こんちは。
うりですー。
東日本大震災から5年が経ちました。
このタイミング、今こうしてブログを書いていること、
そして被災者としての体験から、地震に対して備えておくべきことについて
まとめていきたいと思います。
幸いにして、自分自身は怪我もなかったし、津波の被害も受けませんでした。
そういった意味では「被災者」と称するのはおこがましいのかもしれません。
けれど、あの日・あの時そこにいた一人として、是非とも書かせて下さい。
首都直下地震・南海トラフ地震をはじめ、いつ地震が起こるか分からない状況です。
これを読んで、準備できる『今』行動を始めて下さい。
いつでも何でもそうなんですが、『備えあれば憂い無し』ですよ。本当に。
目 次
あの日起こった事と状況
内容に入る前に、俺自身の震災時の状況(2日目まで)について説明しますね。
*****
2011年3月11日 14時46分。
俺はオフィスの自席でいつものように仕事をしていました。
『あ!地震だ!』
なーんて思う間もなく、ものすごい縦揺れと轟音が襲ってきました。
手放しじゃ立っていられないような強烈なものでした。
オフィス内のデスクや棚から次々とモノが落下してきます。
もしかしたら蛍光灯が照明が落ちるかもしれないと思い、デスクの下に隠れました。
この段階でやっとケータイの地震速報音が鳴り響きます。
「おせーよw」なんてツっこむ暇はありませんが、やっぱり間に合わないんでしょう。
直後くらいに、停電が起こりました。
停電後も揺れは続き、書庫もバタバタ倒れ、書類やファイル、コーヒーカップや文房具ありとあらゆるものが床に散乱しました。
結局揺れがおさまった時には、足の踏み場もない程モノが散乱し、停電で暗くなった光景だけが残されました。
昼間でも、照明が消えると本当に暗いものです。
幸い手元にミニLEDライトがありましたので、これを頼りに外へ出て、とりあえず社屋近所の広場へ全社員が避難しました。
この時で15時少し過ぎ。
それまで晴れていた空がどんよりと曇り、雪が舞い始めました。
ここから、よくわからない待機時間が始まります。
後から分かったことですが、初めての大災害で、会社上層部も社員をどうするか決めるのに相当時間がかかっていたようでした。
結局『とりあえず本日は全員帰宅』と決定されたのは17時を少し過ぎたところでした。
この時俺は車で通勤してましたので、とりあえず車へ戻り、いつも通り帰宅
・・・しようとしたのですが、道が大渋滞で普段20分のところ、1時間半以上かかってやっと自宅へ帰ることができました。
家に帰ってまずやったのは、部屋の中の確認です。
これまた幸い、俺の部屋が低層階のためか、被害といえば食器類の破損と家具や家電が動いていたくらいでした。
次にインフラ状況の確認です。
会社が停電していましたので、当然自宅も停電しています。
水道は・・?
と思ったら、なんと水が出ませんでした。
ガスは恐らく自動遮断装置が働いているんだろうな・・という風に思っただけでやめました。
そこまでやってから、近所の様子の確認を兼ねてコンビニに行きました。
すると、「電気がないためレジが動かず会計できない」ということですでに閉まっていました。
他のコンビニにも行きましたが、同様か、人数限定で買えるという制限がかかっていました。
何も買えずに帰宅・・したわけですが、
幸い、冷蔵庫にウーロン茶1本とチョコレートがありましたので、これを頼りに翌日まで耐えることにしました。
3月とはいえまだまだ寒い季節。
エアコンも付けられず寒いのですが、それと同時に照明がもたらす温感というのも大きいんだなぁとしみじみ思いました。
寒さのせいか、トイレに行きたくなりますが、家のは使えません。
仕方がないので、外へ出て、近所の林の中で用を足しました。
ほぼ全域が停電。
明かりが全てなくなると、こんなにも街は暗くなるんだな・・そんなことを考えていました。
一方で、明かりがないせいで、星が本当に良く見えていました。
電気がないので、テレビがつきません。
だからといってケータイに頼りすぎると、充電が無くなってアウトです。
が、やっぱり情報は得たいもの。
◇野蒜で100名以上の遺体があがっている・・・
こんな速報を見て本当に現実の世界なのか不思議な感じを覚えながら、
『早く朝になれ』
ひたすらにこれだけを考えていました。
翌12日。気持ち良いくらいの快晴でした。
『街に出よう』
そんな衝動にかられ、急いで外へ出ました。
アーケードや国分町には、人が溢れていました。
とりあえず人が沢山いるところに出て、安心感を覚えました。
震災翌日だというのに、開いている飲食店も沢山ありました。
もちろんフルオープンではなく、店先で露店みたいな感じで だけど。
そのうちの1つのお店で食べた水餃子。
温かい食事ってこんなに幸せなんだなぁとしみじみ思いました。
*****
ざっくりと発災後2日目昼頃までを思い出してみました。
ホントはもっとあるんだけど、全部書いていたらキリがないので簡潔に。
困った事・その備え
というわけで、前項の体験を踏まえたうえで、
困った事とその備えについて書いていきます。
電気がない(停電)
巨大地震であればほぼ間違いなく停電すると思っていた方がいいと思います。
停電による影響ですぐ思いつくのが以下の3つ。
- 明かりがない
- 電化製品が使えない
- 携帯やスマホの充電ができない
これについては、回避のための備えはいくらできますよね。
懐中電灯は絶対に必要です。
100円ショップで売ってる小さいのでも構いませんから絶対備えておきましょう。
可能であれば、通勤かばんや車の中にも置いておくといいです。
被災時にどんな状況にいるかわかりませんが、地下はもちろん、地上でも、
室内だと照明が全部消えると夜のように暗くなり、周りも見えづらくなります。
見えないことによって、転倒などの二次災害が起こる事が怖いんです。
大型の電化製品は難しいですが、携帯やスマホ・ラジオなどは充電池や緊急のチャージャーがあれば回復させることができます。
とにかく「コンセントに頼らない充電」ができることを目標にします。
可能であれば、容量大きめでPC駆動も可能なくらいのものがあるといいです。
ケータイ・スマホがあれば、とりあえずの情報収集、ひいては発信も可能です。
とりあえず挙げた3つへの対策でしたが、
電気は基本のインフラなので、これ以上に電気が使えない影響ってあります。
水が使えない
物理的に水道管が破壊されることも想定されますが、マンションなどにお住まいの場合、停電によって屋上へ上水を汲み上げるポンプが停止し、給水が止まることが想定されます。
飲み水としての水もですが、トイレの水の給水も当然止まります。
つまり、トイレを使えなくなるわけです。
もし帰宅して水がまだ出るようであれば、急いで浴槽などに水を溜めましょう。
屋上タンクの容量がなくなるまでが勝負です。
浴槽に少しでも溜めることができれば、数回分のトイレ用水にはなるはずです。
自宅で出なくても、近隣の戸建てのお宅では出る・・ということもあります。
その場合、水をわけてもらうためのポリタンクまたはバケツが必要です。
最悪清潔なポリ袋を使うこともあり得ますが、その後の保管を考えるとしっかりした入れ物を用意するのが無難です。
買い物ができない
『停電でレジが使えない』『防犯上』などの理由で、ほとんどのお店が店を閉じていることが想定されます。
先の体験談でも書きましたが、気づいた時には何も買えなくなっていました。
停電ですから自動販売機すら稼働していなく、どんなにお金を持っていても飲み物すら買えないわけです。
この現代、しかも日本で、当たり前に好き勝手取れるはずの『水分』『食料』がとれないことの恐怖感は凄いです。
こちらは、普段からの備蓄によって対策することができます。
水は災害備蓄用の水が売られていますので、それを用意しておきましょう。
目安は『1人あたり1日3リットル』です。
食料は、普段食べるようなお菓子を用意するのもいいですが、賞味期限の問題があるので、長期保存がきく災害用非常食を準備します。
定番の乾パンの他にも、最近はバリーエション豊富な各種非常用の食料が販売されています。
とにかく寒い
東日本大震災の場合には3月で、とにかく寒かった記憶があります。
対策するにはとにかく着るか、くるまるかするしかありません。
私の場合は、コートを着たまま布団にくるまりました。
最近では防寒になるアルミ状のシートが売られています。
薄くてもくるまると大分暖かいので、家や車などに1つあると万一の際に役立ちます。
逆に真夏であれば『暑い』ってことになるんでしょうね。
暑さ対策はどうしたものか・・正直わかりません。。
情報の入手手段がない
テレビは使えないので、携帯かラジオを頼ることになりますが、当然ながら使えば電池を消耗するので、いずれ使えなくなってしまう可能性があります。
なので、電源の確保ができないうちはむやみに使用するのではなく、
「1時間ごと」など時間を決めて見る・確認することが必要です。
交通網の寸断・道路の大渋滞
いつもの交通手段は使えないと思った方が良いです。
なにせ、ほぼ全ての人が同じ時間に帰宅しようとしています。
あっという間に大渋滞・大混雑の発生です。
また、車の場合は、停電で信号が消えるためそこいらで小さな事故が頻発します。
こうなると、津波の際に逃げ遅れの原因にもなりかねません。
というかそもそもガレキなどが道路に散乱して、通行ができないかもしれません。
同じく、自転車も乗れないと思っていた方がいいです。
本当に、道という道がすべて人の波にあふれますのでとても乗れません。
ということで、
最悪「徒歩」での帰宅を想定しましょう。
そのため、普段から徒歩の場合の帰宅ルートなどは検討しておいた方がいいです。
また、ガレキなどによって道路が寸断されていたりすることも想定し、帰宅ルートは複数あるほうがなお良いと思います。
徒歩となると、恐らく地図が必要になります。
スマホには「マップ機能」があると思いますが、電池の減りを心配するのであれば、
紙の地図もしくはハザードマップ*1を鞄に一部忍ばせておくのがよいかもしれません。
ハザードマップは、国土交通省が提供する全国市町村ポータルがあります。
さらに女性の場合、ヒールなどでは長時間・長距離の歩行が大変なので、職場や車内などにスニーカーを1足置いておくといいです。
ガソリンが手に入らない
震災日以降のことですが、ガソリンスタンドが営業してなかったり、営業してても車の長蛇の列でいつまで経っても給油できなくなることが想定されます。
さらに、道路の寸断でタンクローリーが来れないため、ガソリンの販売自体が段々制限されていきます。
自分は、震災の翌日に1時間程並んで入れることができました。
でも、この程度で入れられたのはホントにこの日だけ。運が良かったんです。
翌日以降は、車で並んで徹夜組が現れる・・そんな状態でした。
これにもある程度は備えができます。
ズバリ、普段からのこまめな給油です。
燃費的にはよろしくないんでしょうが、震災以降はメーターで半分切りそうになったらもう満タンにしています。
地震はいつ起こるかわかりませんから。
ウ○コの問題
「トイレが使えない」に絡みますが、別だてにしたのは理由があります。
普段から下し気味なワタシ。トイレが使えないということは死を意味します。
震災の日、寒さにさらされた俺のお腹はもう限界でした。
夜闇に乗じて、近所の林の中で、星空の下、華麗に放出したのです。
大小含めて男性は最悪外でもできると思うけど、女性は大変かもしれません。
特に都会の場合、物陰もないでしょうし。
できる対策としては、携帯トイレまたは災害用トイレの準備だと思いますが、
いざという時の心の準備も必要かもしれません。
タバコの枯渇
これは吸わない方からすれば関係のない話なんですけどね。
買い物ができないということは当然タバコも買えないわけです。
万一お店が開いたとしても主要銘柄以外はないと思って備蓄しておいたほうがいいかもしれません。
意外とすることがなくてタバコが進んでしまうはずです。
発災後は、(買えるか不明として)街のタバコ屋さんであればまだ品揃えが豊富な可能性もあります。
その他
その他、こんなものもあったらより安心というものを挙げていきます。
○ウエットティッシュ
水が使えない状況ではシャワーや洗顔ももちろんできませんが、これがあると手や体・顔を拭いたり、何でも活用できます。
○コンタクトレンズ用品
洗浄剤や予備コンタクトレンズを備えておくといいと思います。
水が思うように使えないので、眼鏡を使うようになる人も居るかと思いますが、多少の備蓄は有効だと思います。
お店が開くようになっても在庫不足で買えないことも想定されます。
○生理用ナプキン
震災後に不足したものの1つです。
女性とっては死活問題な用品だと思います。
ちなみにお店が開くようになっても一部では在庫不足で陳列されないところもありました。
○ティッシュ・トイレットペーパー
○マスク
埃っぽい環境になったり、煙が発生したりした場合に対処できます。
通勤用のカバンや車に、ジップロックの袋に2,3枚入れて置いておくと安心です。
また、女性の場合はスッピン隠しにもなるようです。
お化粧なんてできませんしね。
○笛
万が一がれきにつぶされたりした際の救助要請用です。
これも、あると心強いものかもしれません。
まとめ
こんな感じで、東日本大震災での実体験から感じた『困ったこと・備えるべきこと』について書いてみました。
後半の方、備蓄・備蓄でうんざりするかもしれませんが、震災時にあるとないとでは大違いなものばかりです。
こうゆう意味では、いわゆるミニマリストさんには馴染まないのかもしれません。
ところで、読んでいて、「避難所行けば?」って思う人もいるかもしれません。
当然、当時の自宅の近所にも避難所ができました。
しかし、自宅に被害がなかったことから俺は自宅に居続けることを選択します。
何より、災害時に何をって感じですが、プライバシーの守られた生活がしたかったんですよね。
それくらい、自分の体験は実は軽いものだったのかもしれません。
けどね、会社の隣席の先輩が行方不明になったり、震災対応業務で連日の連勤になったりと、無事なら無事で張りつめて生活してました。
起こらないのが理想ですが、来る次の災害でも、きっとどこかで俺と同じ状況になる人が居るはず。
そんな人が、自分のため、そして家族や友人のため、この備えを生かして乗り切ってくれることを祈ります。
最後になりますが、この震災でお亡くなりになった方、被害を受けた全ての方に哀悼と慰みの気持ちを送りたいと思います。
んでねぃ。
*1:自然災害による被害を予測し、その被害範囲を地図化したものである。 予測される災害の発生地点、被害の拡大範囲および被害程度、さらには避難経路、避難場所などの情報が既存の地図上に図示されている。