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CindⅢ site

Hallo mein name ist Cyndi

出来ない人が出来る人になったとき、出来ることはなんだ

最近、Twitterを通してはてなブロガーさんとお話をさせていただくことが多い。

毎日のようにバズ起こすわ、はてなのTOPに乗るわ、ブログ飯で生活してるわ、なんか知らないけどそういうことをやり遂げているすげーブロガーさんとやたら繋がっている。

なぜわたしなんぞが……不思議なご縁だ。

 

彼らはやれ数ヶ月で何万PVだの、カスタマイズがどうだの、収益報告の方法がどうだのこうだの、アフィリエイトはどこがいいだの、更新頻度がどうこうだの、アドセンスのクリック単価が高い低いだのとお話している。結構ガチで。いわゆるブログ論というやつでいいんだろーか?

わたしは対岸から「頑張ってるひとはいつも頑張ってるなあ(小並感)」と思いながら話をうんうん聞いている。何度も言うけど、わたしは今の所このブログをお小遣いを得る機械にしようとは思っていないから(Amazonアフィやレスパスの紹介コードくらいは貼ってるけどさ)、ただの興味本位。

彼らの意見交換場は主にツイキャスで、わたしはそれに潜り込みまくっている。ラジオの代わりにちょうどいいの。コメントしたら返事も返ってきてちょっと嬉しいしね。ふへへ。

 

で、先日、自分の中での知見がひとつひっくり返る出来事があった。

はてなブログの"大見出し"はhタグでいうと<h3>に相当する。どんな流れで話が上がってきたのかは知らんが、この<h3>をSEO的観点を踏まえて<h2>に手動で書き換えるべきかどうかについてTwitter上で盛り上がっていた。複数名のリプライが絡み合って、結構な混乱が起こっていたように見えた。

どうやら<h2>が現在の記事に欠けているのでちゃんと書いたほうがいい、というのはみんな分かっていたようだ。けど、リプライ合戦の中に「<h3>を<h2>に直すなら、<h4>も<h3>に直さなければいけない」という内容が見受けられなかった(わたしがフォローしていない人同士の中では話していたのかもしれない)。

直すのは前提なんだろうか。それともh1→h2→h4もh1→h3→h4も同じ歯抜け構造だってこと、分かってないで言っているんだろうか。中見出し、すなわちh4のことを見逃してはいないだろうか。ただ混乱してるだけなのか?もしかして、h3だけh2にしたところで無駄なのに労力のいることをとりあえずやってみようと思ってるんじゃないか?一部の人は分かっていても、一部の人は分かってないんじゃないか?

あれ?もしや若干わたし役に立つんじゃね?

最初はクソゆるブロガーのわたしなんかが口出ししたらいかんだろうなーと思っていたけど、結局夜中の0時過ぎにツイキャスを開いてSEO(主にhタグ)の質問を受け付けた。日頃お話させていただいて、彼らがめちゃくちゃ頑張ってるのを見ていたから、ちょっとでも役に立てればなーって思った。実際に質問を受けたり、ケースを聞いて原因を探ったりしてみた。

言うてわたしもたかが半年間、新卒で入ったWebベンチャーでネット上の記事を漁りまくりながら学んだだけで、SEO専門の会社にいたわけでもないド素人だし、実装経験もないからこれ実際どうなの?とか言われても理論上はこうだよとしか言えない。けど、ふつうは、ただブログを楽しんでいる人なら、hタグのことなんかわたし以上に何も分からないのが当然なのだ。逆に言えば、hタグがちょっと違ったところでそんな大幅にアクセス数だの順位だのが変わるわけじゃあないってこともよく分からないというか、確信は持てないわけで、そんな人たちが自分のドル箱記事のhタグが間違ってるって知ったら、不安になるのも仕方ないわけだよ。

彼らのポテンシャルや能力を見くびるわけではもちろんないんだけど、Google先生にhタグのことを聞いて、いくつも専門記事を読みながら「???」となって時間を食うよりかは(そりゃそーだ、hタグについて記述されている記事のほとんどはブロガー向けではない)、ほんのちょっとは詳しい人間なはずのわたしがリアルタイムで話を聞くことで、悩む時間を減らしてほしいと思った。それで余った時間で、ちゃんと眠ったり、どんどん面白いコンテンツを作ったりしてほしいって、思った。わたしは、彼らのファンなのだ。

 

頑張っている人のことは応援したい。

改善しようともがいている人のことは応援したい。

学ぼうと行動している人のことは応援したい。

よりよくしたいと思って動いている人のことは応援したい。

……と、つくづく思う。

 

偶然かもしれないけど、わたしがTwitterを通してお話させてもらっているはてなブロガーさんは賢くて「出来る」人が多い。学歴が伴っている場合もあるし、そうじゃないけど明らかに賢い話し方をする人もたくさんいる。ブログの運営も実際にうまくやっている人が、多い。

一瞬たりとも「出来る」彼らと「出来ない」わたしの立場が逆転する時が訪れるなんて思ってもいなかった。ずっと彼らのことをすげーなあ、ようやっとんなーと思いながら見ていて、たまに一緒に雑談で盛り上がるような、そんなもんなんだと思ってた。

応援したいなって思うだけじゃなくて、行動することができて、よかった。思い込みじゃないといいなあ。わたしはワーカホリックだから、わたしに会えて・話せて嬉しいと言われるよりも、わたしのおかげでこんなことが分かった・できたと言ってもらえる方がホッとするのだよ。もちろん会えて・話せて嬉しい!って言われるのももすごく幸せになるけどね。

 

ずっと出来ない側の人間で、自分でもそれをちゃんとちゃんと自覚していた。

自分が要領が悪いことも、不器用なことも、努力が苦手なことも、飽きっぽくてコツコツできないことも、ちゃんと分かっていた。他人とくらべたらすぐに心が折れてしまうから、自分同士で戦ってきた。自分をコントロールする、ただそれだけに、他人の何十倍もの時間と労力を使ってきたと思う。今も苦しい。これからも続くだろう。

そしてこれは完全に負け惜しみなのだけど、20代ももうすぐ半ばに入ろうとしている今、「出来ない」ことを強みにして生きていくしかないかなと思うようになった。具体的に言うと、人の「出来ない」部分がなんとなく見抜けるようになってきた。どれくらい寄り添えばいいのか、少しずつ分かるようになってきた。

だから彼らがわたしが思うよりもhタグのことをよく分かっていないということも、そもそも良いコンテンツを作れば評価は上がっていくのだからそんなに小手先のSEOテクニックなんか気にしなくていいのにどうしてもどうしても気にしてしまうということも、なんとなく分かった。

分かったから、どうにかしてやりたかった。お節介なのは承知だよ。

 

いま、フリーランスでライター仕事を受注している。このプライベートブログは死ぬほど好き勝手書いてるけど、1記事いくらの仕事となると話は別だ。ちゃんとした記事を納品しないと次の仕事を受注できない。信頼を得る段階なのだ。

そう考えてしまうと(考えなくてもだけど)わたしはどうしても原稿をスピード良く書けなくて、いつも全然お金が割に合わない。でも、頑張ってる。誰もが読みやすいような文章を書くように頑張ってる。途中で飽きずに、読了率を上げるにはどうすればいいか、飽きっぽい自分でユーザーテストをしている。文脈を読めない自分が正しい情報を得られるかどうか、きちんと自分で読み直すようにしている。

それが実際の読者にどんな影響を与えているのかは、正直分からないんだけど。

とりあえず、「某Webメディアの編集部」から卒業して、1人のライターとしてわたしのカテゴリを作りたいと打診されているところに、わたしの仕事ぶりはそこそこ現れているんじゃないかなあ、とは思っている。

 

出来ない人、困っている人、頑張っている人に、寄り添って支えながら人生を全うしたい。なんて、大袈裟かしらね。てへ。

SEOのことは広く浅く網羅してるから、何でも聞いてきてよ。即答はできないかもしれんけどさ、この記事のこれどゆこと?とかも聞くよ。そういう互助会ならいいじゃん?

 

というエントリを見出しも装飾も使わず書くようなブロガーがシンディだよ。

北海道レポを見て読者登録してくれた人、シンディのブログは普段こんな感じだよ。

よかったら今後ともよろしくね。

 

 

Cyndi.

 

 

 ちなみに、本読みたいならここらへんがおすすめな。元Webコンサルより。