日本経済新聞が、任天堂はWiiUの生産を終了することを報道した。また、ネット上(主にアフィブログ)では、任天堂がこれに応じて、「来期までの生産は継続する」と発表したという噂を流布した。
任天堂本社による直接的な発表が滞っているため断言は出来ないが、任天堂が既に新規ハードNXについて積極的に発言し、かつ売上そのものも既存のハードの比べ大幅に遅れを取っている点からも、新たな世代を任天堂が展望していることは想像に難くない。
では、WiiUがゲーム文化に残した遺産、レガシーとは何なのか。個人的に印象に残った、3本の名作から振り返ってみようと思う。
スプラトゥーン
発売:2015年
希少な国産シューター、そして任天堂らしい個性あるグラフィックで、既に発表段階から注目を浴びていた、任天堂の新規タイトル。
一見単調なTPSだが、弾丸がオブジェクトに直接タッチする「インク」、人間形態と切り替えて機動力を加速させる「イカ」を中心とした、防具や武器を入れ替えるカスタマイズ性、命中時の爽快なエフェクトなど、古典的シューターの魅力を「回収」しつつ、任天堂独自のデザインを付加することで、そこに古臭さを感じさせない。
正直なところ、発売当初の盛り上がり(特に、既存のシューターと比較せず、むしろ一新したという意見)に関しては、むしろ既存の作品以上の革新性はないと私は反論したものの、全体的に出来のよい、それでいて新規獲得に成功したシューターという点では評価出来る。*1
ZombiU
発売:2012年
フランスのUBIソフトが開発した、(元々)WiiUの性能とコントローラーを余すことなく活用した、サバイバルアクションゲーム。
ゾンビに包囲されたロンドンから何とか脱出することが当面の目的となるのだが、現代のゾンビゲーには珍しい、「鈍いが火力の高い」と「貴重な消耗品」というデザインを基礎におきながら、いかにアクションとステルスを駆使して進めるかという、純粋なアクションゲームで、煩わしいカットシーンや妙にぬるい難易度等も見当たらない点は好ましい。
極めつけは、WiiUならではの「WiiUゲームパッド」を活用したゲームプレイ。本作におけるFPS特有の視界不良は、ゲームパッドをセンサーとして活用することで克服し、またコントローラーでは面倒なエイムも、やはりゲームパッドを活用することでスムーズかつ独特な操作感を実現している。
一方、ゲームパッドを使用する間は当然、普通の画面や操作を平行して行うことが困難で、あくまでゲームパッドの使用に「リスク」も持たせている点が素晴らしい。これにより、ただゲームプレイの多様性を増すだけでなく、主人公との一体性や、レベルとの駆け引きといった戦略性も実現している。
WiiUならではの、固有のゲームプレイといえばUBIの本作だが、肝心の任天堂の作品が既存のゲームプレイから今ひとつ抜け出せなかった点は、課題と言えるのではないだろうか。(一方、Wiiでは『スーパーマリオ ギャラクシー』という名作も生み出しているが)
マリオカート8
発売:2014年
言わずと知れた任天堂の『マリオカート』シリーズの最新作。コンシューマー機における新作としては、前作から6年ぶりのものとなる。
さて、本作のゲーム性自体は先述した『スプラトゥーン』や『ZombiU』ほど見るべき点も少なく、いつも通りのカジュアルで楽しい『マリオカート』といった具合。
本作の真骨頂は、前作『マリオカート7』(3DS)で実現した「海」や「空」を疾走できる個性豊かなコースに加え、WiiUのマシンパワーを最大に活かした美麗な映像の芸術性にある。
元々、レースゲームは他のゲームよりもグラフィックを磨き上げやすい。プレイヤーは同じコースを何度も遊んでくれるし、コース自体も短いため、どのゲームより「量より質」が求められるのである。
加えて、(外伝を含めた)従来の『マリオ』シリーズで培われた豊かな世界観、そして空や海上を走り回るアクロバティックな疾走感を、本作は余すことなく「美しさ」へ昇華させ、かつてない水準で「レベル」に組み込んでいる。空を奔り、背景は踊り、プレイヤーはおよそ3分の、だが夢のような旅を知る。
本作における、コースの美しさからレースのゲーム性までの体験は、プレイヤーに強烈なナラティブを与え、いかなる映画やアミューズメントパークでさえ実現できないような想像性を発揮している。他の作品をも圧倒する映像は、プレイ動画でも一見の価値あり。
WiiUではラインナップこそ劣るものの、数多くの優れた作品を輩出し、多くのプレイヤーを魅了したことは明らかである。
とりわけ、『マリオカート8』における映像は、単にリアルなグラフィックや迫力ある演出というだけでなく、一つのゲーム、アートとして完成された作品であり、このまま埋没してしまうことが惜しまれる一本だ。
*1:一方、私が本作がシューター界における「決定打」足り得なかったと感じる点は、既存のシューター作品の魅力を「昇華」させることなく「詰め込んだ」ことに終始し、今ひとつ相互の魅力が噛み合わなかった点と、応用性に欠ける余り最終的な「腕前」が既存のシューターのノウハウに依存している点だと考える。
例えば、銃弾がそのままオブジェクト化する「インク」は魅力的だが、ゲームを実際に動かし、かつ奪い合って面白いオブジェクトは結局既存のゲームに由来する「ホコ(Flag)」や「ヤグラ(Payload)」になっており、初心者への接近性を高める余り、「インク」は完全に下位の戦術(使いこなして当然で、応用性が薄い戦術)に堕ちている点(「イカ」もこれだ)や、
具体的にオブジェクトをめぐって行う「戦闘」そのものが、使っていて変化が薄く、かつ応用性も薄い「ブキ」をいかに「直接命中させるか(エイムが正確か)」に終始するからで、撃ち合いにおける駆け引きが浅く、むしろ立ち回りを重視しすぎた結果と考えている。
(あと、よく「スプラはインク塗ってるだけで貢献できるから初心者にオススメ」という意見を聞くけど、実際はガチでもレギュラーでもインク塗ってるだけじゃ何の役にも立ちません。良くも悪くも、殴り合いしかルールがないゲームでしょ。とは思う。)