私は17歳の時と18歳の時に親友を亡くした。どちらも急死だった。1人は心臓発作、もう1人は大動脈瘤の破裂だった。私は10代のうちに2人の親友をなくすという、言いようもない経験をしてしまったのである。
謎の同窓会が始まった
1人目の親友が亡くなった時に遺体に対面させていただいたことがあった。同じ中学校の仲が良かった人たちは最後のお別れをするために親友の家に集まった。当時私はセンター試験を終えたばかりの高校3年生でした。
悲しみにふける両親の方々と親友の亡骸を目の前に、私は私がわからなくなった。
親友の亡骸を目の前にした私はドラマのワンシーンのように「なんで死んじまったんだよ!!!」と悲しみが吹き出すこともなければ、現実が受け止められなく困惑することもなかった。
確かに悲しかった。けどそれ以上に、ただただ「無」だった。
本当に何の感情も湧いてこなかった。泣いている人もいた。しかし私のように何の表情も浮かべず、ただジッと親友の亡骸を見つめているものもいた。
「なんて薄情な人間なんだ。俺は。」と思ったのを覚えている。
親友との最後のお別れには20人ほどの中学の同級生が集まった。
まるで同窓会…
そうです。本当に軽い同窓会みたいになったんです。
私たちはそのまま悲しみにくれて帰路に立つことはなく、そのままファミレスへ向かった。「久しぶりに会ったし、せっかくだから飯でも食っていこうぜ。」そんなノリで。私もなにかおかしいと感じつつもファミレスへ。
ファミレスについた私たちは本当に普通の高校生に戻った。
亡くなった親友のことを話題に挙げて「本当にあいつは良いやつだったよな…」なんて言うこともなければ、「ファミレス来たけどそんな気分じゃねーよな。帰るか…」と気まずい雰囲気になることもなかった。
「お前進学するの?就職?」
「彼女できた!?なんでお前なんかに彼女がぁぁー!」
どこにでもいそうな高校3年生の会話が、そこには広がっていた。
親友の亡骸を目の前にした直後の話です。
私はおかしいと思った。
「え。人が死ぬってもっと大きな出来事じゃないの?なんでみんなこんなに普通なの?いや、けど俺も普通だ。冗談を言ったり笑ったりするくらいのテンションではある。なぜだ?なぜなんだ?」
多分、私以外のみんなも同じことを感じていたと思う。
跡形もなく消えていく
2人目の親友が亡くなった時も一緒だった。同じ大学のいわゆるイツメンみたいな感じで、授業もお昼もいつも一緒にいた友達のうちの1人だった。彼が亡くなる前日も「明日は昼休みにソフトボールするからグローブ持ってきてね!」みたいな会話をしていた。
彼が亡くなった後も、まるで何事もなかったかのように私のまわりの世界は回っていった。
いつも5人で食べていたお昼の時間は4人になった。それだけでも普段は大きな変化なはずなのに、何事も無く私たちは笑いながらご飯を食べたり、下世話な話をしたりしていた。まるで彼との記憶がすっぽり抜け落ちたかのように、私たちは恐ろしく普通だった。
社会もそうだった。人が死んだら全自動処理システムのようなものが発動するのだろうか?そんな疑問がでてくるくらい、彼は色々な場面から消されていった。
大学の名簿、彼が受け持っていた発表の係…
全てはきれいに無くなり、彼は本当に姿を消した。
「死んだのだから当たり前だろ。」そう思うかもしれませんが、その当たり前が私を凄く考えさせた。
「人が死んだ後ってこうなるのか…」一時は悲しみにくれても、すぐに消えていく。まるで初めからいなかったかのように。
「人間の生死ってそんなもんなのか…」なんだか呆気にとられてしまった。
自己満足でいいや
私はこの二人の親友の死をまだ自分のなかで処理しきれていない。ただ1つ自分の中で変わったことがある。それは「もうちょっとだけ自分勝手に生きようかな」って決意したこと。
当時、なんでそう思ったかはわからない。
ただ人間ってこんなもんなんだなって思った。人が死ぬと本当にきれいに処理されていく。遺体も社会からもみんなの記憶からも。
歴史に名を刻んだり、有名になったり、後世に作品を残したり…そうやって死んだ後も残り続ける人もいる。けど私はあまり興味がわかなかった。
それよりもどうせ消えるなら生きている間は自分のエゴで人生を埋め尽くしたいと思った。自己満足で良いと思った。
高校生までは人に合わせることが得意な人間。角が立たないように生きてきたつもり。けどそんなこともバカらしくなった。
1回しかない人生を自分の思うように生きて、好かれる奴には好かれて、嫌われるときは思いっきり嫌われる、そんで消えていなくなる。そんな人生でいいんじゃねーかな?
そんなことを思いながら、今日も私はこの自分勝手個人メディアを運営している。
PS
自分が今、突然死んだら大いに悲しみ、一生私の事を忘れずにいてくれるであろう「親」に対しては私はまだまだ角が立たないように接しがち。