先日は無職なのに「3年で辞める若者」について記事を書いて、色々なコメントをいただきました
予は健康上にかなり深刻な問題があったんで、就職とかそういう事は一切せずにこれまで生きてきている
なんで、この話題にはいろいろ思う所があるわけね
「いいなあ」とか「もったいないなあ」とか「なにか理由があるのかな?」とかね
そういうわけであえて記事を書いてみたわけだけれども、実際に社会で生きておられる皆さんの言葉には一つ一つ重みがあって、どれも非常に考えさせられるものでした
自分が書いたエントリーにかんしていただいたコメントなんでほんと勉強になります
コメントして下さった方、どうもありがとうございまーす
記事の書き方に関していえば、少しあっさり書きすぎたところがあって意味がうまく伝わってなかったら申し訳ないです
予は文章が書くのが苦手というのもあって、どうしても書く量が最小限になってしまう
書いている本人はそれでいいけど、読者さんには分かりにくいと思います
もう少し強調するところはもうすこし強調して、もうすこし読みやすい文章にしたいと思います
あとこの話題というのはとにかく複雑なんで、すこし単純というか一面的な書き方になっている所がありますね
自分の力ではそうしないと一つのエントリーにまとまらなかったというか、まとめるのに精いっぱいだったというのもあって、これも分かりにくさの原因かもしれないです
そんな反省もあるわけですが
皆さんからいただいた貴重なコメントはこちら!
はてなブックマーク - 「すぐ仕事をやめてしまう若者」について思うこと - 唯時@Blog
それで思った事
採用の困難
人というのはなかなか、長く付き合ってみないと分かんないところがありますね
ところが採用というのは第一印象で決めないといけないわけです
終身雇用なんて今はとっくに崩壊しているといわれますが、もし終身雇用だったとしたら40年一緒に仕事するかもしれない人を第一印象で決めるということですよね
かなりすごいというか、はっきり言って無理ゲ―な感じがします
インターンとか、採用の方法はいろいろあるんでしょうけれども
社会の景気がよかったらとりあえず大量に採用すれば良かったけど、今はどこも景気わるいから新人を絞りこんでるわけですよね
たとえば「すぐ辞める若者」の問題にしても、辞めるのを見越して大目に採用する余裕なんてなくて、それで色々大変なのかな? と思いました
成長にたいする焦り
なんでしばらく辛抱せずにやめてしまうのか? というと、ひとつには成長にたいする焦りというのがあるのかな、と思います
自分がやっている事も、昔からいる社員がやっていることも旧態依然に見えてしまう
それには本人の思い違いもあるかもしれませんけれども、実際に旧態依然であることも少なくないようです
もし組織が旧態依然だと、その会社に在籍している内はいいとして、もしリストラになったらどうなるんだろう? と思うのかもしれないですね
組織を離れたら自分の価値はゼロかもしれない、早く会社の外でも通用するような人にならないといけない! という焦りがあるのかな? と思いました
そういう焦りがあると、会社の教育のペースがすごい遅く感じられてしまうのかもしれないですね
今の世の中は変化のペースが速いですからね
それで、年を取って身動きが取れなくなる前に辞めよう! みたいな
会社の変化のペースと世の中の変化のペースとでギャップがある場合があるのかもしれないですね
速攻で辞めた人は案外後悔していない
すぐ辞める若者って、なんか色々悪いイメージあるじゃないですか
勢いで大企業をやめたものの、どこも正規雇用でやとってくれずに非正規雇用を転々として貧困状態、スキルも何もなく気づいたら中年でお先真っ暗! みたいな
でもネットとか見ると、速攻でやめてハッピーになった人って結構いるんですよね
つまんない大企業から中小企業に転職してブレイク、大成功! みたいな
そういう人が例外ではなくて無視できないくらいいるんだと思います
もちろんこういう話はウワサになりますし、転職に成功した本人も経験をガンガン話すだろうから世の中の雰囲気も変わってきますよね
もう一つの要因として考えられるのはブラック企業です
もし新卒で入った企業がブラックだったら速攻で逃げるのも仕方ないよね、というのはもうコンセンサスになっていると思います
でも、なんとなく辞めた若者と殺されそうになって辞めた若者とでは見分けがつかないから、なんとなく辞めてもなんとかなる
ぶっちゃけた話、ブラック企業で精神的に大ダメージ食らった人よりホイホイ会社を辞めちゃう人の方が使いやすいと思うんですよね
全体的に、30になる前に居場所を見つければいいのかな? と思いました
でも、今は30以上で居場所がないとなると難しそうだけど、今後はこれもわかんないな、と思います
30以上で居場所がない人がすごい多くなると、その内にそういう人のための場所も勝手にできてくるような気もするんですよね
会社のために生きる事が難しくなっている
本来ならば、新人はお給料もらって仕事を教えてもらって、あとで恩返し! みたいな感じなんだと思う
でも、今はなかなか会社のために生きる事が難しいケースが多いのかもしれない
そして会社のために生きることが社会にとってよいのか? というのも分からなくなってきてるのかも
ゆとり世代
世代というのもあるかもしれないですね
常識的に考えたら何でこんなバカなことを? というような事でも、やっている本人には何一つ後悔がなかったりします
ゆとり世代というのは、組織とか社会の常識を信じ込んで悲惨な目にあった上の世代をよーく観察しています
激動の時代、自分の本能を信じる方が案外確実なのかもしれません
まとめ
思った以上に一般化できないな! と思いました
大手だからいいというわけではない、でも大手だからダメというわけでもない
中小だからダメというわけではない、でも中小だからいいというわけではない
勘違いから成功することもあれば、失敗することもある
ただ、成功する・失敗するいうことと、納得している・納得していないは必ずしも一致していないかな? と思いました
成功しているように見えても本人的には納得しているとは限らない
失敗しているようにみえても本人はまったく後悔していないかもしれない
失敗成功に関わらず、納得できる生き方をしたいですよね!
そして今はそういう生き方がしやすい時代だと思います
以上、引きこもりなのに釈迦に説法感が半端ないエントリーになりましたが、引きこもりには世の中がこう見えてるんだな! と思っていただければと思います!
おわり!