に張りが出て充実した人生を送ることができているけども。なんというか、
盲目的に幻想に興じる感性を失いつつあるのかなぁと。
そう感じるわけです、はい。
今、ゲームが楽しい人へ
存分に楽しんだらいいと思う。もしかしたら、僕みたいに熱中できなくなるときがくるかもしれない。その時に「もっと遊んでおけばよかった」なんて後悔のないように、大いに興じてほしい。
リアルが破たんしかけるくらいに耽溺したゲーム達の思い出はひときわ輝いて、僕の心の中で未だに残火としてくすぶっているよ。
時折、「あの頃よもう一度」ってな具合に、再燃を求めて行動に移すくらいにね。まるで消し忘れたキャッシュファイルの如く浮かび上がっては、「つまらない」という現実とともに沈んでいくのさ~。
もう戻らない時間を、心のどこかで追い求めているのかも。人間、なんだかんだで前を向こうと一生懸命になりつつ、心のどこかで「あの頃」の情熱を希求しているのかもしれないな。
僕は運が良い。あれほど何かに夢中になれることは、もうないだろうからね。
みんな、熱中するものはあるかい?
関連記事