2016.03.24 10:00
2月11日、新宿・初台にあるメディアアートの美術館、NTTインターコミュニケーションセンターにてドミニク・チェン氏が監訳した『シンギュラリティ 人工知能から超知能へ』の刊行記念トークイベントが行われた。
ゲストには筑波大学で人工生命を研究しており、ドミニク氏とはウェブサイエンス研究会というコミュニティで共に活動する岡瑞起氏、アート、カルチャーとサイエンスを編集の名の下にひも付けながら異分野同士の化学反応を起こす編集者・塚田有那氏が登壇した。
まず『シンギュラリティ 超知能から人工知能へ』とはどういった本なのか。
著者のマレー・シャナハンはロンドンのインペリアルカレッジで認知ロボティクスの分野の大家で、人工知能の社会実装、社会にどのように活用していくかという研究を行っている。
そんな大学教育の場、アカデミックな場で活躍する著者が執筆したということもあり、人工知能によるシンギュラリティのタイミングがいつかということや、どんなビジネスチャンスがあるかということではなく、もし人間の能力を上回る人工知能が生まれた場合、人間社会にどのような深いインパクトを起こすのかということを問題提起し、現行の人工知能開発に関する技術を出発点として、一つひとつ検討を積み重ねていくという内容になっている。
著者のバックボーンは工学者であり、考えうる可能性を一つひとつ挙げてつぶさに検討していく姿勢は、その分野に詳しくなくとも、人工知能研究で扱われる概念についてより詳細に理解することが可能にしている。
その上で実際に汎用人工知能の出現によって議論が起こるであろう諸々の学問領域について広く紹介しており、いわば人工知能についての学問的な研究の入門書として読み進めることができる。
原著"The Technological Singularity"(Murray Shanahan,2015)の表紙には『2001年宇宙の旅』に登場する人工知能HAL9000が象徴的に描かれている。これは監訳版の装丁にも継承された。
そしてこの本では、人間の意識を再現するレベルの人工知能が出てきた場合、人間をはるかに上回るスピードで自己を改善することができ、かつ自らの置かれた環境をも最適化することができるため、その知能は全能とも言える「超知能」に至るだろう、という前提が置かれる。
その上で、我々人間の価値観がどう変わるのかを問う、ということが一貫して行われていく。超知能の人格を認めるのか、超知能の権利を認めるのか、超知能が感情を示したときに人間は共感を覚えるのか、などと次々と問題提起を行い、それについての検討を重ねる様が非常に興味深い。そこには、多くの人間の理解を超えるかもしれない技術は、人間側の価値観次第で活用方法も変わってくるというシャナハンの主張がある。
イベントではそういったシャナハンが提示するさまざまな可能性から、ゲスト二人が着想した人工知能にまつわる課題についてという議題へと移っていった。
左から塚田有那氏、ドミニク・チェン氏、岡瑞起氏。
筑波大学の准教授で、その傍らで企業では起こりづらいウェブやインターネットの生態系・生命性についての議論を行うウェブサイエンス研究会を主宰している岡瑞起氏は、本の帯に推薦文を書いている東京大学の松尾豊准教授の「人間は、知能+生命の二つの項によって成り立つものだ」という主張を引用した。
知能とはある目的を与えられたときに、それを解決するために行使される力であり、一方で生命は生きることそのものを目的としてもつ。松尾氏は、この主張から、人工知能が発達したとしても、それ自体が目的を持つわけではない、ということを言っている。
かつては松尾氏とともに人工知能を研究していた岡氏は、現在「人工生命」という分野に主軸をおいている。
自分自身が研究者でありながら、特段強い研究への動機を持たないという理由から、生命が動機を持つプロセス自体に興味を持ち、研究を始めたそうだ。
そのなかで、そもそも我々が持つ動機というものは、実はあやふやなのではないか?初めから、確固たる動機をもって物事を起こす人間は存在するのだろうか?という問題に直面した。
その「行為が先か、動機が先か」問題を軸に、もし人間たちが行為をしているうちに動機が芽生えてくるのだとしたら、人工知能のような情報技術を使って人間の行為の連続の中で、自身が気づいていない動機を浮き彫りにすることができるのではないか?ということを実際に岡氏が行ったワークショップの事例を紹介しながら提示していた。
そして編集者、キュレーターという立場から、学術とカルチャーの現場をつなぐ役割を担い活躍する塚田有那氏は、「人工知能が創造性を獲得すると言うことはどういうことなのか?」という個人の観点から、疑問点を次々と挙げていった。
昨年夏にドミニク氏なども参加した自身が主宰するSYNAPSEのトークサロンで話されたことや、自身が編集者として、メディア側の立場から、人工知能関連技術の知識が正しく普及することについての問題意識、また人工知能によって未来に生きる人々の人生はより最適化されていくのか、そこに多様性は生まれるのか、生まれたときから人工知能によるレコメンドを受けることになる人工知能ネイティブの子供達がどうなっていくのか、というさまざまな視点からの問いかけだ。
その中で塚田氏が特に強調した部分に、現行さまざまなビジネスを行う企業が、あたらしい技術の登場とそれに伴う時代の潮目を目前にして、これまで接続しなかったような分野同士をつなげ、イノベーションを起こそうとする流れの中で、それを起こすことで人々の価値観がどう変わるのか、この本の中でシャナハンが唱えるような人間の価値観に基づいた議論をする場を求め始めている、ということがあった。
もちろんビジネスというお金の流れを伴う場だけでそれが話題になるだけではシャナハン的な価値観の話にはつながらないが、それがアカデミックな場と上手に接続できるかどうか、が今後の課題になると語った。
そして、講演のなかでドミニク氏から再三飛び出した問題意識として、現行の人工知能という言葉に対するイメージへの理解とその実態との間に乖離があるということがあった。
ドミニク・チェン氏に今回のイベントを執り行った意図を伺った。
「人工知能も情報技術の一種に過ぎない」。この厳然たる事実が置き去りにされたまま、極端な話題に振り回されて物事の本質を見失ってしまうようでは本末転倒である。自らの考えを表現し相手に伝えること、相手から発せられた情報を上手に摂取し、自らの糧とすること、その間を様々な形で補完する情報技術が、どんな形態をしていて、自らの表現、摂取する情報の質をどのように変えるのかについて常に意識的であること、それが有史以来もっとも多くの情報にさらされている我々に求められていることであり、人工知能は、そんな私たちを手助けしてくれる唯一無二のパートナーとなり得るのかもしれない。
1995年生まれ。フリーライター。早稲田大学文化構想学部表象メディア論系在籍。テクノロジーを用いたアート表現を目下のところ勉強中。卒論のテーマは「映像表現における日本語の文字の動的遷移の手法とそれに起因する認知の変化の総量について」。専らの興味は「ポスト・ヒューマニズム」。SENSORSでは「VR」「ドローン」の記事を担当。
Twitter @do_do_tom