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風と共にブログを綴ろう

 

村上春樹「職業としての小説家」を読んで

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今日は書店で村上春樹の職業としての小説家の1章目を少し読んで来ました

この本は「職業としての小説家」という題名の通り村上春樹さんがこれまで歩んだ道を振り返りつつ小説家というものについて自分なりの感じた事を書いたエッセイになります

いや〜私19才の頃に村上さんの出している小説は全て読んでいたのですが、あらためて最近文章をブログを通して書く様になって、また年齢を10年程取ってからのこのエッセイは本当に面白いなと感じました

これまで小説家の人の言い回しとかそういうのって一読者としてしか読んで来なかったじゃないですか、それが文章を書いてる側の視点で読んでいるとまた受けとり方が違うんですよね

彼の綴る文章はコーヒーのいい香りとウッド調の落ち着いた雰囲気の喫茶店でマスターが優しく昔話でも聞かせてくれる様な文章なんです

心にすっと入ってなぜだか納得してしまう、これまでの彼のキャリアを考えれば十分に納得がいくんですがそれでも私はすごいなんて風にはひと言も綴らない

私は村上さんのそんな言葉を見た事がないんです

他の作家の方に関して抽象的に言及する時にもそれはあくまで個人的な見解だけど、きっと実際の所そうなんだなって思わせてしまう様な話術の様な文章の”うまさ”がそこにはある様な気がします

目で見て心で感じた事を自分が村上さんの視点に立って体験している様な感覚で文章を読み進める事が出来た様な気がします

 

面白かった話はさわりだけでも色々あったのですがいくつか上げてみましょう

小説家というのはある種のエゴイスティックな面を持っている、それは自分の書いている文章に間違いは無いとおそらく自分の感じた範囲ではあるのだけれど、92%くらいのの作家は自分の文章は正しくて他の人は間違っていると思っているだろうと綴っていました。なんだかむふふと思ってしまうのですが、うんうんなんか村上龍さんの顔が浮かんでくるよ〜と思いつつ(笑)知らない人にわかりやすく言うと、もうひとりの村上と言われた村上龍さんはぶっとんでで物事を痛烈に率直に指摘する文章を書きます

その本質を露見させてします様な、ホリエモンに近いのではと思うのですがなるほど自分が正しいって思ってそうと私はむふふ(笑)となってしまいました

 

ただ小説家は寛容な部分もあると書かれていました

これまでたくさんの新人作家が現れて来ましたが、プロ野球の世界であれば新しい大型選手が入れば他の人が出て行く(自由契約になる)という様な部分がスポーツや芸能、マンガとかでもそうですね、あるのですが小説家は新人が入ったから自分の居場所がなくなるという風にはならない、だからこそ新しい人がまた来たんだねくらいの気持ちで見ている様に思いますと書かれていました

 

また頭の良い人は小説家には向かないかもしれないと書かれていました

当然良識や知識は自分自身持ち合わせていますが、小説と言うのは自分の言いたい事を半年間掛けて物語として綴る様な物

もし言いたい事だけを書くのであれば3日もあれば十分書く事は出来るし、自分の言葉で話してしまえば場合によっては10分あれば済んでしまう

そんな中で文章で物語で読者に自分の想いを伝えると言うのは歩くのより遅い作業を長いスパンで続けなければいけない、そう考えた時に必ずしも頭の良い人が小説家になれるとは限らないと書かれていました

 

彼の素晴らしい表現の仕方として物語と言う落差を使ってテコの原理のごとく心を動かすという様な事を記憶が定かではないのですが話していた様に思います

”物語で表現する事による落差”この表現等か感覚に至るにはどうやって人の心の琴線に触れるのか、どうやってその人と一緒に物語に入り込んで読ませるのか、それを体験して表現していなければ到底言えないのではないかと私は思いました

現に私は文章に読み手を引き込んでその感情の落差で感動させたり笑わせたりなごませたりする事が出来る自信はありません

この表現はたぶん作家の方々だからこそ言える事では無いのかなと思いました

 

さわりだけ読んでこれだけの発見を得る事が出来るのってすごいな〜おもしろいな〜と思います。ブログを書かれて文章を書く機会がある人は読んでみると面白いんじゃないかな

 

ちなみに村上春樹さんは早稲田大学の学生の頃に学生結婚、卒業後は自分でジャズ喫茶を開いて営業していたんですよね

その2階だったかな空いた時間で文章を書きはじめて応募した小説「風の歌を聴け」が新人賞に入選、その後も海辺のカフカやノルウェーの森、ダンスダンスダンスなど人気のある作品を世に送り出して今では世界に名を残す様な日本の作家となったのです

彼の小説を読んでいると音楽が心の中になり始めテンポ良く物語が進んで行くのですが、それは実はジャズ喫茶をやっていたというのが大きく影響しているんですよね

まるで自分の心の中に流れるジャズと喫茶店のコーヒーの匂いが立ち上る様な、そんな文章を書いている背景を知ってみるとまた文章を読む楽しみが増えるかもしれません

 

彼の本は本当に日本一有名な作家ですので図書館でも借りる事が出来るのではないかと思います、もしお近くにあればたまの休日をジャズ好きな小説家の文章と共に過ごしてみてはいかがでしょうか?

 

村上 春樹(むらかみ はるき、1949年1月12日 - )は、日本の小説家、アメリカ文学翻訳家。京都府京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市・芦屋市に育つ。

早稲田大学在学中にジャズ喫茶を開く。1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。

1987年発表の『ノルウェイの森』は上下430万部を売るベストセラーとなり、これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。

その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』などがある。

【経歴】

生い立ち1949年、京都府京都市伏見区に出生する。父が私立甲陽学院中学校の教師として赴任したため、まもなく兵庫県西宮市の夙川に転居。父は京都府長岡京市粟生の浄土宗西山派光明寺住職の息子、母は大阪・船場の商家の娘という生粋の関西人で、「当然のことながら関西弁を使って暮らしてきた」。また両親ともに国語教師であり、本好きの親の影響を受け読書家に育つ。

親が購読していた河出書房の『世界文学全集』と中央公論社の『世界の文学』を一冊一冊読み上げながら10代を過ごした。

また中学時代から中央公論社の全集『世界の歴史』を繰り返し読む。

神戸高校では新聞委員会に所属した。

1年の浪人生活ののち、1968年に早稲田大学第一文学部に入学、演劇科へ進む。

在学中は演劇博物館で映画の脚本を読みふけり、映画脚本家を目指してシナリオを執筆などもしていたが、大学へはほとんど行かず、新宿でレコード屋のアルバイトをしながら歌舞伎町のジャズ喫茶に入り浸る日々を送る。

1970年代はじめ、東京都千代田区水道橋にあったジャズ喫茶「水道橋スウィング」の従業員となった。

1971年、高橋陽子と学生結婚、一時文京区で寝具店を営む夫人の家に間借りする。 ジャズ喫茶を開業。

大学在学中の1974年、国分寺駅南口にあるビルの地下でジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店(場所は殿ヶ谷戸庭園のすぐ近く)。

店名は以前飼っていた猫の名前からとられた。

夜間はジャズバーとなり、週末は生演奏をおこなった。開店資金は500万円で、半分は夫婦でアルバイトをして貯めたお金、残りは両方の親からの借金であった。

1975年、7年間在学した早稲田大学を卒業。卒業論文は「アメリカ映画における旅の系譜」でアメリカン・ニューシネマと『イージー・ライダー』を論じた。

1977年、ビルの持ち主から増築を理由に立ち退くように言われ、「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移す。

【デビュー】

1978年4月1日、明治神宮野球場でプロ野球開幕戦を観戦中に小説を書くことを思い立つ。1回裏、ヤクルトの先頭打者のデイブ・ヒルトンが二塁打を打った瞬間のことだったという。

それからはジャズ喫茶を経営する傍ら、毎晩キッチンテーブルで書き続けた。1

979年4月、『群像』に応募した『風の歌を聴け』が第22回群像新人文学賞を受賞。

同作品は『群像』1979年6月号に掲載され、作家デビューを果たす。

カート・ヴォネガット、リチャード・ブローティガンらのアメリカ文学の影響を受けた清新な文体で注目を集める。

同年、『風の歌を聴け』が第81回芥川龍之介賞および第1回野間文芸新人賞候補、翌年『1973年のピンボール』で第83回芥川龍之介賞および第2回野間文芸新人賞候補となる。

1981年、専業作家となることを決意し、店を人に譲る。

同年5月、初の翻訳書『マイ・ロスト・シティー フィッツジェラルド作品集』を刊行。

翌年、本格長編小説『羊をめぐる冒険』を発表し、第4回野間文芸新人賞を受賞。

【作品の特徴】

平易で親しみやすい文章は村上がデビュー当時から意識して行ったことであり、村上によれば「敷居の低さ」で「心に訴えかける」文章は、アメリカ作家のブローティガンとヴォネガットからの影響だという。

「文章はリズムがいちばん大事」とは村上がよく話す言葉だが、そう思うに至った理由を次のように説明している。

「何しろ七年ほど朝から晩までジャズの店をやってましたからね、頭のなかにはずっとエルヴィン・ジョーンズのハイハットが鳴ってるんですよね。」隠喩の巧みさについて、斎藤環は「隠喩能力を、異なった二つのイメージ間のジャンプ力と考えるなら、彼ほど遠くまでジャンプする日本の作家は存在しない」と評している。

一方、文章の平易さに対して作品のストーリーはしばしば難解だとされる。

村上自身はこの「物語の難解さ」について、「論理」ではなく「物語」としてテクストを理解するよう読者に促している。

物語中の理解しがたい出来事や現象を、村上は「激しい隠喩」とし、魂の深い部分の暗い領域を理解するためには、明るい領域の論理では不足だと説明している。

このような「平易な文体で高度な内容を取り扱い、現実世界から非現実の異界へとシームレスに(=つなぎ目なく)移動する」という作風は日本国内だけでなく海外にも「春樹チルドレン」と呼ばれる、村上の影響下にある作家たちを生んでいる。

また、村上の作品は従来の日本文学と対比してしばしばアメリカ的・無国籍的とも評され、その世界的普遍性が高く評価されてもいるが、村上自身によると村上の小説はあくまで日本を舞台とした日本語の「日本文学」であり、無国籍な文学を志向しているわけではないという。なお村上が好んで使用するモチーフに「恋人や妻、友人の失踪」があり、長編、短編を問わず繰り返し用いられている。

Wikipediaより一部抜粋の上引用