最近Twitterやネットニュースを見ていると、
ブログで稼いで社畜をやめよう
ソーシャルメディアで稼いで会社をやめよう
という記事や個人のブログ投稿を見かけることがあり気になっています。
そういう塾に通う人の顔ぶれや経歴を見ていると「ああ、この人達は一生貧乏なんだろうな」と思ってしまうのです。
そもそもブログもソーシャルメディアも、始めるのに大きな投資が必要なわけでも、何か特殊な技術が必要なわけでもありません。無料のツールが多いです。ネットで探せばツールの使い方は溢れている。ちょっとやる気があればこったサイトを自分で作ることだって可能です。
書店にもノウハウ本が売っています。とても安いですね。一冊3000円もしません。日本には書店が溢れていて、図解入りのご丁寧な本がたくさんあります。
そんな本はヨーロッパにはあまりないです。あまりというより、ほとんどありません。字ばかりです。字を読むのが嫌いなバカな人間はツールの使い方はマスターしなくて良いというメッセージだと思います。
こっちの一般大衆はスマホすら使いこなせなくて、あり金はギャンブルに注ぎ込んでしまうから、そんな本を買って俺も稼ごうなんて前向きなことは考えません。(それ以前にドラッグとアルコールで頭が煮えている)日本は勤勉な人とか商売熱心な人が多いんでしょう。
そういうわけで、本は溢れているし、ネットにも情報があるし、参入障壁は恐ろしく低いわけです。やろうと思えばお金はあまりかからない。
そして、誰が何を書いたら人気かな、というのも、ネットで観測していれば大体わかります。多くのは無償公開されているし、有償のものも大した金額ではありません。調べようと思えば調べられます。調べるのはそれほど大変ではありません。
破産者の家を一件一件回って聞き取り調査するとか、ヤク中に殴られながらインタビューするとか、そういう苦労じゃないので。はっきりいって楽です。コタツから調べられます。自分でやれば銭はあまりかかりません。
ブログ塾に通ってしまう人は、そういうことを無視して、何万円も払えば自分も稼げると思ってしまう。要するに人まねをすればテメエも稼げると思っている甘ちゃんなのですが、儲かっているラーメン屋は秘伝のスープの作り方を他人には教えないというミジンコレベルの脳みそしかないわけで、そんな人間が蓄積できるインプットも経験もたかが知れています。
ネットの世界の「人が読みたがるもの」「人が知りたがるもの」というのは、ドンキで目立つオナホの様なもので、ゴミの中にあっても、「これじゃなきゃ嫌だ」というものであって、パチもんにはパチもん以上の価値はなく、パンチパーマのオバハンは、そんなものは無視して「山田村のトメさんが作った山菜味噌」を買うのです。トメさんが死んじゃったら生産は終わるのです。
そもそもブログやソーシャルメディアで書きまくって、人気になる人間というのは、その書きたいことをいう場がなく、吐き出したくてしょうがないので、仕方なく書いているだけの話で、それがネットだろうが紙だろうが、電波だろうが、路上だろうが関係ないのです。要するに排泄行為のような生理現象であり、嘔吐や放屁と変わらない自然現象です。そんな排泄行為は家族や彼女だって見たくないのです。
そして、彼らは排泄行為を外にさらしてヘッチャラな狂人です。頭のなかをさらすというのは、全裸になるより恥ずかしい行為です。しかし吐き出さないとフン詰まりでいつか死んでしますので、吐き出して精神の均衡を保っているのです。読者はそういう狂気を無視できないから、ついつい読んでしまうのです。
狂気は狂気であって、そんなものは習ってどうなるものでもありません。狂いを習うことは無理です。ゴッホの真似をして耳を切り落としたらあの狂人な絵がかけるかといったら、それは無理な話で、単に耳がないだけの人になる。
ブログ塾に通ってしまう人は、そういう狂った人間ではなく、人まねをしててっとり早く稼いで会社を辞めたい、と思っている常識人なのですが、何も起こらないドラマを面白いと思う視聴者は多くはないわけです。