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●どうでもよい講座:“最初期の”バットマンについて。

2008.03.24 Mon

▼DCコミックス講座:バットマンの“最初期”って何時なのさ?

 うぃす。

 この所、適当な書き逃げばっかで、キチンとしたテキストを書いてなかったんで、久々に「完成せずにほっぽっといたテキストを、適当にリサイクル」シリーズで、お茶を濁しつつ通常営業に戻そうかと。

 っつーわけで、今回のお題はバットマンの“最初期”について。


 えさて、バットマンの歴史や、そのキャラクター像の変遷についての話になると、よく挙がるトリビアに、
「最初期のバットマンは非常にビターな性格で、悪人の生命に頓着しない冷血漢だった」
 というものがありますな。あるんですよ。ええ。

 で、ここで問題ですが、このトリビアで提示されてる「最初期」って期間は、いったい何時まででしょうか?

 とりあえず4択で。
(1)バットマンがピストルで悪人(吸血鬼)を射殺した『デテクティブ・コミックス』第32号(1939/10)の前後
(2)ロビンが登場した『デテクティブ・コミックス』第38号(1940/4)の前後
(3)独立誌『バットマン』創刊(1940/Spring)の前後
(4)コミックス・コードが導入された1954年の前後

・解き方のコツ:年代的に近い選択肢(1)~(3)に対して、選択肢(4)は明らかに年代が離れすぎています。これは選択肢から外していいでしょう。

 さて回答ですが。

 前置きも何もなしに答えを言っちまえば、(3)ですが。ええ。

 その、大概、この手の期間の区切り方ってのは、研究者にとって意見が分かれるモンですが(シルバー・エイジの始まりがいつかとか、語ってる人によってまちまちでしょ)、幸い、このバットマンの「最初期」に関しては、はっきりと(3)だと断言できる資料があるんですよ。これが。

 えー、ティム・バートン監督による劇場版『バットマン』が公開された1989年に、ボブ・ケーン――言うまでもなくバットマンの創造者としてクレジットされている人物ですな――が出した『バットマンと私<Batman & Me>』という、自伝がありまして(Amazon.co.jpじゃ、書影が見られない&ハードカヴァー版しかないのでAmazon.comにリンク)。

 この本というのが、ケーンの自慢大会といいますか、バットマン&ロビンとその世界観が発展していく過程における他の作家たち(ビル・フィンガーとかジェリー・ロビンソンとか)の貢献を、「全てが俺の発案だ」と、我田引水しているという、彼のエゴイスティックな人となりが実によく伝わってくる代物なんですが、まあそれはこの際おいといて。

 で、この本の44~46ページに、そのものズバリ、「最初期のバットマンが路線変更をさせられ、暴力を禁じられた」件について語られてるですな。これが。

 言動に問題があるとはいえ、バットマンのクリエイターとされてますボブ・ケーンその人の証言ですんで、この記事で語られてる時期が、「バットマンの最初期」についての作者側の公式見解でしょう、と。

※まぁ、中には松本零士先生みたいに、むしろ自伝の記述の方が、全く信用できない、という作家もいますが、ここはケーンを信じましょう。


 っつーわけで、この記述を日本語訳しつつ引用すると、このような具合で(原文は改段落の少ない文体だったんで、日本語訳では分かり易くするため適宜改行を入れてみました)。

 私(※ボブ・ケーン)は、『バットマン』のストリップ(※連載もののコミックの古風な言い方)を完全にコントロールできていたわけではない。編集者たちは、ビル(※『バットマン』のライター、ビル・フィンガー)と私のできることに、徐々に制限を課していった。
 初年度のバットマンは残酷なヴィジランテで、法律の外で活動をしていた。『デテクティブ・コミック』の初期の数話では、彼は銃すら所持していた。
 我々がバットマンの銃の使用を巡って、初めて検閲に抵触したのは『バットマン』第1号でのことだった。この中のある話で、バットマンは彼の飛行機に機関銃を搭載し、巨大な怪物との戦いで、それを使用した。
 この話を書いたのはビルだ。彼のアイデアであり、私のではない。これらは、パルプ小説『シャドー』の主人公が、2丁の45口径を愛用していたことに影響を受けていた。
 そもそも我々は、バットマンに銃を持たせることに何ら疑念を抱いていなかったのだ。なぜなら、シャドーが持ち歩いていたのだから。しかしながら読者は、銃の使用を遺憾に感じた。
「実に、しまったよ」ビル・フィンガーは回想する。「私は、バットマンに銃で悪人を撃たせた。そうしたら、ホイットニー・エルズワース(※当時のバットマンの担当編集者)の前に引き出されたってわけさ。彼は言った。“2度とバットマンに銃を持たせるな”。彼は正しかったよ」
 編集者たちは考えた。バットマンを殺人者にすることは、彼のキャラクターに汚点を残すだろう、そして母親たちは、そんな作品を子供に読ませたがらないだろう、と。
 新たな編集方針は、バットマンをヴィジランティズムから遠ざけ、法の側につかせるというものだった。我々は彼を警察の“名誉会員”とし、法律の外にいながらも法を順守する立場とした。そして暴力を避けるため、我々はバットマンをより曲芸師に近づけ、敵を倒すにあたっては、武器よりも、優れた身体能力を用いさせるようにした。
 この一連の道徳的な傾向は、1940~1941年の時期、『バットマン』第1号が出た頃に変わった。悪人を殺すこと、撃つことは不可能となった。というよりも、この『バットマン』第1号の話は、DCコミックス社に独自のコミックス・コードを作らせる結果となり、全てのアーティストとライターはそれらを守ることを義務づけられた。
 このコードは、鞭打ち、首つり、ナイフの使用、あるいは性的な事柄の言及を禁じた。
「flick」という単語すら禁じられた。なぜなら、ブロック体でレタリングすると別の語に見えるからだ(※要するに「FLICK」が「FUCK」に見える)。


 以上、引用終了。


 っつーわけで、この文章を信用するなら(この際、信用しましょう)、バットマンが冷酷だった“最初期”というのは、おおよそ「『デテクティブ・コミックス』第27号(バットマン初登場)から『バットマン』第1号まで」だと定義づけられますな。おおよそですが。

 まあ、路線変更がなされるきっかけとなる読者からの手紙は、無論『バットマン』第1号が出版された後に届いたモンですし。それを受けて編集部がコミックス・コードを設定するまで、それなりに時間はかかってるはずですし。その間にも、次号以降の『バットマン』の原稿は進んでいたはずですんで。それ故、『バットマン』第1号の直後から、いきなり作風が変わった訳じゃないでしょう。当たり前ですが。

 まあ大体、『バットマン』第1号が出てから、1、2ヶ月程後の時期の「バットマン」の作品も、まだ“最初期”の作風に準じてたんじゃないでしょうか。憶測ですが。

 ちなみに、このケーンの証言は、バットマンの「最初期」の定義を教えてくれると同時に、DCコミックス社が1940年代の時点で、作品の内容を制限する独自の検閲コードを取り入れてた、ということも伝えてくれますな。

 このことから、1954年のコミックス・コードの導入は、DCコミックス社自体にはサホドの打撃を与えなかったんじゃねぇか、とか推測するが、どうか。

 以上。


▼余談。:

 ……ちなみに元々書いてた文章では、この後「じゃあ、最初期のバットマンは本当に冷酷だったのか?」ということを、当時のコミックを1話1話読んで調べてく、ってな話になってたのですが、「この号ではバットマンは×人に重傷を負わせ、×人を殺した」とかいう箇条書きを延々と読まされてもアレだなぁ、と思った為に手が止まってました。

 今回はその辺、バッサリ切って掲載したわけですが。

 まあ、コミックを読んだですが、最初期のバットマンは、本当に冷酷でしたけどね。正当防衛や事故とはいえ、ほぼ毎回、彼のおかげで人死にが出てたり、「これ、死んでるよね」的なシーン(直接の描写はないけど、ビルの屋上から悪人をポイポイ投げ捨てる)とかがありますので。

 個人的に、倫理的に一番どうかと思ったのは、ロビンの初登場回の『デテクティブ・コミックス』第38号。この回でバットマンは、仇敵ボス・ズッコをハメるために、ボス・ズッコが衝動的に殺人を行うよう仕向けてるですよ。かなりく故意に。

 しかも、そのズッコの殺人を、待機してたロビンが冷静にカメラで撮ってるの。師弟共に犠牲者を助ける気、全くナシ。この写真が証拠になって、ボス・ズッコは電気椅子に送られるんだけど……ヒドイよなぁ、正直。

 ……よく、「ロビンの登場により、それまで冷酷だったバットマンの物語は陽性にシフトした」とかいう記述がありますが、あらぁ間違いですな。下手したらロビンが登場した後も、この第38号みたいな陰惨な話が続いてた可能性はあるですよ。

 一方で、最初期のバットマンのコミックの中にも、1話だけ妙に明るい雰囲気の話もありまして(『Detective Comics』第36号)。この話じゃバットマンは、「お前たちギャングはボウリングのピンだ! ストライク!」などと軽口を叩きつつ、アクロバティックな技で朗らかにギャングを倒してるですわ(※この当時のバットマンのアクションシーンは無言・無表情で、敵を殴る蹴るといった具合で、非常に地味)。

 しかもこの回はアクションシーンの要所で大ゴマが使われるなど、同時期のバットマンの物語とは絵的にも雰囲気が異なっていまして。……むしろ、DCの自主規制コード導入以降の、陽性なバットマンに近い雰囲気ですよ。

 てこたぁ、DCによる自主規制コードの導入なぞが無くとも、作者側の物語への試行錯誤で、この第36号の系譜を継いだ「陽性なバットマン」への路線変更もあり得たんじゃないかと。

 で、結論としては、バットマンが最初期のアレから陽性な方向へシフトした原因は、「ロビンの登場を契機に」みてぇな単一の理由によるモンではなく、

・作家陣の試行錯誤

・ロビンの登場

・DCによる自主規制コードの制定

 といった、複数の要因が同時期に重なった結果、って感じなんだろな、と。

 以上。またもトリトメなく。


  
  
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タグ:アメコミ講座

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