これは絶望であり希望でもあるんだけど、“人の代わり”はいる。哀しいかな誰がいなくなっても世の中は大丈夫だ。あの人みたいな人は二度と出てこないと人はすぐに言うが、二度と出てこなくても正直、日常に支障はない。
自分もあなたもあの人も、いてもいなくても世の中は平常運転。その心持ちで臨むと結構、力が抜けて自分には具合が良い。
ただ振り返っても唯一ひとり、代わりがきかなかったのが彼女だ。はじまりは、そんなことになるなんて思いもしなかったけど、気付いた時にはもうだめだった。
彼女に教えられたことは、心の傷ってやつにもいろいろあって、時が解決してくれる傷と、決して消えずにアザのように刻まれる傷の二種類あるということだった。
フェイスブックが無神経に差し出した彼女のページをみて、その消えない傷がズキズキと痛み始めていた。彼女はいつまで経っても思い出にさせてくれないひとだった。
ホームを駆け上がる途中、椎名林檎に少し似た顔立ちの胸の大きな女性とすれ違った。さっき改札の前を通る時に自販機で温かいほうじ茶を買えばよかったと後悔している。またDVDを5枚も延滞してることをここにきて突然思い出した。
六本木に戻るため、さっきと反対側、中目黒駅行きのホームに立ってる。こんなことなら入谷まで行けばよかった。近くには行くのに、もうずいぶん降りていない。
今日はいろいろ全部もったいないなぁ……。
上野の横に入谷という場所がある。年に一度だけ、朝顔市でニュースに取り上げられる地域だ。
1990年代の後半、ボクはその入谷にあった広告の専門学校に通っていた。すぐ近くには鴬谷のラブホテル街が広がっている。というか、その学校はラブホテルとラブホテルの間にあった。
高校時代にバカの黒帯を取ったボクはその地の果てのような専門学校に護送された。入った学科は「広告クリエイティブ科」という正真正銘のダサい学科。もちろん2年後の卒業時、広告関係に就職する者はゼロだ。
いま思えば「入谷」という名前も谷の入り口、ドン底を暗示していているようにすら見えてしまう。その学校は老人養護施設になってしまって、この世にもうないのだけれど。
奈落の谷への入学初日。指定された教室のドアを開けると今でいうアキバ系の人たちが大多数、あとは無味乾燥でボンヤリと今日を生きてるような奴らという構成の66名。定員50名しか入れない教室に66名もぶち込まれていた。人で溢れかえる教室で講師を待った。
しばらくすると元コピーライターだと名乗る講師が入ってきて「ちょっと最初は狭いけど、夏休みが終わるとドッと減るから安心して下さ〜い」と使い古された手ぬぐいで、ホワイトボードの落書きをまあるく拭きながら、だらしなく笑った。
安達哲の名作マンガ『さくらの唄』にこんな一説がある。
「ある程度の教育を受けたやつなら分かるはずだ、俺たちのほとんどにロクな人生が待っていない事を」
そのセリフが頭の中を何度もよぎった。バカでも分かった、ここにいても社会の数には入れない。
でもボクはそこで、社会どころかクラスの中でも数に入ってなかったことを思い知ることになる
最初の授業で「企業のポスターにキャッチコピーを付ける」という課題があった。後日、講師が良かった生徒のコピーを5作あげた。そこにボクの名前はなかった。
この地獄の果てみたいな場所での生存競争ですらボクは負けた。こいつらにも勝てないのか!と愕然とした。地味めの女の子が選ばれて地味めの女友達とハイタッチをしていた。
講師は「他のみんなも良かったです、では一応私のコピーも紹介しますね」そうもったいぶったコピーがクソつまんなかった。クソつまんないから選ぶセンスがないんだと納得させたかったけど、その講師のコピーが実際、本当に企業で使われたものだったと説明を受けて決定的に落ち込んだ。
また負けた。バカでも分かった、ここでもボクはまだ数に入っていない。
そこで落ちこぼれた連中と、学校のすぐ近くにあった駄菓子屋に毎日のようにたむろっていた。店主の老夫婦が作る250円の焼うどんを食べながら、その頃よく盛り上がった話は「1999年に地球が滅亡する」と予言されていたノストラダムスの大予言についてだった。
あの頃のボクらにはノストラダムスの大予言だけが未来の希望だった。もうすべて帳消しにしたかったんだと思う。とにかく飽きもせず何度も地球滅亡の話をして盛り上がった記憶がある。
一番仲が良かった車谷は「どうせ、1999年に地球は終わるんだぜ」が、どんな話の語尾にも付いた。貯金をまったくしない理由、将来就職をしない理由、自分がまだ童貞な理由。その全部の語尾は「だってどうせ、1999年に地球は終わるんだぜ」だ。
鬱屈したボクらは、沼の底の底のさらに底で息を潜めながらギリギリの正気を保とうと必死だったのかもしれない。
卒業する頃には専門学校自体が傾きはじめて、先生が就活をしているという喜劇のような状態に陥る。
担任講師が言った通り、夏休み明けには生徒が激減した。最初の課題で選ばれた5名も卒業の頃には全員、学校を去っていった。駄菓子屋でダベっていた最低を共有した仲間達もひとり、またひとりと散っていった。卒業の半年前、駄菓子屋の爺さんが肺炎で亡くなった。
車谷は最後の課題を提出するところまで学校に残っていたのに、引っ越しのバイトが続いて眠かったとかいうバカな理由で卒業の1ヵ月前に学校を辞めた。
そして1999年に地球は滅亡しなかった。
あの頃、車谷が口癖のように言っていた恐怖の大魔王がやってくるはずの夜、ボクは円山町の坂の途中、神泉に近いあのラブホテルに彼女と一緒にいた。その日は風が強かった。
腕枕をすると眠れない癖にそのことを言い出せなかったボクは、彼女の寝息を聴きながら地球の終わりを信じていた車谷のことを思い出していた。
風の音が怖かった。彼女の胸にそっと耳をあてる。
滅亡しなかった地球のドン底でボクはまだしぶとく生きていた。
次回、3/22更新予定
デザイン:熊谷菜生 写真:秋本翼 モデル:福田愛美