「自分の言葉で書く」は幻想
武田砂鉄(以下、武田) WEBメディアについて語るのであれば、やはり「ほぼ日」の話法について議論してみたいですね。
深澤真紀(以下、深澤) もっと批判的に言及されなきゃいけない存在ですからね。
武田 「すべてのニュースは賞味期限切れである」で速水健朗さんとおぐらりゅうじさんが松浦弥太郎さんの言動について遡上に載せていたけれど、個人的に、じっくりと語ってみたいのは「ほぼ日」の言葉です。
深澤 松浦さんじゃなくて糸井さんこそ、ウェブ界で批判されるべき本丸ですよね。ほぼ日が成功したことも、WEB媒体をこうしてしまった大きな原因だと思う。
武田 『紋切型社会』の中でも書きましたけど、「ほぼ日」の対談・インタビュー記事では、「なるほど」や「わかりやすいです」というような、肯定の言葉が多く並びます。一言おきに改行をして余白をいっぱいとって、とにかく読みやすく、モヤモヤを残さないことにつとめているように思える。昨年刊行された本の中でも群を抜いて面白かった社会学者・牧野智和『日常に侵入する自己啓発 生き方・手帳術・片づけ』(勁草書房)の中で、「ほぼ日手帳」が実に巧みに考察されていました。
そこで引用されている、「ほぼ日手帳」のガイドブックにある文言が、「なんでもない日、おめでとう/ただの一日も、なんにもなかった一日も、二度とこない、かけがえのない一日」です。この手帳について牧野さんは「人々の自由な、ときにはささやかで細やかな情緒を込めた手帳の使い方を、特定の方向へ水路づけることなくすべて許容する」と書かれている。手帳についての分析ですが、「ほぼ日」の話法を一発で分析しているようでもあり、膝を打ちました。特に、「特定の方向へ水路づけることなくすべて許容する」の部分。
日頃、対談を読む時に、僕は話者それぞれが持っている「水路づけ」が、時間をかけて交わっていく様に興味を持ちます。すぐには納得しないからこそ面白い。話者それぞれの煩悶を知りたい。最終的に同意したり、しなかったり、許容したり、しなかったり、そこから学ぶことが多いんです。
深澤 ほぼ日も含めたWEBの記事の問題は、「自分の頭で考えて、自分の言葉で言おう。自分の考えが一番尊いから、幼稚な言葉でもいいのだ」という思想が根底にあることだと思う。
武田 糸井さんの著書『インターネット的』の中では、既存の対談原稿について、「読み手は書き手より下だと信じている人たちが、難しいことをいかにも難しそうに語っているのでしょう」と書かれている。文芸誌の編集者として「難しい対談」をまとめていたこともあるので、確かに難しいかもしれないがその時々に浮上してくる言葉を迂回しながらも届けようとする試みを、「難しいことをいかにも難しそうに語っている」と済ませたくはないんですね。煩雑なままであることをもう少し許容してくれませんか、と申し立てたくなります。なぜここまで「分かりやすさ」が礼賛されるのか。それは前回のコラムの書き方の話にも繋がってきますが。
深澤 「自分の頭で考えて、自分の言葉で物を言う」って一見いいことを言ってるようだけど、そもそも自分の頭とか言葉って幻想ですよね。でもこれを言うと学生や若いライターはショックを受けるんです、「自分の言葉で書きなさいって言われました!」って。でもそれ自体が他人の言葉ですからね(笑)。
けっきょくはたくさんのテキスト——しかも共感できずわかりにくい内容のものを——摂取して、他人の頭と他人の言葉をたくさん知ることが一番大事です。でもそう言うと、くだらない教養主義だと思われていまう。
武田 感情がポップに炸裂している状態を前に、不明瞭な議論をじっくり持ちかけていくことがどんどん難しくなってきています。この手のことを言うと、「深澤さんは言葉がきつい」とか、「武田砂鉄、また批判か」と、表面的な部分にばかり反応がいく。
深澤 前に出た話と同じです。林真理子の言説を批判してるのに、その内容じゃなくて、「武田砂鉄は林真理子が嫌いなんだ」とか「業界の構造をわかってないんじゃないのか」という周辺のことばかり言われるという。
武田 同じですね。自分の本のテーマに沿って「ほぼ日」に代表される「肯定」の話法を分析しただけなのに、「糸井さんを批判して大丈夫なのか」とも言われました。そういうことではないんですけどね。で、大丈夫なんでしょうか(笑)。
深澤 まあたしかに、この対談で私たちはわざわざ余計な敵を増やしてますけどね(笑)。
対談相手をひっぱたけ!
武田 取材したインタビュー記事を告知するSNS等を見ていると、相手が持っていた知恵や教養を、あたかも自分の持ち物のように錯覚してしまう同業者が多くいるように思います。昨年、八代亜紀さんにインタビューさせてもらって、実に素晴らしい言葉をたくさんいただくことができた。中学生の頃、早朝からTBSラジオで八代さんのラジオを聞いていたので感動しました。で、そこに載った言葉というのは僕が引き出したものではあるかもしれないけど、僕が持っているものではありません。そんなの、当然ですね。でも、その辺りの客観性を持てない人がいる。えっ、それ、他人のハードディスクに入ってたデータだろう、って言いたくなる。
深澤 そこで無邪気に相手と同化できるのって、ある意味では「いい人」なんだとは思います。でもいい人であることが必ずしもプラスにならないのが、物を書くということなんですよね。
私は自分が取材されるならいろいろな疑問や反論をぶつけてほしいなと思うけど、ウェブは特に「さすがですね!」って言われて終わってしまうことが多い。自分が取材や対談をするときは、共感点だけ探すより相違点を探す方が面白くなると思っています。
武田 簡単に同意しない、或いは、簡単に同意させないことは重要ですね。
深澤 そういう方法論が、WEB界にはあまりないかなとは思う。
武田 例えば今回、深澤さんと僕が対談した。この記事は半永久的に見られる状態に置かれるのだろうけど、例えば半月後とか二年後になって、僕が深澤さんの言ったことに対して物申したり、その逆があっても全く構わない。むしろ、そっちのほうが健全です。だって、人の考えはその都度変わりますから。でも、そういうのが、今の感覚だととっても非道な人に思われてしまう。対談したことある相手を後々、言葉でひっぱたく、或いはひっぱたかれる、こんなことはもっとあって然るべきだと思います。裏切りでもなんでもありません。
深澤 「対談しました、意見が同じでした、ご飯に行って仲良くなりました、SNSに写真アップします」というストーリーが多いですからね。でも私は武田砂鉄と友達になりたくて対談してるんじゃない、友達になったらお互いに面倒くさそうだし(笑)。
武田 先日、Bunkamuraドゥマゴ文学賞という賞をいただいて、その授賞式の前に、選考委員の藤原新也さんと対談したんです。僕はあまり意識していなかったのですが、藤原さんが話している論旨と異なる意見を持っている時には、正直に、「僕はそうではなくて、こう思いますよ」なんて言っていた。そうしたら、後で、ある出版人からメールで「受賞させてくれた人にああいうことを言うのは……」と苦言を呈されて驚いた。学生時代から作品を耽読してきた藤原さんに選んでいただいたのはこの上なく嬉しいけど、だからといって藤原さんの話の全てに頷かなければいけないなんて変でしょう。でも、それを普通だと思う人がいるみたいですね。礼儀だ、なんて言うのかもしれない。
深澤 それは共感や同意こそが重要だと思っているからですよね。
たとえば上野千鶴子さんは私より20歳年上だし、就職先を紹介してもらった恩があるし、読者として影響も受けた、だからこそ、彼女を全肯定する信者になっちゃいけないと思っています。「上野さん、そりゃ違うでしょう」と言い続ける、獅子身中の虫の立場でいようと。
武田 それが周りからは、「深澤さんって恩知らずで失礼な人だな」って見られるんですね。
深澤 まあ実際そうなんですけどね(笑)。
理解できない相手から得るものは多い
深澤 そもそも、マンセーし合う人間同士で固まるなんて気持ち悪い、と思うんだけど、意外と世間はそういうサークルばかりなので、武田さんの言う若手論壇サークルがいやだというのはわかりますよ。
武田 深澤さんが嫌いなのはどこのサークルですか。内田樹さんとかのサークルでしょうか……って、誘導尋問ですけども。
深澤 そうです(笑)。椎名誠サークルも、糸井重里サークルも、内田樹サークルも同じ理由で気に入らないんです(笑)。
武田 どういうところがですか?
深澤 あの人たち、すぐ集まろうとするでしょう。やれ道場だ、ナントカ館だ、何々の会だ、って。なんというか、彼らの孤独耐性の低さを感じてしまう。「あなたたちの孤独を埋めるために思想はあるのか」と思ってしまうんですよ。
内田さんはフェミニズムに対して批判的で、「フェミニズムは学問ではない」とも言っているんですよね。でも彼の批判の内容はそのまま、彼らのグループにも言えると思う。あなたたちも、単純な敵を外部化して身内で同質性の確認ばかりしているけど、それは思想や学問なのかと。
武田 僕自身は個々人がガリガリ、ゴリゴリした場所、自分が定期的に仕事している媒体だと、「週刊金曜日」的なみたいな場所が好きなんですね。バカ言え、あの雑誌こそ左翼の巣窟だろう、ってことじゃなく、それぞれの原稿が独立している感じ、記事ごとがいちいち面倒くさそうな感じ、という意味で。
深澤 たしかに、論者同士が分かり合ってない媒体ですね(笑)。
武田 さっきの「同意しない」もそうですが、どんなに立派な意見でも、スマートに追随するべきじゃない。頷く前に考えてみる。賛同することが多い先輩の書き手であっても、自分のような比較的若手の同業者は、諸先輩の書き手を基本的に“逃げ切り”体制だと思うべきではないかと。だって頷いているだけでは、どうしたって類型化します。
深澤 お互いに同意し合って、追随し合っていると、結局自分の世界がSNSのタイムラインと同じになってしまうから、「俺のタイムラインでは、みんな賛成って言ってる」って思ってしまう。でもそれは自分がフォローしている意見しか見ないからです。
そういう“タコ壷”思考自体はどの時代にもあったんですけど、今はインターネットでそれが簡単に可視化されちゃう。だから思想家もフェミニストも、右翼も左翼もみんな自分のタコ壷で満足してしまう。
武田 居酒屋で「やりきったよね?」「お疲れ!」って言い合って終わりになる。そういうふうにしていると、その傍らですくすく育つのが例えば安倍政権みたいな「やりたい放題」な存在なんですよね。サークルだけで過ごすと、ノーチェックが増える気がします。個人では限界があるとはいえ、深澤さんの言うように、単純な敵を外部化して身内で同質性を確認するだけではいけない。だからこそ、できる限り個人で、多様な媒体で書かせてもらえるように、とは思っているんですが。
深澤 「こいつの言っていることがよく理解できない」っていう相手が周りにたくさんいるほうが、得るものは多い。自分の味方の意見しか聞きたくないというという姿勢こそが、今の思想状況をつまらないものにしているんですよね。
次回「武田砂鉄は事故物件である。」、3/26(土)更新予定。
構成:小池みき
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「女オンチ」とは、著者本人が自分のために作った言葉。 「女らしさ」というものが分からず、美魔女信仰が甚だしい現代の世の女性たちとはズレた感覚の自分を楽しく綴っている。 新たに、社会学者の古市憲寿氏との「女オンチ×男オンチ」のスペシャル対談を掲載!「人間オンチ」な2人の軽妙なやり取りにも癒される!?
第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞! 武田砂鉄さん初の著作『紋切型社会——言葉で固まる現代を解きほぐす』