白い箱が届いた。
あくまでも軽く、振ると中でゴソゴソと音がする。
送り主は、長谷川さん。
この名前だけで分かる人には分かってしまうかもしれない。
長谷川さんは日本で唯一の深海魚専門の漁師だ。わたしはその芳名を見ただけで、なにか武者震いに近いものを覚えた。
「飼うもよし、食べるもよし。生きたままクール便で郵送します」
そんな奇っ怪な売り文句に、わたしはワクワクを禁じ得なかった。
ことの経緯の詳細は前回の記事をご参照いただきたいが、
【前回 : オオサンショウウオは腹を裂くと山椒の芳香がして美味い。 】
要するに、わたしは、まだ見ぬ美食を求めさまよう内に「ふるさと納税」に目を付けたのだった。焼津市のふるさと納税は、ひときわ目を引く、世にも珍しい珍味が手に入るとのことだった。
私は早速、焼津市のHPにアクセスし、用紙をプリントアウトし、記入、郵送した。翌週、早速送り返されてきた振込用紙に書かれた口座にお金を振り込んだ。それから3週間が経った。
3週間は余りに長く、実はこれは、巧妙な「振り込み詐欺」だったのではないかという思いがわたしの中で目覚めはじめた。私は絶対にだまされないハズだという思いこみ、満身こそが最大の罠である。
ただ、さしもの詐欺集団とて、「オオグソクムシ詐欺」などという誰が喜んで引っかかるのか全く分からない奇っ怪なスキームを実行することはなかろう、とわたしは論理的に考え、自らを慰めた。
改めてHPを見てみると、入金を確認してから長谷川さんに連絡をして漁に出てもらい、獲物が採れ次第クール宅急便で郵送をするという一連の流れがあるらしい。このところ確かに天気も悪かった。
さあもありなん。落ち着け、わたし。
そんなある日、郵便入れに、こんなものが、ペラリと一枚。
ーーー!!??!?
これを見た瞬間私は小さくふるえた。やはり詐欺ではなかったし、送り主の長谷川さんの芳名に驚いたこともあった。しかしなにより私の心に去来したのは、
「オイオイ。死んだんじゃね?」
ということだった。
その日採れたものを即座にクール宅急便で宅配したとして、朝イチの便に乗せて到着したのが今日の午後二時。たしかにこれならまだ生きていよう。
しかし明日は所用で帰宅は遅くならざるを得ない。となると、私がグソ君を受け取れるのは明後日の夜ということになる。
あ、申し遅れておりましたが、今回私は深海の珍味・オオグソクムシを食べようとしています。要は、コレ、食べる。
さて本題に戻りますと、わたしは生きたオオグソクムシが手元に届くことを想定しており、
ーーー一匹は飼育をしつつ、一匹は唐揚げにして食べるんだ、ルンルン♪
などと考えていた。
しかし事態は急を告げ、深海の生物を陸に放りあげ、挙げ句ひんやりとした発泡スチロールの箱に三日も放置したらそりゃあもう絶対死んでますよね。
やべえ。
いや、でも、深海の生物だからきっと圧倒的なゴキブリ的生命力でどっこい生きててビチビチと跳ね回っているかもしれ死んでるーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
プンと鼻を突く酸っぱい若干の死臭。
「うおぉ・・・」
謎の深海生物の死骸を前に、プンと鼻を突く生臭さに狼狽しつつ、一人暮らしのキッチンにたたずむこの絶望感が、いかに筆舌に尽くし堅かは読者諸賢なら容易に想像に至るところではないだろうか。
これは独り身にはあまりに酷。
家で待ってくれていて、宅配をいつでも受け取ってくれるワイフがいないと、元気に生きているグソ君と合間見えることは出来ないのか。
グソ君は独り身に対して厳しい。
結婚していない貴様なぞ所詮半人前だ、と暗に言われているような気がした。
ーーーえっとぉ~、1匹は食べて~、もう一匹は水槽で飼育するんだっ♡♡
などと浮かれていた昨日の自分が悔やまれる。棚の奥から引っ張り出してきた水槽が、むなしく塩水をたたえてキッチンの隅でたたずんでいる。
辛い。
臭い。
臭辛い。
生きるとはそもすなわち苦しみなのですね、と思わず仏の道に帰依しそうになるところをグッと堪えてお箸で彼を摘んでみる。
オオゥ。
グソ君。
貴方はなんて重いんだ。
ズッシリとした質量だった。
深海の掃除屋として魚や鯨、その他諸々の死肉を食らう彼らの業がお箸から、右手から、わたしの心の奥底にまでズンズン伝わってくる気持ちがした。
改めて、スーパーにパックで陳列されていたら、という図にしてみた。
狂気の沙汰。
どこか東南アジアで、「この国では食卓に良く上がる食材なんですよ♪」なんて現地ガイドに言われたら、納得でき、そうな気が一瞬したけれどやはりそんなことはない。現地人もどん引きのルックスだ。これは食べちゃいけない何かだと思う。
私はエビが苦手だ。ルックスが気持ち悪いからだ。脚が何本もにょろにょろと生えていて、お正月にお節などによく入っているけれど、全然めでたいと思えない。狂気しか感じない。しかし、グソ君ときたら、そんなエビさんなどお話にならないほどのぶっちぎりの存在感。
なんというか、こう、ムシ感がすごい。巨大ダンゴムシ的な迫力がある。ダンゴムシは手の平で丸まってころころと転がっているからかわいいのであって、手の平に収まらないほどのサイズ感ともなると話は別だ。油断してると手の肉ごと食いちぎられそうな恐怖を感じる。
まあこのグソ君は残念ながらもう死んでるからその心配はないわけだが。
匂いをかいでみる。
臭い。
磯の香りと、海の生き物の死臭がする。
ただ、スーパーに並んでいる魚が臭くないかというと、そんなことはなく、同じぐらいの臭さではある。
わたしは釣りをする。
その日に釣って正しく血抜きをして氷につけたお魚は、匂いをかいでも、内蔵を取り出しても臭くない。だからスーパーのお魚は、たとえ「お刺身用」なんか書いてあっても臭くて食えたもんじゃない。焼くか揚げるかしないと食べたくない。そう考えると、この程度のにおいであれば、調理をすれば全然食べれるものとわたしは判断する。
怖いけど。
ーーージュ~~~~~~~~~~~~~!!
ーーーパチパチパチッ!
ーーーポンッ!
熱したオリーブオイルの海に彼を横たえるとすぐにかしましい音がし、甲良の色がサッと白く変色し、なによりも、エビやカニの甲良を熱したときの香ばしい匂いがブワッと一気に部屋中に広がった。
すごく!
すごく食欲をそそる匂いだ!
(後に分かったことだが、この匂いはマンションの廊下にまで流れ出ていたようだった。この匂いに釣られて夕食をエビフライにした家庭もあろうが、残念、あなた方のエビでは何匹揚げようとここまで濃厚な薫はしまい)
芳香をマンション中に垂れ流しながら彼はこんがりと揚がった。
次回、果たしてわたしはオオグソクムシを食べるのか!
本当に食べれるのか!
乞うご期待!
(※煽っておいてなんですが、まあ結局は食べ物粗末にできないのでスタッフがおいしく食べました)
次回に続く!