■ 習近平にとって「周恩来の醜聞」はすでに時効?
「周恩来はゲイだった」――。
ショッキングな本(中国語)が香港で発売されている。発売と同時に欧米メディアの香港特派員が一斉に報道、すでに英訳が進められているらしい。
著者はいい加減な人ではない。香港のリベラル派雑誌「開放」の編集長だった女流ジャーナリスト、蔡詠梅。
1948年四川省成都に生まれ、80年代に香港に移住。「香港時報」の論説委員などを経て92年から2014年まで「開放」編集長を務めた。1989年の天安門事件の際には1か月にわたり北京で取材活動を続けていた。
お断りしておくが、本コラムではこれまで英語で出た新刊書を紹介してきた。今回の本は中国語。筆者の語学力では歯が立たない。
そこで知人の米香港特派員から得た情報を基に取り寄せた本書の問題部分を在米中国人に英訳してもらうというまどろっこしいプロセスをとった。
おそらく英訳本が出るとの想定、しかも出れば確実にベストセラーになるとの考えてのことだ。その意味では「番外」ということになる。
ワシントンのチャイナ・ウォッチャーの1人によれば、「周恩来がゲイだった」という噂話は専門家の間ではこれまでにも何度か指摘されていたらしい。
ところがそれを立証する決定的証拠がなかった。だがこれはあくまでの建前論だ。
中華人民共和国の「建国の父」の1人である初代国務院総理(総理大臣)周恩来の名声を傷つけるのを嫌った学者やジャーナリストたちは自己規制していたのだろう。
あるいは同性愛者の存在を認めない中国共産党歴代指導部による「事実上の検閲」がそれを許さなかったのかもしれない。
だとすれば、習近平体制を批判した本を出版発売した香港人が次々と拘束されているのに、なぜ本書が発禁処分を受けていないのか。
中国共産党の同性愛者に対するスタンスが変わったのか。習近平体制にとって「周恩来の醜聞」はすでに時効と考えているのか。
■ 「恋人」への想いを日本留学中に書き留める
本書発刊にまつわる疑問は疑問として、本書が発掘した「証拠文献」をじっくり読んでみると――。
今回、蔡詠梅が見つけ出したのは周恩来が97年前に書いた日記だ。
この日記は「周恩来旅日日記下巻」に出てくる。実はこの日記は1952年に一度公開されたことがある。ところが当時は一切問題になっていない。
日記が書かれたのは、1918年。周恩来の日本留学中に書かれたものだ。
周恩来は天津の南開中学卒業後、1917年に日本に留学。一高を目指すが日本語の習得不足で受験に失敗し、東亜高等予備校を経て明治大学政治経済科に進む。当時19歳。
周恩来には当時、中学時代に知り合った李福景(リー・フジン)いう2歳年下の「恋人」がいたのだ。
「ここ数か月、朝な夕なのそよ風、雨が窓を叩きつける。そして咲き乱れる花。すべてが郷里に残した家族のことを思い起させる。そして弟のヒュイ(李のニックネーム)のこと。たまらなく寂しい」
周恩来は何度となく、李に日本に留学するよう勧めるが、李は香港大学に行くことを決める。
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